奈落の神の福音

J@オルカ船上特別市

第1部 The fantasy woman

第1章 呪術師の女/The fantasy woman

呪術師の女/The fantasy woman ①

 満月色の双眸そうぼうが問う。超科学の時代を、人類はどう生きるのか。そして、世界最後の呪術師を、我々はどう生かすべきなのか。


 マーカス・アイザワ『エンド・オブ・ファンタジー/幻想と科学のはざま』より抜粋ばっすい





 ◇


 これは、よくある探偵の物語であり、世界から消えゆく呪術師の物語であり、呪縛と宿命を背負った女の物語だ。

 そして、わたしがまだ、この世のすべては解明可能だと信じていたころの話でもある。


 ◇


 台風一過の完全人工都市は、不気味なほどの晴天だった。塗りつぶしたように青い空から、太陽の光が暴力的に降り注ぐ。今日の熱帯不快指数は今季最高になる予報だ。


 二二二一年九月三日。

 わたしは、まぶしさから手で目元をおおいながら、オルカ船上特別市にある住宅街にやってきた。二年前から愛用している腕時計型PDA携帯情報端末で確認すると、時刻は午前九時半を少し過ぎたところだ。


 指定の集合場所は、本来向かうはずの事務所ではなく、小綺麗な六階建てのマンションだった。どうやらごみ収集日のようで、オルカ市指定のごみ袋が整然と並んでいる。駐輪場のバイクや自転車も同様。防犯カメラの数からしてもきちんとした印象だ。最寄駅からの道のりは人目の多い大通りで、徒歩三分程度。たぶん家賃は安くない。


 そんなマンションの入り口には、黄色と黒の警戒用テープが張り巡らされている。現場にいるのは、制服警官、刑事、鑑識かんしきなどさまざまだ。警戒用テープの向こうでは、血痕とか、凶器とか、物騒な言葉が飛び交っている。


 ところで、わたしはテープの内側に入ってもいいのだろうか。そう思いながら、ブラウスの袖口につけた探偵局監察課のマークが入った黄色の腕章を見下ろす。ここに呼ばれたということは、この事件は警察がコンサルタント契約を結ぶ探偵――つまりわたしの監察対象が捜査するものだ。となると、腕章をかかげてテープをくぐってもいいような気がする。新しい上司の指示を思い出すも、「なるようになるわよー」としか言われていない。


 そうして逡巡しゅんじゅんしていると、マンションのエントランスから一人の男の人が出てきた。事件現場にいる人たちは、きっと刑事だな、鑑識だな、と職種を想像できるが、彼が何者かはわからなかった。怜悧れいりを通り越して冷酷そうな気配を持ち、周囲より頭ひとつぶん以上も背が高く、おまけにスーツやネクタイの組み合わせが洒落ているせいで、場の泥臭さから浮いている。

 彼はエントランスを出たところで立ち止まると、じっとわたしを見た。らすように目が細められる。また歩き出すと、警戒用テープをひょいとまたいでこちらにやってきた。


百目鬼どうめき由佳ゆかさん?」


 目つきも気配も冷たいその人は、声まで冷たかった。おまけに、最高気温は三十七度と言われる日に、きっちりスーツを着込んで汗ひとつかいていない。不気味だ。ラグジュアリーブランドの広告モデルと言われても信じてしまいそうな品のいいハンサムだが、殺し屋なのだと言われてもきっと信じる。


「そうです。日本探偵局オルカ支局監察課から参りました。本日より、呪術師兼探偵の江破えば鏡子きょうこさんの専任監察官を務めます、百目鬼由佳と申します」

「はい」


 目の前のハンサムは驚くほど無機質に言うと、PDAを操作した。わたしのPDAに電子名刺が届く。


「俺は江破調査事務所で、江破の秘書をしています。甲斐谷かいたにいたるです。よろしく」


 よろしく、と思っているようには聞こえない声だ。送られてきた電子名刺に装飾的な要素はなく、内容も名前とPDAの電話番号しか載っていない。


「そういえば、百目鬼っていう名前のエッセイストがいるよね」


 言われて、暑さとは違う理由で背中に汗が伝った。シラを切る方法をいくつか考えたが、甲斐谷さんとは長い付き合いになるかもしれないので、


「……百目鬼雅隆まさたかは父です」


 と答える。「ああ、やっぱり」と甲斐谷さんは無表情のまま言った。


「小学生のころに、興味本位で『女体にょたいラッパ飲み』を読んだよ。今でもちょっとしたトラウマだ。あれはガキが読むものじゃないね」


 あはは、と甲斐谷さんは乾いた声で笑う。わたしは愛想笑いを返しながら、彼が父の最新作を読みませんように、と強く祈った。


「ところで、この状況からして事件が起きて、江破さんが派遣されたんですよね? なにがあったんですか?」

「殺人」


 事態の重さに不釣り合いなほど軽い口調で甲斐谷さんは答える。こっち、と言うように手招きをして、また警戒用テープの内側に戻っていく。わたしもテープをくぐり、生まれてはじめて殺人現場に足を踏み入れた。


