~64~ 母・佐知恵
「
そうフランクから報告を受けた時のことをぼんやりと思い出す。
羽琉を絶対に手放したくないエクトルは、明日の対面で佐知恵から渡仏への承諾を得なければならない。エクトルの容姿から第一印象はクリアするだろうが、それは逆に疑心を抱かせてしまう要素でもある。いわゆる胡散臭さというものだ。
佐知恵が離婚してからも羽琉の身を案じ、頻繁に羽琉のところへ足を運んでいたことも分かっている。そして心身共に衰弱しきっていた羽琉に必死になって月の光への入所を促した。佐知恵にとって羽琉は今でも大事な息子であることは明白だ。例え羽琉自身が渡仏したいと言っても、そう簡単に首を縦には振らないだろう。
「さすがにハルをフランスに連れていく理由が薄いのは確かだな」
エクトルは眉間にしわを寄せ難しい顔で沈思する。
普段ならば難攻不落な相手ほど攻略するのに燃える質なのだが、今回ばかりは良案が全く浮かんでこない。
いや。良案なら……ある。
だが、使えない。使ってはいけないと思う。
それ以外でも何かしら案は浮かんでくるのだが、頭の中でシュミレーションした結果、どれも失敗に終わる未来しか見えてこなかった。
微かに目を伏せたエクトルは意味深に長嘆を洩らす。
その場しのぎのような雑な案も通用しない。佐知恵が思慮深い人だと見越した上で対策を練らないと、渡仏の件が永久に流れてしまう可能性だってある。慎重かつ冷静に対応しないと、大事な子供を持つ母親を承服させることは出来ないのだ。
自分たちの関係性を伝えることが出来れば多少は話を早く進められそうだが、今も羽琉の心的苦痛になっている過去の惨事のことを考えると、恋人同士だと打ち明けるのが最善とは言い難い。それに母親の新しい家族のことまで気遣っている羽琉を見れば、同性同士という母親がショックを受ける――かもしれない――ことを言うことは避けたいはずだ。
一旦思考を止めたエクトルは眉間に寄せていたしわを伸ばし、ソファーの背に凭れ、深い溜息を吐いた。
佐知恵を攻略する策は浮かばないが、ただ1つだけ良かったと思うことがある。それはフランスではかなり有名な会社の要職に就いているという、エクトルの素性が明確な点だ。少なくとも羽琉を誑かして誘拐しようとする不逞な輩として見られることはないだろう。
「こんな肩書き、いらなかったんだけどね」
自嘲気味に笑って低く呟く。
男として出世に全く興味がなかったわけではない。しかしこの役職に就いたお陰でいらぬ者を引き寄せることも多々あった。それは女性であったり、他社であったり、上司や同僚であったりと多岐に渡る。そのため役職を担うことが疎ましく思うことすらあった。
だがその煩わしさは今、自分の人生にとって一番大切な人を手に入れるための大事なファクターに成っている。
ハルだけは手放したくない。
結局その想いだけが、今のエクトルが佐知恵に勝てる唯一の強い願いかもしれなかった。
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