第33話

「玲ちゃん。これから君に伝えておきたいことがあるんだ」

「結構よ。お父さんとお母さん、妹を助けてくれなかったあんたに貸す耳なんてないから」

 腰を落として話しかけてようとする俺にあからさまな拒否反応を示していた。


 ずいぶんとマセたお嬢ちゃんだな、というのが俺の第一印象だった。最近の小学生と自分が思っていたそれとのギャップに驚きを隠せない。

 なにより玲ちゃんの目には憎しみや絶望、そういった負の感情が込められていた。

 この歳で両親と妹を失ったのだから当然と言えば当然だ。彼女の心境は複雑だろう。


 俺が反対の立場なら、助けるならどうしてももっと早く来てくれなかったんだ、もしくは、助けられないならどうして手遅れになってから来てくれなかったんだ、と思うかもしれない。

 

 もはやこの世界は生き地獄だ。

 心の安寧という意味では、死ぬ方がよっぽど楽になれるだろう。

 まずは彼女の家族を助けられなかったことに謝罪するべきだ。たとえそれが小学生の幼い少女だとしても。


「お父さんとお母さん、玲ちゃんの妹を助けられなくて――本当にごめん」

「っ!」

 幼いながらも皮肉を口にした自覚はあるのだろう。頭を下げた俺に対して言葉を失う玲ちゃん。顔を上げて確認すると彼女は今にも泣き出しそうだった。


「でもお父さんたちは命を賭けて君を助けようとしたんじゃないかな? だからその想いを引き継がせて欲しいんだ。俺たちはここをもうすぐ出発しようと思っている。玲ちゃんさえ良かったら俺に――俺たちに君を守らせてくれないか?」


 俺の提案に「うっ、うっ……」とぽろぽろと大粒の涙を流す玲ちゃん。

 やがて村雨先生が彼女の髪を撫で、瀬奈と霧島先輩が手を握る。

 これから俺は小学生を庇いながらゾンビサバイバルを送ることになるわけだ。


 ……ぶっちゃけ難易度が上がる、という点だけで言えば玲ちゃんのチーム加入はそこまで問題じゃない。

 俺は常にこの状況下をゲームだと認識している。もちろん遊びじゃないことは百も承知した上でだ。だからそういうハンデを負うものとして認識し直すことで行動や選択が変化させればいいだけ。


