第17話
「霧島先輩!」
「勢いだけで駆けつけてしまったが私はどうすればいい?君と一緒にこの大群を退けていけばいいのかな?」
死者の大群を視認する。
俺と霧島先輩の二人で強行突破。
無傷でいられる可能性はフィフティフィフティと言ったところか。
より安全にこのピンチを乗り切るためには――。
「一分、いや四十秒間。持ち堪えてもらうことはできますか?」
「ほう。何か策があるようだな。だがいいのか?」
「何がでしょう?」
「たったの四十秒で、だ」
そう言い残し、霧島先輩は木刀で感染者を薙ぎ払っていく。
瀬奈のサポートも反則級だが、先輩も見劣りしない。
霧島先輩は目にも止まらぬ斬撃で次々と感染者を息の根を止めていく。
まさに高速斬り。
これほどまでに刀が似合う女を俺は他に知らない。
とはいえ油断できない状況に変わりはないわけで。
いくら洗練された無駄のない動きで奴らを退けていく先輩にも体力の限界というものはある。そのリミッターが外れるのは感染者になったときだけだ。
俺はすかさず音楽室の鍵を落としにかかる。
要領は技術室のときに得た。
焦らずに慎重に。息を整える。指の感覚を研ぎ澄ませていざ開錠だ。
――ガチャ。
体感で四十秒。音楽室の鍵が開く。
俺は警戒しながら部屋の様子を確認する。
もしもこの部屋に感染者がいた場合、今度こそ終わりだ。
だが、結論から言って音楽室はもぬけの殻だった。
俺の視界にピアノがすぐに飛び込んでくる。
「秋野、すぐに中に入れ!ピアノの滑り止めを解除しろ!」
「はっ、はい!」
「霧島先輩!あと十秒追加いけますか⁉︎」
「任したまえ!」
かつてこれほどまでに頼もしい一言があっただろうか。いやない。
俺と秋野はすぐにピアノの滑り止めを解除し、全力で扉の前まで押していく。
あれだけの大群だ。相当強度のバリケードを張らないとすぐに破られてしまう。
肩を入れて全身にチカラを入れる俺。
やはり大型のピアノということもあり想像以上に重い。
さっきの今で体力も消耗している。だが、弱音は全てが終わってから吐けばいい。今はとにかくこのピアノを扉の前に――!
十秒と言っておきながら実際は三十秒以上かかっていたことだろう。
ようやくピアノを扉の前まで運ぶことに成功する。
「お待たせしました先輩!早く中へ!」
相変わらずえげつないスピードで木刀を振るう先輩。
腰ほどまである綺麗な髪が宙を舞い、まるで踊っているかのようだった。
「待ちわびたぞ!」
霧島先輩は至近距離に迫る感染者の頭を殴打したあと、踵を返し、疾駆する。
走る姿まで美しいのだから恐れ入る。
先輩は扉の前で踏むきりピアノを飛び越えるように跳躍する。
ちょうどピアノの真上でくるりと身体を一回転し、難なく音楽室の中に着地する。
「よし!」
俺はすぐに音楽室の扉を閉めて施錠し、ピアノで覆ったあと、
「音楽室の机や椅子、重量のある楽器でバリケードを強化します!手伝ってください!」
「了解だ」「はっ、はい!」
こうして俺と秋野は霧島先輩の登場により九死に一生を得ることになった。
☆
今回は色々と反省させられることが多い。
言うまでもなく運が味方した。
たまたま女神が微笑んでくれたからよかったものの、本当なら死んでいた。
日頃の行いが良かった。そう思い込むことにしよう。
バリケードを背に肩で呼吸する俺に秋野は手ぬぐいを取り出し、額を拭ってくれていた。
「本当に申し訳ございませんでした。私の身勝手な行動で危険な目に合わせてしまって」
瀬奈の制止が入ったあの場面で指示に従わず駆けつけたことの是非には色々と思うところもある。
だが、大切な家族が視界に写り込んだが故の行動だ。これが本来人間のあるべき姿だと思うし、そうであって欲しい。
少なくとも傷付け合う関係にだけはなりたくないものだ。
秋野の顔に活気はなかった。瞳の奥には悲しみと絶望が入り混じっている。
妹――美咲ちゃんの変わり果てた姿を視認してしまったんだ。
無理もないだろう。彼女の中にある生きる意味を一つなくなってしまったかもしれない。
「……美咲ちゃんを助けられなくて悪かった」
「!どうして秋葉さんが謝って……悪いのは私なのに」
抑えていた感情を吐き出す秋野。騒ぐことが奴らをおびき寄せることになるのを本能が理解しているのか。声を押し殺すように涙を流していく。
