ベゴニア・センパフローレンス

 隣のデスクに座るカイドウさんは、とても親切だ。私が新入社員として迎えられた時から何かと教えてくれて、よくランチにも誘ってくれる。職場以外の場所でも親切で、外で道を聞かれると地図まで書いて教えてあげたり、困っている人がいたら迷わず声をかけたりしている。私にはなかなか出来ないことなので、尊敬してしまう。

 そんな彼女は、肌身離さず手帳を持ち歩いている。綺麗な花柄で、よくデスクで開いては書き込みをしているところを見る。ある日チラッと見えたページには、細かい文字がびっしり並んでいた。

「わあ……すごく細かい文字ですね」

 思わず声を上げてしまい、私は慌てて手を振った。

「すみません、覗き見した訳じゃないんです……たまたま見えちゃって」

「別に良いよ。見られて困るもんでもないし」

 穏やかに微笑んで、カイドウさんは手帳を眺める。

「これはね、備忘録なんだ」

「ああ、スケジュール帳ではないんですね」

「うん。この中には、私が人にした親切を書いているんだよ」

「へ?」

 聞き間違いだろうか。でも、何を言ったらそんな聞き間違いをすることになるだろう。カイドウさんは確かに、『人にした親切を書いている』と言った。

 疑問符を浮かべる私に、カイドウさんは穏やかに続ける。

「情けは人の為ならず、って言葉あるでしょ。人に情けをかければ、それはめぐりめぐって自分に返ってくるっていう。だからね、ここに自分がした親切と、その人から返ってきたことを全部メモしてるの」

 忘れないようにね、と微笑むカイドウさんに、私は何と返したのだったか。あまりに予想外の話に動転して、全く覚えていない。

 ただ頭から離れないのは、カイドウさんが開いているページに書き込まれた、一つの表。几帳面に定規を使って書かれたらしいその表には、職場の同僚たちの名前と、何かしらの印が記されていた。そして、私の名前の下には……何も記されていなかった。

 翌日以降、私は欠かさずカイドウさんに差し入れするようになった。

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