 あくまで俺が恐れたのは今後同じような状況になったとき、なし崩し的に救出した子どもを加入させることだ。加えて霧島先輩に弱点があったこと。

 この二点が解決できるなら玲ちゃん一人の加入ぐらい、このメンバーなら問題ない。

「玲ちゃんの気持ちを教えてもらえないかな?」


「……うっ、ぐすっ、ううっ、わっ、わたしも、連れて行って!」

「うん。了解だ」

 こうしてチーム秋葉に小学生の玲ちゃんが加わった。


 ☆


 日没。キャンピングカー内で初の車内泊だ。

「秋葉くん、霧島先輩。一つお願いしてもいいかしら」

「「どうした(んだい)?」」


 俺と霧島先輩が反応を示すと瀬奈は口元をωこんな風にし、

「はい! どこでも監視カメラ〜!」

 青い猫型ロボットの声真似で道具を取り出してきた。


 ……突然どうした瀬奈えもん。

 いきなりのことに頭の整理が追いつかなかった俺と霧島先輩の眼差しは瀬奈にとって羞恥に打ち震えるのに十分だったんだろう。

 頭上に湯気をボンと浮かび上がらせ、顔を真っ赤にする。


「なっ、なによ……そんな冷たい視線を送らなくてもいいじゃない」


 かっ、可愛いな、おい。年頃の女子高生かよ。

 これは完全な俺の性癖になるが、今度瀬奈には猫耳カチューシャを付けてもらおう。

 理由は分からないが、絶対に似合うといま確信した。本当に理由はわからないが。


「萌えという言葉を生まれて始めて理解したような気がする」

「悔しいが秋葉と同じ感想だ」


「自分でやっておいてなんだけれど、感に触るわね。まあいいわよ。忘れてちょうだい。たぬき型ロボットで紹介したいぐらいにはテンションが上がっていたの」

 と瀬奈が取り出してきたのは手の平サイズの小型カメラ。

 たしか家電量販店のお使いに入っていた機器だ。


 今度こそ俺は瀬奈の機嫌を損ねないように、

「これはたしか……」

「小型防犯カメラよ」


「なるほど。素晴らしいアイデアだな」

 彼女の狙いを読み切った俺は感嘆する。

「今夜は秋葉くんの指示で車中泊になったけれど、備えはあった方がいいでしょう?」


「ああ、もちろんだ」

「えっと……」

 俺たちの会話に追い付けていない霧島先輩に瀬奈が補足する。


「周囲に防犯カメラを設置して当番制で見張りをするの。と言っても秋葉くんや先輩ならともかく私や村雨先生が外で見回りするのはあまりに危険すぎるでしょう? だからカメラの映像を車内のモニターで監視するのよ。これならいち早く危険を察知することができるし、秋葉くんの指示を仰いだり、村雨先生を起こして運転してもらうことができるってわけ」


「ほう。すごいな。秋葉が感嘆するだけのことはある。たしかに車内で監視できるのはありがたい。だがこういうことは専門外なのだが、機器同士をケーブルなしで接続するためにはネットワーク接続が必須なのだろう?」


「通信回線が生きている内ならいくらでもネット使い放題よ。私を誰だと思っているのよ」

「???」

 首を傾げる霧島先輩をよそに俺は辺りを見渡してみる。

 周辺にはマンションもある。無線LANWi-Fiが飛んでいないわけがない。瀬奈の腕ならそれに乗っかることなど造作もないだろう。流石だ。


「まあこのあたりは専門的になるから説明は省くわ。要するに安全な旅をするための便利機器ってこと。ただ当然だけれど、ここから離れた先に設置しないと意味がないわよ」

 そりゃそうだ。監視カメラが俺たちから近いということはモニターで危険を察知しても、目と鼻の先に危機が迫っていることと同義。

 慌てて対応することになり、かえって冷静さを失う。こういうものは事前にリスクを認識できることに意味があるのだから。


「つまりお願いはカメラを設置して欲しいということでいいんだな?」

 俺の確認に瀬奈は申し訳なさそうにする。

「その、いつも危険なことは二人に任せてきりで本当に申し訳ないのだけれど……」


 表面上は自信家で強気の瀬奈だが、俺たちのことを仲間だと認識している分、自分が外に出て感染者に襲われるリスクが最小限になっていることに負い目を感じているのだろう。

 優しい性格ではあるが、日本人らしいとも言える。

 海外ではチームを組んだ以上、各々に与えられた仕事には意地と誇りをかけて取りかかる。そこに負い目などない。課された任務をこなすことが仕事だからだ。


 そういう意味で瀬奈は俺たちにチームに必要不可欠であり、彼女はきちんと自分に与えられた使命をこなしている。しかも俺の予想を上回ってくる働きだ。

 言ってしまえば彼女はいかに感染のリスクを最小限に抑えながらメンバーを手厚く支援できるかにかかっている。そこが評価基準だ。外に出られないことに申し訳なさを感じているようでは今後の働きにも支障が出てしまうかもしれない。


 と言ったことを遠回しに口にする。

 

 霧島先輩の弱点克服と合わせて瀬奈には専門家としての勝気な言動を取れるよう心療に当たってもらおう。


「秋葉の言うとおり気にすることはない。私たちはチームだ。瀬奈くんのサポートがあるからこそ夜、安心して車内で寝ることができる。これは私ではみんなに与えられない安寧だ。もっと自信を持った方がいい」