やがて霧島先輩も彼女の背を優しく撫でるように励ましてくれる。
ここは女性である先輩に任せるのがベストだろう
俺は先輩には悪いと思いながらも秋野のケアをお願いすることにした。
☆
離れたところで色々と思案していると霧島先輩がゆっくりとこちらに近付いてくる。
「彼女も落ち着いたようだ。妹の死も受け入れている。少なくとも精神が壊れてはいないようだ」
「そうですか……」
秋野の言動は俺に色々と考えさせていた。兄弟。家族。
もしも俺が兄の変わり果てた姿を視認したとき、彼女のように人間らしい言動を取ることができるだろうか。反対に俺が感染者になってしまったとき兄はどう思うだろうか。いや、どう思ってくれるだろうか。
二度と復縁できない今となっては考えるだけ無駄ではあるのだが。
「何か考え事か?」
なるほど。女の勘ってやつか。本当に侮れない。
「いえ。それよりお礼がまだでしたね。ありがとうございました。先輩が駆けつけてくださったおかげで一命を取りめました。本当に助かりました」
「頭を上げろ秋葉。私はただ約束を守っただけだ」
「約束……あっ」
顎に手を当てて思い出す俺。そう言えば俺が助けを求めたとき手を差し伸べて欲しいって約束をしていたな。
「というわけで君には刀を教えてもらう」
「いやそれは……」
「男に二言はないぞ」
たしかに俺は霧島先輩に助けを求めたさ。けどそれとこれとは話が別――なんてのは聞く耳を持たないよなきっと。
だが俺は転んでもただで起き上がるつもりはない。向こうが刀の稽古を付けろと言うなら、
「世界は終末に向かいます」
「ん?」
「秩序が崩壊した世界で生き延びるためには信頼できる人と手を携える必要があります。ここまでは理解できますか?」
「あっ、ああ……」
「そして稽古をしろ、と言うなら今後は共に行動する必要があります。俺のチームに入っていただけませんか」
握手を求めて手を伸ばす。
霧島先輩は手を取らずに膝を地につける。
見惚れしまうほどの所作。三つ指を立てながら、
「こちらこそ。不束者だが末長く頼む」
もちろん俺もすぐに膝を落とす。
先輩だけに頭を下げさせるなど言語道断だ。
「ところでこれで私は身も心も君に捧げることになったわけだが」
『――バキッ!』
イヤホン越しに伝わる飴を噛み砕く音。
いかん。なぜか理由は説明できないが嫌な予感がする。
「秋葉は私をチームに招きたい、そう言ってくれたな」
「はい。それはもちろん」
「つまり勧誘するために探索してくれていたということか?それも真っ先に私に声をかけるために。それはつまり、その……そういうことと解釈してもよいのだろうか?」
……ん?なんだこのデジャブ感。
瀬奈にも同じことを質問された気がする。
やはりここは正直に答えるべきだろう。
「はい。お見込みのとおりです」
いつも凛とした霧島先輩の表情がぱあっと明るく咲く。
美人なのに可愛いと思った自分がいた。
俺は瀬奈のときと同じく考えていたことを口にした。
「霧島先輩は放っておいても無事だと信じていましたので先に別のチームメイトを救出してから駆けつけさせてもらいました」
――バキィッ!
俺の告白に木刀で木管を叩きつける先輩。
ちょっ、騒音厳禁の状況でそれは……まあバリケードは思った以上に強固になりましたし、今は感染者の数を減らすために瀬奈にある装置を稼働してもらっていますから大丈夫でしょうけど……。
「ちっ、ちなみに最初に救出に向かったのは……?」
「瀬奈です」
――バキィッ、グシャッ、ボゴォッ‼︎
木管が!木管が貫通した!木で木が貫通しただと⁉︎原理がわからない!
「……奴らの頭蓋骨を砕いてくる」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
背後に黒いものを背負いながら扉に向かおうとする霧島先輩。完全に冷静さを失っていた。
『ふっ。ざまぁ』
瀬奈ぁぁぁぁっ!てめえもOA室でほくそ笑んでいないでちったぁアシストの一つや二つ寄越せよ。先輩が暴れ出したらある意味感染者より厄介な存在なんだからな⁉︎
「私は君にとって後回しの存在なのだろう?刀を振るわずにはいられない」
気分の晴らし方が感染者を木刀で叩きつけるってそれもう危ない人じゃない?
