ユーフォルビア・フルゲンス

 仕事が繁忙期に入った。

 おちおち食事をとってもいられず、あちこちに電話をかけ、上司の指示を仰ぎ、いくつもの書類を作り、同時にいくつもの書類を破棄した。未読メールと未開封の封筒と、開封したはいいが途中で放置したままになっている封筒の山の中で、ひたすら表計算ソフトと睨めっこして、十指を動かし続けた。腰も肩もこわばって、目元が常に重く痛む。

「猫の手も借りたいってのはこのことだよ」

 深夜に帰宅し、飼い猫にぼやく。賢い黒猫は、宝石のような緑色の目で私を見上げ、分かったというように小さく鳴いた。

 翌日、出勤してみると、いつも隣で書類の山に埋れている同僚が消えていた。はてな、まだ異動の時期ではないはずだが、と首を捻っていると、すらっとした黒髪の美人が、その席に座った。美しい緑色の目で私を見て、微笑んだ。

「今日から暫くの間、あなたのお仕事を手伝うことになりました。どうぞ、よろしく」

 その日から、美人は手際よく私の仕事を手伝ってくれた。まるで長いこと暮らしをともにしてきたパートナーのように、私の意を汲み、頼む前に取り掛かってくれるのだ。お陰で繁忙期は、いつもよりも遥かに楽に終わった。

「ありがとう、君のお陰だよ」

「いいえ、こちらこそ、いつもお世話になっていますから」

 謎めいた言葉を不思議に思った翌朝には、美人の席に、懐かしの同僚が戻っていた。久しぶりじゃないか、と肩を叩くと、彼は怪訝そうに私を見て言った。

「昨日も会ったじゃないか」

 どうやら、黒髪に緑の目の美人は、私の記憶の中にしか存在していないらしい。

 帰宅して、本当に不思議なこともあるもんだなと呟く私に、飼い猫が楽しそうに喉を鳴らした。

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