~85~ 両親の愛情

「本当に良いところだったわね」

「うん」

 羽琉もそう思うので素直に肯く。

「母さん。いろいろとありがとう」

「どうしたの、急に」

 不思議そうに羽琉に視線を向けた後、運転中の佐知恵はまた正面に視線を戻す。

「月の光に入所させてくれたこと、僕の面倒見てくれたこと……すごく感謝してる。それにここ最近のことで言えば、エクトルさんとの交際を認めてくれたこと、フランス行きを承諾してくれたこと……。全て母さんに相談することなく僕が勝手に決めてしまったことなのに、母さんは真剣に僕の話を聞いて受け止めてくれた。母さんじゃなかったら、僕はエクトルさんとのことを正直に話そうとは思わなかったと思う」

「私はそんなことに偏見を持たないからね。それでもフランス行きはさすがに驚いたわ」

 少し咎めるように言う佐知恵に、羽琉は苦笑して「ごめん」と謝った。

「でも羽琉が自分で、エクトルさんについていきたいと思ったのよね?」

 「うん」と羽琉は即答する。

「こんなこと初めてで、自分でもまだ分からないところがあるけど、今のこの気持ちに嘘はない」

「その強い意思はエクトルさんからも感じた。羽琉が言ってたようにエクトルさんは素敵な方だと私も思ったわ」

 佐知恵は長い人生経験の中で、国内外での様々な出会いや別れも経験している。その人生経験を経ているからこそ、エクトルの人柄を短時間で見極められたのかもしれない。だが決め手になったのは、羽琉とエクトルの互いに対する態度が穏やかで優しく、2人の間に流れるものが恋人としての愛情を思わせるものだと感じたからだ。エクトルの性格も嫌いではない。

「あ、そうそう。母さんの日本語教室の生徒さんにフランスの方がいてね、エクトルさんが勤めてるエルスって会社のことをちょっと聞いてみたの。そしたら丁度その方が以前エルスに勤めてたらしくて、エクトルさんのこともご存知だったのよ」

「え、そうなんだ」

「かなり大きな会社みたいね。フランス人なら知らない人はいないって言ってたわ。その方は直接の面識はなかったみたいなんだけど、エクトルさんがその手腕を買われて特別な役職に就いてることとか、性格の良さから人望の厚い方だったということは知ってたみたい」

 会社でのエクトルのことは羽琉にも分からないが、そういう風に周知されているならやはり社員にも慕われているのだろう。

「エクトルさんみたいに若い人が要職に就いていて誰からも疎まれずにいられるっていうのは、とてもすごいことだと思うわ。そのあたりも手腕の中に含まれているのかもしれないけど、余程周りに気を配ってるのね」

 確かにエクトルはそういうことですら手を抜かず、水面下できっちり調整していそうな気がする。でもそれは悪いことではないだろう。仕事をする上での効率を考えれば障害は少ない方が良い。

「昨日話してて、エクトルさんの人となりは理解出来たし、私も好感が持てたんだけど……。正直ね、羽琉を預けるとなるとやっぱり不安はあったの。だけど会社でのエクトルさんの話を聞いて、少しほっとした。ちょっと勘ぐっちゃってごめんね」

 苦笑しながら佐知恵が謝る。

 佐知恵の心情は理解出来るので羽琉は首を横に振った。

「エクトルさんと幸せになりなさいね」

 昨日の2人の様子と自分が得た情報から加味し、佐知恵はそう答えを出した。

「……」

 運転する佐知恵の表情がといった諦めのようなものではなく、本心で思ってくれていることに気付き、小さく微笑んだ羽琉は「うん」としっかり肯いた。

「それから日本での羽琉の家は花村家うちだからね。何かあった時は……ううん、何もなかったとしても時々は連絡してね」

「うん……分かった」

 そして「それから……」と佐知恵が話を続ける。

「少ないかもしれないけど、受け取って」

 そう言って佐知恵がバックから取り出したのは、茶封筒だった。

 受け取った羽琉が中身を確認するとカードが入っていた。

「国際ブランドのプリペイドカード。大手のクレジットカード会社との連携だからフランスでも使えるわ。本当は通帳に貯めてたんだけど、羽琉はあんまり欲しいものとか言わなかったから。だったら羽琉がいずれ1人暮らしする時に渡そうと思って誠也さんと一緒に貯金してたの」

 羽琉は驚いたように目を瞠り、「これ、貰えない」と小さく頭を振った。

「だってこれまでずっと母さんに入所費も払ってもらってたのに、それ返さなきゃいけないのに……こんな、貰えない」

「羽琉」

 赤信号で車を停めた佐知恵が後部座席を振り返る。

「羽琉が私に返済しなきゃならないものなんてない。そしてこれは私と誠也さんからの羽琉への餞別なの。受け取ってもらわないと困る」

「でも……」

「誠也さんもね、本当は今日私と一緒にお見送りしたかったんだけど、今日は抜けられない会議が入ってて仕事休めないって言ってた。でもいつでも遊びに帰っておいでって。みんなで待ってるからって」

「……」

 羽琉は手にある茶封筒を握り締め、顔を伏せた。目頭が熱くなり、涙が溢れる。

「私たちはいつでも羽琉たちの幸せを願ってるからね」

 青信号に変わり、佐知恵が正面に視線を戻したと同時に俯いていた羽琉の目から涙が流れた。

 それから声を殺して涙を流し続ける。ここまで自分を思ってくれている佐知恵や誠也に溢れ出る涙が止まらない。

 鼻を啜る音で佐知恵も羽琉が泣いていることは分かっていただろうが、佐知恵は黙って車を走らせ続けた。

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