「瀬奈から救出に向かったのは生存率が低いと思ったからです」
『――ゴギャッ!』
ええ、もうどうしろと。
「つまり瀬奈くんよりも信頼してくれていたという解釈でいいのだろうか?」
「?ええ……まあ(武道経験者という意味で)そうですね」
「ほう……ほーう」
まるでおもちゃを見つけた猫よろしくにじり寄ってくる霧島先輩。
「ちなみに瀬奈くんは今どこに」
この質問は俺にとって渡りに船だった。そろそろ瀬奈の存在についても説明したい頃だったからだ。
俺はトントンとイヤホンマイクを指で弾きながら説明すると、
「チッ」
なぜか舌打ちをする霧島先輩。
ちなみに瀬奈の正体が天才ハッカーであることを打ち明けることについては本人から承諾を得ている。これからチームとして行動する相手になら構わないということだった。
「まさかあの小娘にそんな特技があったとは……しかも秋葉との合流に一枚噛んでいたときた――少しだけイヤホンを拝借してもいいだろうか?」
「えっ、ええ……別にいいですけど」
取り外したイヤホンマイクを霧島先輩に手渡す。
彼女はそれを取り付けたかと思いきや少し距離を取り、瀬奈に話しかけていた。
小声で聞き取りにくいが首を突っ込まない方がいいだろう。本能がそう告げていた。
☆
『どうも。秋葉くんが真っ先に助けたい女、瀬奈美月です。どうぞこれからよろしくお願いいたします』
最初に吹きかけたのは瀬奈。
彼女の先制に霧島の額に血管が浮かび上がる。
「……秋葉が最も信頼している女、霧島彩綾だ。これから私たちは彼に命を預け、預かる身だ。どうかよろしく頼む」
『はっ?』
「あっ?」
まさしく険悪。これ以上ないほど険悪な空気に包まれる。
『言っておくれけれど秋葉くんは私のことが一番心配で、か弱い少女だったから真っ先に救出に向かってくれたのよ。それを忘れないことね』
「瀬奈くんこそ年配者に対する礼儀がなっていないんじゃないか。秋葉は私への信頼が最も厚く、背中を任せられるほどの達人だったから後回しにしてくれたんだ。それを忘れないことだな」
『はい?』
「あん?」
イヤホン越しにいがみ合う二人。まさしく犬猿の仲である。しかし通ずるところは同じ。彼女たちは秋葉瑛太に魅せられた人間である。根幹は一緒である。
『……はぁ。どちらにせよこれからチームを組むのよね……私は遠隔地から情報をかき集めることしかできない女なので、その……戦力として彼のカバーをお願いします』
「それはこちらの台詞だよ。私は刀でしか彼の役に立てない女だ。彼の目となり耳となるのは君だ。影から支えるオペレーターとして彼のカバーを頼む』
☆
「それで?これからの流れを聞こうじゃないか。何かあるのだろう?君なりの考えが」
瀬奈との挨拶が終わった霧島先輩が聞いてくる。
受け取ったイヤホンマイクを付け直して言う。
「一旦拠点に戻り俺と先輩、瀬奈で作戦を練ります。実はもう一人チームに加えたい人物がいます」
「聞いておこうか」
「村雨先生です」
俺の返答に苦虫を噛み潰したような顔をする先輩。
まあ、先生のことが苦手だっていう人は多いだろう。
俺だって得意かと言われれば胸を張ってイエスとは答えられない人物だ。
性格や言動に難があるのは承知している。
しかしそれを差し引いてもお釣りがくる人材だ。
先生がチームにいてくれるだけで精神面はもちろん、感染以外の負傷も怖くない。もちろん怪我をすること自体避けたいところだが、医者が一人いるのといないのでは大違いだ。
「……チームを統轄するのは君だ。私はリーダーに従おう」
「不満ですか?」
「いいや。私がただ苦手というだけさ。彼女の診察は心に直接入ってくるからな。人間誰しも隠しておきたいことの一つや二つあるだろう?だが、反対ということは決してない。彼女がいるだけで何の気兼ねもなく刀を振るうことができるのは私にとっても利益が大きい」
「そう言っていただけると助かります。問題は――」
俺は秋野の目を見据える。彼女は噛み締めていた唇をゆっくりと開き、
「秋葉さん、霧島さん。後生のお願いがございます。どうか聞いていただけませんでしょうか」
一緒に連れて行って欲しい。そうお願いされると思っていた。
正直に言えば俺の秋野に対する好感度は低くない。むしろ好感が持てる少女だ。
妹のためにもう一度校内を探索することができるのは強い人間の証とも言える。
戦力としては物足りないところだが、俺と霧島先輩が
だからこそ彼女の口から直接お願いされれば無下にはしないつもりだった。もちろん条件付きでの採用にはなるが、同行してもいいとそう思っていた。
だが、秋野のお願いはなんと――。
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