第23話
「うわぁっ、来るな、近寄るな、やめろ……やめて――うぎゃああああっ!」
準備を済ませて美術室に向かう途中、男子生徒の悲鳴が耳に入る。
先頭を走る霧島先輩の足が止まる。
先輩は俺と違って情を切り離すのが苦手なタイプだ。
助けられるものなら助けたい。
そう思っての制止だろう。
しかし今はチームとして、任務として美術室に向かっている途中だ。
ここで作戦を放り出して独断行動に出るようじゃ話にならない。
それは霧島先輩も理解していることだろう。
視線だけで訴えかけてくる。
もしも君が進めというなら従おう。そう言っている。
ここで俺は考える。
今の俺たちに他人を助ける余裕があるかどうか、だ。
現環境を冷静に分析する。
正直に言えば、ないこともない。
外部の情報を伝達してくれるオペレーターに命の危険を感じさない剣道の達人。
これだけ強力なバックアップがありながら感染者に遅れを取るようでは、それこそ俺がリーダーとして不甲斐ない。チームメイトの意を汲み取るのも俺に課された仕事の一つだろう。
「……様子だけ伺ってみます。もし救助できそうな人がいれば寄りましょう。ただし、救助が不可、もしくは困難を極めると判断したら先に進みます。また可否の判断は一瞬です。それでいいですか?」
「男だな秋葉」
「先輩がそうさせているんですよ。瀬奈、少し寄り道をすることになった。場所は――」
「発信地から推測するに調理室ね。私が知り得た情報を先に伝えておくわ」
「頼む」
「おそらくさっき聞こえてきた悲鳴はあなたのお兄さんが向かわせた男子生徒の一人よ。気持ちの整理をしておくことね」
瀬奈から送られてきた情報に辟易する。
兄が調理室に生徒を送り出した真意が手に取るようにわかってしまう。
目的は食料の調達だ。兄は美術室で籠城することを選んだということだろう。
調理室と美術室は決して近いわけじゃない。リスクは相当高い。
なにより無事に調理室にたどり着けても帰還しなければ意味がない。
解放された生徒が何の理由もなく戻るわけもない。
つまり――人質、か。
かつては尊敬していた兄。もはや見る影もない。落ちるところまで落ちてしまった。
やはり弟の俺がケジメをつけなればいけないようだ。
調理室に突入すると男子生徒が二人。両者ともに感染者に襲われていた。
すでに数カ所噛み付かれている。おそらく奴らを追い払っても彼らが辿る道は同じだろう。
しかし、死ぬことを諦めているというわけでもない。むしろ必死に抗おうとしている。
彼らの手には大切そうに食料が握られていた。
それを持って帰らなければいけない理由があるということか。
「先輩は左へ、俺は右に行きます」
「了解だ」
俺の言葉を聞いた霧島先輩は鷹や鷲を想起させるようなスピードで感染者へと迫る。
調理台を華麗に舞い、勢いを殺さず回転斬り。
やっば……と内心で唸ってしまう。
剣道でこそ身動きを封じて近寄らせなかったが、隙を見せたら一瞬で飲まれていたことだろう。先輩も竹刀ではなく真剣だと思って試合に挑んでいたからこその勝利。本気で迫られたらひとたまりもない。
俺も負けじとバールで感染者を薙ぎ払っていく。
先輩のようにダイナミックではなく、淡々と、という表現が正しい。
これは超ハードモードのゲームと同じだ。ひと噛みでゲームオーバーになる以上、
もちろん霧島先輩のやり方が危ない、などというつもりはない。
人には人の型がある。彼女にとってはそれがやりやすいんだろう。
足元にも感染者がいる可能性がありますよ、なんて先輩自身が一番よく知っているはずだ。
事実、足元から先輩を狙う不届き者の頭を木刀やバールで一刺しだ。
気配を察知できる第六感のようなものが働いているってことだろう。
