イヌサフラン

 これが最後の一投だ。

 球を握る指に力が入る。この三年間……いや、小学生時代から数えれば十年以上も繰り返してきた動作も、今日で終わりだ。

 眩しい日差しの下、バットを構えた相手チームのエースが、涼しげにこちらを見据えている。おれの投げる球など、おれたちの懸命の打球や走りなど、踏み台としか思っていないのだ。そしてそれは、悔しいが事実だ。

 でも、勝ち上がれないということは、実はそれほど気にならない。そもそもが弱小校で、地区大会の決勝にすら進めたことが無いのだから、元々期待はしていない。ただ、名残惜しかった。公式に記録の残る試合は、これが最後だ。大学に進んだらきっと野球をしている時間など無いし、プロ選手になれる訳でも無い。どこかアマチュアのチームに入って続けることは出来るだろうが、今、この瞬間のような、すべてを出し尽くすつもりで挑める試合など、そうそう経験できないだろう。

 陽炎すら見えるような暑さの中、吹奏楽部の演奏に合わせて、相手チームの応援歌が聞こえてくる。おれは額から垂れてきた汗を拭い、自分の青春の全てを込めた球を放った。


 監督から最後の言葉を掛けてもらい、おれたちは帰路に着いた。思わず涙をこぼすやつ、肩を寄せ合い健闘を称え合うやつ、色々いた。おれは試合で水分を出し切ってしまったのか涙さえ出ず、その呆気なさに言葉も出ないまま、グラウンドを後にした。

 門を出たところで、イヌカイに呼び止められた。後輩全員で、引退する三年生に寄せ書きをしたらしい。個性溢れる文字で埋まった色紙を受け取る。

「浮かない顔ですね。やっぱり悔しかったですか」

「いや……ただ、これでおれの青春は終わりなんだなってさ。死に物狂いで受験勉強して大学に行って、あとは大した情熱も無く仕事するだけなんだって」

 イヌカイは大きな目を見開いた。

「そんなことありません」

「え」

「これから大学で色々学んで、仕事先でも毎日新しい出会いと発見をして、何もつまらなくないです。先輩はこれからもっと大きな舞台に出ていくんです。先輩の青春は、まだまだこれからですよ。きっと野球以外にも、野球くらい熱中できるものが見つかります。先輩なら大丈夫です」

「根拠のないこと言うなよな」

 苦笑いしながら、暮れかけた空を見上げる。夏の終わりを確信させる涼しい風が、火照ったままの頬に心地よい。

 きっと、美しい秋が来る。

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