【2】


 彼はわらにもすがる想いでスロットルを握っていた。アルバイトに精を出し、ようやくこの春になって買うことができた中型バイクのエンジン音が、ゴールデンウイークが終わって車の往来が落ち着いた峠道に響く。


 彼の後ろの席には交際して半年になる彼女が座っている。俗にいう2ケツを怖がり、必死になって腰に手を回してくる――なんて可愛らしい素振りは全く見せない辺り、サバサバとした彼女らしかった。


 峠を越えると道の駅が見えてくる。お互いにかぶっているのはハーフヘルメットであるが、バイクのエンジン音と風を切る音がうるさくて会話することは不可能に近い。道の駅から目的地は遠くないという噂だから、彼の独断で休憩がてら道の駅に寄ることにした。


 おそらくゴールデンウイーク中はそれなりに混んでいたのであろう。まだ片付けていないのか、大きなテントがいくつか建てられており、立て看板には【山菜汁あります】なんて書かれているが、どう見たって山菜汁が振舞われているようには見えない。無人のテントがそれを物語っている。


「ちょっとトイレ行ってくるわ」


 バイクを閑散かんさんとした駐車場に停めると、ハーフヘルメットを取りながら振り向く彼の名は一里之純平いちりのじゅんぺい妻有総合つまありそうごう高等学校――俗称、妻総つまそうの2年生である。妻総は学ランにセーラー服という制服であるため、一里之の服装も学ランである。もちろん、そのまま着こなすなんてことはせず、ボタンも留めずに前は全開で、中に赤いシャツを着ている。髪の毛も校則に全力で逆らって金髪だ。もちろん、服装検査や頭髪検査の常連である。年頃ゆえのイキがりみたいなものもあり、それは一里之も自覚はしていた。分かっちゃいるけどやめられない――というやつだ。


「私は飲み物を買ってくるね」


 ハーフヘルメットを脱ぐと、ショートボブの髪に手ぐしを通し、自動販売機の方に向かう彼女。一里之の幼馴染であり、そして半年前からは彼女となった赤祖父愛あかそふあいだ。赤祖父が苗字で愛が名前。小さい頃から一緒にいるがゆえ、まさかこんな関係になるとは思っていなかったが、他の男より気心が知れているから楽――との愛からの煮え切らないアプローチで付き合うことになった。好きとか嫌いとかのレベルではなく、お互いそばにいて当たり前の存在であるがゆえ、特に問題もなく今日こんにちまで交際は続いていた。ちなみに愛は一里之のひとつ年上だ。


 トイレを済ませると愛のところへと向かう。道の駅の建物の前にはずらりと自動販売機が並び、中には売店があるようだ。奥の方に【山ごっつぉ】という名の飯処めしどころもあるようだが、どうやら土日と祝日限定の営業らしく、中は薄暗い。ちなみに【ごっつぉ】とは、妻有の方言で御馳走を意味する言葉である。


「はい、純平はいつものでいいでしょ?」


 愛がそう言いつつ自動販売機から取り出したのは、純平が好んで飲んでいる炭酸飲料だった。さすがは昔からの付き合い。純平の好みなど聞かなくても分かっているようだ。


「あぁ、サンキュー」


 純平はペットボトルを受け取ると、蓋を開けてその場で一口。つい少し前までは寒かったのに、最近はまだ5月だというのに暑い日が多い。もう夕方近くだが太陽は沈むまで熱気を散々放出するつもりらしい。本来ならば過ごしやすい季節なのだろうが、ここ数年は極端な気候が続いていた。半分ほどまで一気に飲み干した炭酸飲料は、当然ながら美味いわけだ。喉越し爽快である。


「あ、ここコーヒーやってるんだ」


 純平の飲み物に続いて自分の飲み物を買おうとした愛は、売店の前に立てられたのぼりを見つけ、売店の中へと姿を消す。しばらくするとコーヒーが入っているであろう紙カップを片手に戻ってきた。もしこれで中身が山菜汁だったら笑う。