俺ごときが心配するまでもない。
霧島先輩を引き連れていること、全集中で挑んだこともあり、調理室は無事制圧。
それほど時間もかかっていない。上場の出来だ。銃がなくともこの結果ときた。
武器を入手できればこのチームはもっと安泰になるだろう。
これなら俺の目的も彼女たちとなら果たせるかもしれない。
制圧した俺たちはすぐに調理室の鍵を閉め、生存者二人に水を渡す。
一命こそ取り止めたものの、もはや二人は虫の息だ。死者の息に変わるのも時間の問題だろう。俺たちのやったことは正しかったのか。そんな葛藤に苛まれる。
二人は勢いよく水を飲み干すと、俺と先輩にすぐに感謝の言葉を述べた。
ありがとうございます。ありがとうございます、と何度も頭を下げながら。
「……はぁ、はぁ……助けてもらっておきながらこんなことをお願いするのは本当に情けないんですが」
命からがらに口を開く男子生徒。しかしその隣にいるもう一人の意識が早くも消えそうになっていた。目が充血し、焦点もあっていない。さきほど噛まれた傷口が腫れて歯もカチカチと鳴り始めている。よだれが垂れていることも気づいていないのか、息も荒くなっている。
「……秋葉、残念だが彼は時間だ」
そう呟いた直後、歯を剥き出しにして霧島先輩を襲おうとする。もちろんそうなることを事前に察知していた先輩が遅れを取るわけもなく、
――バキィッ!
苦しむことなく一瞬で葬る。もはや職人の手際である。
「助けきれなくてすまなかった」
そう言い残し彼の瞼をそっと閉じる先輩。きっとこの中で一番無念なのは彼女だろう。
「
「落ち着いてください。何があったのか説明してもらえませんか」
☆
彼の名は大鳥健太。学年は一つ上の先輩だ。
経緯を聞くと調理室には兄の命令で来たとのことだった。
彼以外にも一年生の柿谷淳士、二年の柴田英二の
そんな三人組が選ばれた理由だが、卑劣としか言いようがなかった。
彼らには全員彼女がいるらしい。
兄は彼女たちを人質にし――慰みものにされたくなかったら食料を調達して来いと言い放ったらしい。
もちろん抵抗するものの、万能な兄に敵うわけもなく、目の前で彼女たちの制服を脱がし始めたとのこと。大鳥さんらは止むを得ず兄の命令に従うことになった。
「……頼む。彼女――
大鳥さんの口から血が溢れて落ちる。
霧島先輩の顔は辛そうだった。
時間はもう残されていないということだろう。
「げほっ……!俺はもうダメだ。せめて……せめて人間のままあっちに逝かせてもらえないだろうか。わがままばかりで……お願いばかりで申し訳ないが……はぁ…はぁ……」
「大鳥。君の願いは私が承ろう」
「ありがとう霧島……秋葉、君が兄に虐げられてきたことは知っている。今まで手を差し伸べられなくてすまなかった」
「いえ……こちらこそ兄のせいでこんなことになってしまって申し訳ございませんでした」
「最後の最後にこんなことを聞くのは本当に卑怯だが、美術室のみんなを救ってもらえるだろうか」
これはきっと大鳥さんの人生最後のお願いだろう。
それが人助けとは。優しい性格の持ち主であることは間違いない。
「かしこまりました――霧島先輩」
「ああ。任せてくれ」
ゆっくりと大鳥さんから退く。
彼は笑顔を浮かべて、
「ありがとう」
お礼と同時。血しぶきが真っ白な調理台を紅く染める。
「すまなかった。私のせいで嫌な気持ちにさせてしまったな秋葉」
「いいえ。むしろ先輩をチームに誘って心の底から良かったです。それじゃ今度こそ行きましょうか。美術室へ」
「ああ――そうだな」
俺と霧島先輩は三人が必死に持ち帰ろうとした食料を手に美術室へと向かった。
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