~40~ 普通の男
滅多にない感情の昂りで昨夜なかなか寝付けなかった割には、いつもより早めにエクトルは目を覚ました。体にだるさが残っているが、寝不足のせいでないことは明白だ。
時間的には余裕があるが二度寝するのも気が進まず、エクトルはベッドから体を起こした。
寝室から出ると、当然のように待っていたフランクが「おはようございます」と挨拶をする。合わせてエクトルも「おはよう」と返した。
ソファーに座りながらテーブルに揃えてあるジャーナル紙を手に取ったエクトルに、フランクが本日のスケジュールを確認する。もちろん全て夕方以降の予定ばかりだ。
「いつものように午前中は何も入れておりません」
「ありがとう」
そう返したが、今日は連絡が来ないだろうとエクトルは思った。
昨日の今日で羽琉の体調は芳しくないはずだ。精神的な苦痛から逃れるのは容易ではない。一度蓋が開いてしまえば、芋蔓式に不快な出来事ばかりが思い出されてしまう。
きっと羽琉は辛い夜を過ごしたに違いない。
そう思うと、エクトルは居た堪れない気持ちになった。
今はどうだろうか? 泣いてないだろうか? 苦しんでないだろうか? 不安になってないだろうか?
そう思えば思うほど、そばにいたいという衝動に駆られる。震える羽琉を抱き締め、安心出来るように背中を摩り、頭を撫で、そして大丈夫だと伝えたい。
「……切ないってこういうことか」
突然のエクトルの呟きに一瞬目を丸くしたフランクだったが、ふっと苦笑するように柔らかく笑んだ。
「小田桐さんはいろんな感情をエクトルに教えてくれますね」
「そうだね。ハルのことに関しては初めてばかりだ」
「そうやって悩むことが相手を想うということです。小田桐さんに出会えて良かったですね」
フランクの言葉にエクトルは弱く笑った。
「でも不甲斐なさが募るばかりだ。無力過ぎて情けない」
「小田桐さんのこととなると途端に一般人になりますね。数々の企画を成功させ、会社からの信頼も厚いエルスのマネージメント補佐とはとても思えない様相です」
「貶されているのか?」
「いいえ。私としては喜ばしい限りだと申しております」
どういうことかと視線で促すと、フランクが「前にも話したように」と話し始めた。
「エクトルは完璧過ぎるので少しぐらいは弱みがあった方がいいです。その分、同僚や部下のことも今以上に身近に理解出来るでしょう。それに一般人と同じ目線になることは、人事も司っているエクトルにとっては重要なファクターです。内部も外部もより理解してこそ、世間のニーズに合わせた企画を生み出すことが出来ます。それを踏まえた上で、エクトルの手腕に掛かれば業績も伸ばすことが出来るでしょう。エルスの将来も安泰ですね」
「……さすが有能なメンターだ」
そこまで会社のことを考えているフランクに、エクトルは呆れたように溜息を零す。
しかし「だからこそ」とフランクの話は続いた。
「小田桐さんは公私ともにエクトルに必要な方だと思っています。エクトルの心の充足には小田桐さんの纏う空気感が不可欠です。小田桐さんの生真面目さや優しさは相当な癒しになります。加えて、小田桐さんのことを想い、苦悩している普通の男の姿も悪くありません。私はエクトルの恋愛が成就されることを祈っております」
エクトルは少々遠回しで慇懃なフランクの応援に複雑な心地になりながらも、心強い味方がいることに感謝することにした。
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