 ありがたい。最初こそ霧島先輩&瀬奈の凸凹ペアに不安があった俺だが、現在では良いコンビだと思い始めていた。

 互いが互いを補完している。この組み合わせが化学反応を起こしていると言っても過言じゃない。

 よく分からないところで意気投合するところも、互いに通じるものがあるということだろう。


 ……だが、これから旅をする上で車中泊の頻度は増えていくだろう。

 その度に遠隔地まで俺と霧島先輩が徒歩で向かうというのも考えものだ。

 バイクは音と燃料の問題を加速させてしまう。何よりキャンピングカー内外に積めないだろう。却下だ。


 持ち運び、音、燃料の問題がクリアできる自転車はどうだ……悪くない。最優先候補だ。

 だが、なぜか納得していない自分がいた。

 これから監視カメラを設置するにあたりもっと快適で速い――加えて問題がない乗り物はないのか。


 俺は素直に聞いてみることにした。

「瀬奈。監視カメラの設置するときに自転車やバイク以外の乗り物で何か思い浮かぶ物があるか?」

「ああ、それなら◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️なんかいいんじゃないかしら?」


 言ったそばからパソコンを操作し実物を動画で見せてくる瀬奈。

「これはいい……! どこで売っているか調べておいてくれ」

「ごめんなさい。これも家電量販店にあったかもしれないわね。後で思い付いたのよ」


 なるほど。だから自転車とバイク以外の乗り物を即答できたわけか。

 よし。これでまだ一つ旅が安全なものになったな。


 ☆


 今日は俺と霧島先輩の二人一組ツーマンセルが徒歩で監視カメラを設置。

 玲ちゃんは猫のパジャマを着てダブルベッドで深い眠りの世界へ旅立っていた。幼女の寝顔というのはそれだけで癒されるものだと再認識する。

 口調こそ生意気さを感じさせるが、他人の話にはちゃんと耳を貸すことができる少女だった。特に女子メンバーと相性が良く、すでにこのチームでのマスコット的存在として愛され始めている。


 殺伐とした世界で守らなければいけない存在がいることは彼女たちの母性――私がしっかりしなければ、と気を引き締めさせる効果があったようだ。

 こればかりは思わぬ収穫だったと言わざるを得ない。


「秋葉くん! ちょっとこれを見てもらえるかしら!」

 リビングで情報収集をしていた瀬奈が血相を変えて呼んでくる。

 彼女が俺を呼ぶときは良くも悪くも有益な情報源を見つけたときだ。


 運転席のロフト風ベッドから身体を起こしてモニターを眺める。

 そこに映し出されたのは現、内閣総理大臣 秋葉純一郎。俺の父親だ。

 どうやらこれから緊急記者会見を開くようだ。


 なぜか俺は嫌な予感がしていた。強烈な違和感。

 バイオハザードというパンデミックはたった一日で社会のモラルを崩壊させた。

 困惑、不安、恐怖、緊張、絶望――。


 国民が負の感情に支配される中、政府としての対応を公にすることは急務だろう。

 だが、それでも――

 秋葉純一郎という男はとにかく抜け目がない。正直に言えば俺にとっても畏怖の存在だ。


 勝てる、と一度もない。淡い希望でさえ抱かせない勝利への執着。本当に人間なのかと疑ったこと数などとうに億を超えている。

 そんな人物が感染が確認されたたった一日で記者会見だと? 当然だが混乱するこの状況で記者からの追及は厳しいものになるだろう。

 一体何を説明する気なのか。はたまた何を語ってくれるのか。恐怖と共に期待していることを自覚する。


 そんな秋葉純一郎の第一声は、

『「――」』

『「どっ、どういうことでしょうか?」』


 すかさず記者が質問する。しかし、

『「ご質問は最後に伺うと申し上げたはずだが……国のトップであるこの私の注意を聞かないとは――万死に値する。れ」』


 次の瞬間。

 ――バンッ‼︎

 と、無慈悲な銃声が響き渡る。


 この会見を流している局も純一郎側の人間なんだろう。

 すかさず銃殺された記者を映す。そこには額が弾丸で貫通し、血を吹き出した死体が。

 目を懲らせばスーツや軍服に身を包んだ人間が多数いる。


 武力行使。そんな言葉が頭によぎる。

 一瞬で死の恐怖に包まれる記者会見室。

 それも純一郎の次の言葉で止むことになる。


『「静粛に」』

 ごくり。生唾を飲み込む男だけが車内に響き渡る。

 カメラ越しでこの緊張だ。実際に現場に集められた記者は生きた心地がしていないだろう。


『「未知なる生物の誕生はさぞ不安でしょう。まずはその正体についてご説明いたします。すでにSNSなどで拡散されているとおり正真正銘のゾンビ――生きる屍であります。人間を襲って食らう架空上の存在だと思われていたそれであります」』