「それで――この辺りなんだよな? その、いわくを買い取ってくれる店って」


 道の駅のお客は誇張でもなんでもなく、一里之と愛しかいないようだった。駐車場から見えるガラス張りの売店にも、年配女性店員の姿があるのみだ。売店の中に貼ってある【豆大福売り上げ県内第1位】と手書きのポスターが見えるのだが、果たして何を基準にキングオブ豆大福が決まったのか。そもそも、そこまでメジャーな食べ物でもないだろうに。


「うん、噂だとね。いわくを買い取るには、その背景――ようは、どんないわくなのかを調べるんだって。それで、結果的に……」


「愛の学校で起きてる事件も解決してくれるかもしれない――ってか」


 その噂は愛がどこかから聞きつけたらしい。ネットなどで調べてはみたらしいが、情報はなく、正直なところ店名さえ知らない。ただ、ごくごく身近にそのようなお店があるという噂があるだけ。はっきり言って都市伝説レベルなのであるが、当事者である愛にとっては、それにすら頼りたいのであろう。もちろん、純平だって他人事ではない。


「分かっているのはこの道の駅の近くってことと、夕方くらいしか店が開いていないってことだけ。あ、売店のおばあちゃんに聞いてみようか」


 そう言うとコーヒーカップを片手に売店へと逆戻りする愛。純平はペットボトルの中身を一気に飲み干すと、ゴミ箱にペットボトルを投げ入れて愛の後に続く。小さい頃からアクティブなのは愛のほうであり、こうしてよく連れ回されたものだ。


「あの、すいません。ちょっといいですか?」


 売店にお客さんの姿はなかった。入り口のところに小さなカウンターがあり、その中に白髪混じりの年配女性が座っている。どうやら地元の野菜をメインで扱っているようで、ずらりと野菜が並んでいた。一番人気の豆大福は――なるほど、今日はすでに品切れらしい。きっとこの近所に豆大福のファンがいるのだろう。そうでなければ、こんなド平日に売り切れるわけがない。


「はいはい、なんでしょう?」


 年配の女性店員――おばあさんは、愛に話しかけられると屈託のない笑顔を浮かべる。


「あの、この辺りに古物商店があるって聞いたんですけど、その……私達、お店の名前とかも知らずに噂だけでここまできたんですけど、何かご存知だったりしませんか?」


 愛に問われたおばあちゃんは、やや目を細めて宙を眺める。しばらくすると「そぅねぇ――」と前置きをしてから口を開いた。


「この辺りで古物商といったら猫屋敷さんくらいじゃないかしらねぇ。数年前から代替わりして、前店主のお孫さん……チーちゃんが跡を継いで商いをしていますよ」


 おばあさんの言葉にちょっと引っかかりを覚えた一里之は、愛に耳打ちをする。


「なぁ、猫屋敷って苗字――そんなにメジャーなものなのか?」


「たまたま授業でそんなことをやったばかりだから知ってるけど、確か全国でも20人くらいしかいない珍しい苗字だったと思うよ」


 これは偶然なのであろうか。実は一里之には猫屋敷という苗字に心当たりがあった。同じクラスにいる、ちょっと不思議な女子が、正しく猫屋敷という苗字なのだ。クラスから浮いているわけでもなく、また周囲からうとまれているわけでもないのだが、いつも独りで本を読んでいるイメージが強い。どちらかといえば、あちらのほうが周囲と関わることを拒否している――そんな雰囲気を持ったクラスメイトなのだが。


「いや、たまたま俺と同じクラスに猫屋敷って女子がいてさ……」


 一里之が言うと、愛より先におばあさんのほうが口を開く。


「あら、あなた妻総の生徒さんなの? 確かチーちゃんも妻総だったはずよ」


 あぁ、なんたる偶然なのだろうか。もしかすると、一里之が目指そうとしている場所――それこそ都市伝説レベルだとまで言われている古物商店だが、孫のチーちゃんとやらが跡を継いだということは、一里之の知っている猫屋敷こそが、その古物商店の店主だということになるのではないだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る