ミモザ

 部族長の娘に求婚するために、数多の男が命を失った。古来より伝わる伝統的な求婚の儀に、ある稀少な花が必要だったためだ。非常に獰猛な肉食獣が好んで、咲き次第すぐに巣に引き入れてしまうその花を、命を懸けて取って戻って来た者だけが、相手へ求婚出来るのだ。

 部族の中で最も美しい部族長の娘は、毎朝、勇んで飛び出す若者たちを送り出した。彼女の憂いを帯びた瞳は長いこと輝きを忘れ、自らのために命を投げ打つ気でいる男たちの顔を、まともに見ることが出来なかった。

 その日の朝、ひとりの若者が、怯えた様子で彼女に会いに来た。「まさか貴方まで」と息を呑む娘に、若者は気弱な笑みを浮かべた。

「君とともに生きるためには、命を懸けなくてはいけない決まりなんだものね」

 娘は、悲しげにその背中を見送った。彼に、花を取って戻って来られる筈がなかった。力の強い男が重用される部族内にあって、もっぱら家畜の世話に従事し、詩を吟ずることが好きな彼のような男は珍しい。それ故に馬鹿にされることの多い男だったが、娘は、彼が自分のために編んでくれる言葉が好きだった。

 その晩、娘がなかなか寝付けずにいると、寝室の窓をこつこつと叩く音がした。慌てて外へ出ると、若者が、涙でぐちゃぐちゃになった顔で立っていた。

「ぼくには出来なかった。巣に入る前、君のことを思ったら、死ぬのが怖くなった」

 娘の瞳に、星の瞬きが戻った。久しく消えていた潤いが、星の間に膜を張ってゆく。

 彼女は、去ろうとする若者を留め、しっかりと抱き寄せた。

「そうしてくれる人を、ずっと待っていたのです。私のために命を棄てるのではなく、私のために、私とともに生きてくれる人を」

 翌朝、娘と若者の姿はもう、どこを探しても見当たらなかった。

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