~39~ 冷静

 それから羽琉は眠れずに朝を迎えた。

 まだ心の靄はあるが、昨日のような動揺や落胆は消えていた。

 妙にすっきりしているような、逆に冴えすぎのような、不思議な感覚に捉われるが、羽琉にはその理由が分かっていた。

 人を信じるのが怖い羽琉は、常に裏切られることも頭の隅に置いている。

 家族でさえも信じてはいけないのだと、そう知ったあの時から人との接し方が変わってしまった。これは自分が傷付かないようにするため、自分の中で作り上げた一種の防衛術だ。

『半信半疑』

 いつしか羽琉の中では、人と接する上でそれが心得のようになっていた。だからこそ今回のことに関しても冷静になるのは早かった。

 あの後、翔悟のことを思い出した。少し鼓動は速くなったが倒れるほどではない。そのことに安堵の息を吐く。

 翔悟は高校時代と変わらず陽気だった。誰とでもフレンドリーに会話をする翔悟には、苦手な相手という者がいないのかもしれない。だが羽琉からすれば性格的にも程遠い人物だったので、クラスメイトではあったが接点はほとんどなかった。

 窓から射し込む朝陽を浴びつつ、「不覚だった」と羽琉は呟いた。

 動揺を隠すことも出来たような気がするが、予想外だった翔悟の出現に、しっかりと鍵をしておいた過去たちが次々と頭の引き出しから溢れ出し、整理する間もなく先に精神が参ってしまった。羽琉自身も倒れるとは思ってもいなかった。

「せめて謝ることは出来るかな」

 会わないと書いてあったメモは、まだオーバーテーブルの上に置いてある。

 羽琉としては昨日のことを謝りたいのだが、あんな迷惑を掛けた後で電話に出てくれるかどうか分からないと思うと、施設内にある公衆電話の受話器を取ることも出来なかった。もし羽琉のことを疎ましく思っていたら、着信拒否するかもしれない。そうなると謝ることも、助けてもらったお礼を言うことも出来ない。

 羽琉としては謝罪と礼が出来れば良いと思っていた。エクトルに対する答えはまだ出ていなかったが、エクトルが羽琉への気持ちを消失させてしまったなら答えを出すことにもう意味はない。

 ただ、エクトルと会えなくなるのは少し淋しいかもとは思っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る