ナスタチウム
長かった戦争が終わって、兄が家に帰って来た。胸に幾つもの勲章を付け、奇跡的に五体揃って玄関に立った兄は、数年前と同じように微笑をたたえていた。けれど、その微笑は、私の肌を粟立てた。
「戦争に勝ったのは君たち兵士のお陰だ、ありがとう。素晴らしい愛国心を誇りに思うよ」
家に招いた近隣の人々が、そんな言葉を兄に掛ける。兄はただ静かに微笑んで、控えめに頭を下げるばかりだ。宴会は盛り上がり、やがて兄は人々の話題から解放された。暫くして、彼の姿を見失った私は家じゅう探して、バルコニーに佇む彼を見つけた。
私が近づくと、夜空を見上げていた兄は、私に向かって微笑んだ。温かな初夏の空気が、急に冷え込んだ気がした。
「生きて帰れるとは思ってなかったんだ」と、兄は言った。
「銃撃と土煙と混乱と、それから恐怖だ。あそこには、それだけ」
私の胸に風穴が開いたようだった。
兄は、そこで変わったのだ。変わりたくなどなかったろうに。決定的に、不可逆的に、変わらざるを得なかったのだ。
「愛国心、なんて」
兄は初めて、温度のない微笑をやめ、冷たい嘲りの表情を浮かべた。虫たちの大合唱が脳に刺さり、私は、見知らぬ他人のような男の隣に、馬鹿みたいに立ち尽くしていた。
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