フウセンカズラ

 窓の外には入道雲。見渡す限り晴れ渡った、夏の空。こんな日には、あの時のことを思い出してしまう。

 世界が終わるという予言があちこちで取り沙汰され、世界が終わらなかったとしても、きっとぼくには未来なんてないのだと信じるほか無かった、あの頃。何もかも上手くいかなくて、でも逃げる場所も見つけられなくて、放課後こっそり忍び込んだ屋上から見た、あの空もやはり青かった。ただ予想と違ったのは、既に先客がいたことだ。

 同じ学校の制服を着た、女子。黒く重たげな長い髪が風に吹かれ、その間から見えた表情は、ぼくと同じ。彼女は既に靴を揃え、フェンスを乗り越えようとしているところだった。今しがた開けた扉が大きな音を立てて閉まり、女子はこちらを見た。

「君も一緒に、飛ぶ?」

 思いがけない誘いだった。しかし、元よりそのつもりだったぼくは無言で頷いて、隣に立った。快い風が下から吹き上げてきて、彼女のスカートをばたばたと煽る。

「じゃあ、いっせいの、で」

 言いながら、女子の左手が、ぼくの右手を握った。その瞬間、ぼくは理解した。今から自分が何をしようとしているのか。この女の子が、何をしようとしているのか。それをしたらどうなるのか。そこにあるものが本当は何なのか。

 その左手が、震えていたから。

 言葉じゃだめだ、と思った。だって言葉は嘘をつく。ぼくは彼女が口を開く前に、フェンスに掛けていた左手を外して、その頼りない体を抱き締めた。震えている、生きている身体、生きている彼女を。

 いっせいの、は来なかった。


「何、見てるの」

 洗濯物をカゴに詰めた妻が尋ねる。「なにみてるのお」、と三歳になった娘が真似をする。ぼくは窓から目を外し、愛しい二人に微笑んだ。

「あの時飛んでなくて、本当に良かったなって思ってさ」

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