 親父が――日本国政府がゾンビの存在を認めた⁉︎ 世界が終末に向かっていくとはいえこれは公の報道。あまりいい加減なことは流せないはず。政府が焼けくそになっている線も捨てきれないが、これを口にしたということはすでに政府はその存在を認知しているということ。


 嫌な予感が強くなっていく。


『「ですがご安心を。日本国政府はすでにワクチンを開発し、製造段階に入っております」』


 これを聞いた俺はすぐに村雨先生へと視線を送る。

 彼女なら言葉にするまでもなく答えてくれるはずだ。


「もちろん、ありえないよ。いくらなんでも速すぎる。たとえ感染が確認できた日に奴らを回収していたとしても昨日の今日でワクチンの製造段階に入っているなど人間のできることじゃない。それこそ神でなければな」


「ちょっと待ってくれ。つまりこれはその……どう解釈すればいい?」

 と霧島先輩。俺と村雨先生が同時に口を開く。


「「政府はバイオハザードが発生することを予め知っていたということだ(です)」」


「「なっ……!」」

 今度は霧島先輩と瀬奈が口を揃えて驚きの声をあげる番だった。

「そっ、それって……!」

 何か言いたそうな瀬奈を「シッ」と制止する。純一郎が口を開いたからだ。


『「彼らは脳機能をウイルスに侵された存在。政府は彼らを感染者と呼んでいますが、ワクチンを摂取した結果、感染段階によっては意識を取り戻す者も確認されております」』


『「続いて冒頭の《人類再生化計画》による《選民》についての説明に入らせていただきますが、国民の皆さまにはここでお詫び申し上げなければなりません」』


 これ以上やめてくれ。そんな俺の願いは虚しく純一郎は告げる。


『「感染者は全国で確認されており、いずれも政府が死刑執行待ちの罪人にウイルスを投与し、放置したことが原因であります」』


 きっと画面越しにこの真実を知った生存者たちは釘付けになっていることだろう。

 かくいう俺もモニターから目を離せない。


『「このパンデミックから逃れる術は一つ。この状況下で日本政府――強いては私、秋葉純一郎が与える試練をクリアし、名実ともに《上級国民》として選ばれることです」』


 その後、純一郎は、生きる価値のない犯罪者や何も生産できない無価値な存在はこの国に不要だと告げていく。資源には限界がある中で、人類は爆発的に増え続けてしまったのだと。だから《選民》をすると、そう宣告したのだ。日本全国民に対して。


『「政府により一部の選民は完了しており、彼らは《非感染者特別安全区》、通称《エデン》に移住していただいております」』


 《非感染特別安全区エデン》には日本の経済を支える大企業の社長や幹部などが選ばれているとのことだ。さらに衝撃的だったのは一部の行政、インターネットなどの通信サービスは継続されていくということだった。今後生き延びるために必要なインフラなどの情報は随時、更新されるらしい。発信手段はこれまで通りマスコミや放送局、SNSなどを通じて。


『「《非感染特別安全区エデン》へは《七つの試練》を乗り越えた国民の皆さまを招聘いたします。では第一の試練ですがそれは――」』


 ――


『「七つの試練と聞いて多いと感じられた方もおられるでしょう。しかし、一つだけ全ての試練を達成せずにして《非感染特別安全区エデン》に招聘できる条件がございます」』


 このあと純一郎が映し出した映像に俺は身の毛がよだつ。

 


『「それは我が息子――秋葉瑛太を生け捕りにすることです!」』

 

 この世界での生存難易度が一気に鬼畜まで引き上げられた瞬間だった。

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