「来週から、オルカ市長選の投票がはじまることは知ってる?」

「ニュースで見ました。三人の候補者による三つどもえの戦い、ですよね?」


 オルカの市長選の立候補者は、現職の市長、副市長、新人の三人。市長はこれといった目立つ点はないものの、市長職をとくに問題なく二期務めた信頼がある。副市長はオルカの治安向上プランと市独自の教育費保障制度に関係する具体的な公約で幅広い支持を集め、新人はもともとは人気のあるエンタメサービス系の社長だったこともあり、政治に無関心な若者層から注目されている。


「今のところ、現市長の再選っていうのが濃厚なんだけど、殺しがあったんだよ」

「まさか市長が殺されたんですか?」

「いや、その秘書。野原のはら麻耶まやさん」


 マンションのエントランスからエレベーターに乗り込む。エレベーターの中も、防犯カメラに見守られている。わたしはそのカメラのレンズを指さした。


「犯人、防犯カメラに写っていないんですか?」

「このマンションはリノベーションしていて綺麗に見えるけど、実際は築四十年越えでね。防犯カメラはお飾りだし、システムがどれも旧式なんだ。おまけに管理会社は杜撰ずさんな体質で、システムメンテナンスやバージョン更新をおこたっていたから、ウイルスやハッキングに弱い」


 甲斐谷さんはエレベーターのボタンの5を押した。


「犯行時刻の映像は、前日のものに差し替えられていた。ちなみに、ハッキングの痕跡は海外のサーバーを経由しまくっているせいで、まだろくに辿たどれていない。二十三世紀にもなってこんなことがあるとはね。まったく、前時代的だ」


 エレベーターが五階に到着する。五階の廊下ろうかには、マンションの前やエントランスよりも大勢の刑事や鑑識がひしめいていた。甲斐谷さんによると、事件現場は五〇七号室だそうだ。

 しかし、肝心の五〇七号室の前には、だれもいなかった。甲斐谷さんは、一番近くにいた刑事に「ちょっと様子を見てきます」と言って、革靴にビニールカバーをかけ、部屋に入っていく。手招きされるので、わたしも同じようにしてそれに続く。


 だれかが死んだ部屋に入るのははじめてのことだった。部屋は広めの1DKで、入ってすぐのキッチンはきれいに整理されていた。調味料が一通りそろっているあたり、殺された野原麻耶さんは家庭的な人物だったらしい。掃除が行き届いていて、細やかに暮らしている人だったことがうかがえた。人が死んだ場所、と聞いてイメージする不気味さはあまり感じない。すりガラスをはめ込んだ引き戸の向こうの部屋は日当たりがいいようで、キッチンにも明るさが伝わってくる。


 それだけじゃない。歌が聞こえる。


 女が歌っている。

 日本語ではない。英語でもない。聞く者を不安な気持ちにさせる独特な抑揚で、どの国の言語とも知れない言葉で歌っている。

 歌声はわずかに高く、糸を張り巡らせるような静かさで響いている。


「か、甲斐谷さん」


 この歌はなんですか、と聞こうとしたら、甲斐谷さんは仕草だけで静かにするように指示した。そのわりに、乱暴な動作で奥の部屋に続く引き戸を開ける。


 ベッドがあり、書き物をする机があり、小さな本棚とメイクスペースがある部屋は、思った通りの明るさで満ちていた。ただ、フローリングには白いテープで被害者の発見時の姿勢が描かれている。掃除をしたあとなのだろうけど、まだかすかに血のにおいがする。

 そんな部屋の真ん中で、真っ赤な長い髪の女が、目を閉じて歌いながら踊っている。

 じっくり聞いていたら、意識を遠い遠い、戻れないほど遠いどこかに連れていかれてしまうと思った。踊っているのに、足音どころか衣擦きぬずれの音も聞こえない。


 女は、残暑が厳しい九月であるにもかかわらず、黒い長袖のタートルネックにスキニーパンツという井出達いでたちだった。腰には夏物の黒いジャケットを巻き付けている。一方で、足元は裸足はだしだ。黒いペディキュアを塗った足には、へびうような刺青いれずみが走っている。ひらりと動く手も同様だった。

 歌声が、だんだんと力強くなる。感じるはずのない、きっと感じてはいけない気配を、わたしは感じはじめている。


 ――怖い。


 そう思った瞬間、閉ざされていた女の目が開き、わたしを見た。


 輝くような、だった。

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