ターンはあるのか
(注)2014年の記事です。
最近将棋の棋譜中継で「○○の攻めのターン」という表現がよく出てくるようになった。
私はこれが苦手である。
新しい表現はどんどん出てきていいと思うのだけれど、なんかしっくりこない。その理由を考えてみた。
まず第一に、そんな言葉、将棋をしているときに使ったことがないのだ。練習で対局しているときなどはいろいろな例えなども言いながらするものだが、そんな中でも「ターン」は出てきたことがない。
競技の雰囲気との兼ね合いもある。たとえば大相撲中継で「稀勢の里に攻めのターンが回ってきました! 高安は再び攻めのターンを得られるでしょうか!」などと言われたらびっくりするだろう。将棋でもまだ解説ではあまり聞いた覚えがない。場になじんでいない言葉が、文字だけでよく使われている、という状況なのである。
次に、そもそも将棋はターン制のゲームである、という事実がある。将棋は交互に指すゲームであり、もともとターンというものが存在する。相手の手をほぼ限定させることもあるが、それも「私のターンが続いている」というわけではない。その上さらに「攻めのターン」というターンを重ねるのは、なんとなくふさわしくないように思える。
将棋の対局においては攻めに見える手も守りに利いていたり、攻めの手の中に守りの手が入っても結局攻めている側は変わらなかったりと、簡単に「○○の××のターン」で表現できる状況が存在するのかが難しいのではないか。
「ターン」という表現が定着するならばそれでもいいのだが、今のところなんとなく何かを書かなければいけない時に使われている、という印象を受ける。雑に使用されているのだ。
推測だが、プロ棋士のうち何人かが控室などでこの表現を使っていて、それを聞いていた記者が使い始めた表現ではないだろうか。聞きなれた言葉であるために、「普通の表現」として書き手が使っているのではないか、と思われる。
とりあえず、今後「ターン」がどのように使われていくのかに注目したいと思う。将棋におけるターンという概念自体が問い直されれば、案外面白い発見があるかもしれない。
追記
将棋におけるターンという言葉は、現在においてはずいぶんと定着しているように感じる。プロ棋士の解説でも普通に聞くようになったと思うが、それでも個人的な違和感は消えていない。「将棋を覚えたときからターンと言っていた」世代とのギャップが生まれているかもしれない。そろそろ、この表現に慣れればいいのに、と思っている。
初出 note https://note.com/rakuha/n/n2e0833ee6724
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