オダマキ
ツノが生えてきた。夫の帰宅がひどく遅くなって、ひと月目に。両眉の少し上、前髪の生え際の辺りに、二本。
ストレス性の吹き出物がなかなか治らないので皮膚科に行こう、と思っていたけれど、吹き出物のレベルを超えてぷっくりと浮き出てきたこれは、多分、ツノだ。
「え、何その鉢巻……なんか気合入れてんの」
昨晩も帰りが遅かった夫は、まだ眠そうに起き出してきて、鉢巻きを巻いた私の顔を見て開口一番そんなことを言った。
「誰のせいだと思ってんのよ」
「は?」
訳が分からないという顔で夫は朝食をかき込み、さっさと出て行ってしまった。どうせまた今日も浮気してくるのだ、そうに違いない。
ツノが疼く。今はまだ、吹き出物にしては立体感があるな位にしか見えないサイズだけれども、私が夫に腹を立てるごとに少しずつ、大きくなっている気がする。隠し切れなくなる前に、別れる準備をしないといけないかもしれない。
けれど、いざ手元に書類を揃えてみると、自分ひとり分のサインでさえ、手が震えて出来なかった。だって、別れたくなんてないのだ。嫌いになんてなれないのだ。
紙切れを前にして肩を震わせているところに、夫が帰宅して「うわあ」と叫んだ。
「なんだよ、大丈夫? え、これ離婚届? え?」
「今日は帰り、早かったんだね……」
お相手との都合が合わなかったの? という台詞を心の中で呟きながら顔を上げると、夫は手に提げた袋からケーキ箱を取り出した。
「だって今日は結婚記念日だろ。最近、上司が身体壊してさ……その補填に残業しなきゃいけなかったから、寂しい思いさせたろ。ごめんな」
記念日、覚えててくれたんだ。
私がぽかんと口を開けるのと、額からツノが落ちたのは同時だった。ころん、と乾いた音を立てて、ゴミとなった紙の上に転がった。
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