第10話:エルフの里

 

 夜──

 満天の星空に沈む深い森の内部

 苔むした巨石の転がる森にその大樹が息づく


 根だけで高さ十メートルを越える大樹

 幹周りだけで三百メートルを越える大樹

 樹冠が小山のように大きな大樹


 樹齢四千年を越える大老樹だいろうじゅ


 老樹の根に、幹には、幾つもの灯火がまたたく

 太い幹を螺旋状に取り巻く灯火

 暖かい、オレンジ色の灯火

 根に、幹に建てられた家屋の灯火


 大老樹のエルフの里



 ■森妖精システィーナの視点



「はあ……」

 私は家の外に出て、螺旋回廊の休憩用の長椅子に座り回廊を見る。

 ああ綺麗。

 螺旋回廊の柵には、夜に咲く夜光花の蔓草がびっしりと生えて、至る所で夜光花が緑色の蛍光を放っている。

 ああ。綺麗だなあ。その光は、儚げに、朧気に周囲を優しく包むの。

「ふう……」

 長椅子から外を眺める。

 ああ高いなあ……地上からの高さは二十メートルくらいかなあ。

 高いから風も抜けて気持ちいい。

 周囲の若い樹木たちの樹冠と同じ高さにいるから鳥やリスの目線って感じでいいなあ。

「はあ……」

 地上を見ると。

 大地に転がる巨石の上にチロチロと炎が瞬いて。巨石には火の精霊を留め置く燭台が置かれているから。

 あれは猛獣避け。

 猛獣が近づいたら火精霊サラマンダーが炎の息で追い払うんだ。

「うう~ん……」

 腕組みをして考え込む。

 ボーッと前を見ると、家が目に入る。私とスランの家だ。

 うふふ、大樹の幹にへばりついているからキクラゲみたい。大樹の幹にはそんなキクラゲに似た家が沢山へばりついていて。

 他のエルフたちの家。半円形の家々。

 その家々の窓からオレンジ色の優しい光が漏れている。

 綺麗だなあ……

「はあ……」

 考え事をしながら視線を上げる。

 と、幹のそこかしこに小さな枝葉が生えて。その枝葉に吊るされた鬼灯ほおずきがオレンジ色に光っている。

 鬼灯の中に住むジャック・オー・ランタンの光。

 鬼灯は小さな枝葉から大きな枝葉まで沢山垂れていて……綺麗。

 ボウッと暗闇に浮かび上がるオレンジ色の光の輪郭。

「うう~ん……」

 唸っていると、横から笑い声が。

「クスクス。もう、さっきからどうしたの? はあ、とかうう~ん、とか」

 アルが苦笑しながら窓から顔を出す。アルの家は、私とスランの家の隣でね。

「ああゴメン。声、大きかった?」

「ふふ、まあね」

 アルは家から出て来て、私の隣に腰をおろした。アルは髪を下ろして、両サイドの髪の一部を緩く三つ編みにして後ろで止めている。

 ああ可愛い。

 頭には花で作られた冠をしていて。ああ、いつもより可愛い。

 いいなあ。

 大人っぽい美人だと、可愛いもできるし、美しいもできるんだもの。

 はあ……私も冠をしているけれど、花の冠をすると髪の短さも相まって子供っぽい感じになるから、蔓草の冠にしているの。

「で、どうしたの?」

「ほら。まだ父さんたち戻ってこないでしょ」

「ああ……」

 大洞穴で父さんたちと分かれて早くも四日間。三人はまだ帰ってこないの。

「もしかしたら魔物に襲われたとか……」

「大丈夫よ。スランは目も感覚も鋭いもの。彼なら襲われる前に察知できるわ」

「うう~ん」

「それに他の妖精や獣人も一緒に行っていたみたいだし」

 そうよね。戦闘民族のケンタウロスも行っていたし。

「ああもう! 嫌味男が行かなかったら、私が行きたかったのに! 私が行けないように嫌がらせして! 本当に嫌な男なんだから!」

 私が怒ったら、アルは眉間に指をあて深くうつむいて!

「はあぁあーー……」

「何よそれ! またため息! もう! もう~~っ!」

 私は頬を膨らませた。

 もうっ! 何でいつもため息つくんだ! 何でだっ! くわああっ!

 私が怒ったらアルは苦笑しながらまた頬をつついて。くわあああっ!

「ごめんゴメン。ふふ、お詫びに。果実酒ができたから一緒に飲もうか。アルコールはそんなに強くないから」

「え、うん頂きます! やった! アルの美味しいから好き」

「ふふふ」

 その夜はアルと一緒に夜更けまで酒盛りして。

 うふふ、楽しい。

 こんな楽しい日々がもう何百年も続いていて。何度も繰り返しているけれど、飽きないんだ。

 でも四日後。

 父さんたちが戻って来たとき、そんな日々を壊すような大変な情報がもたらされたの……



 ◇◇◇◇◇



 お昼前。

 螺旋回廊一階の集会所に、百名ほどのエルフが集まった。この里の全てのエルフだ。

 集会所の中央には帰還したばかりの父さんとスラン、嫌味男がいる。全員が入れる大会議の間で、三人は床に座り込み、私とアルが持ってきた水を何度も飲む。

 疲労感をにじませた三人に、集まったエルフたちに動揺が走る。

「ど、どうされたのですか? ジーク族長」

 聞いたのは四百歳のアークシュタインだ。

 いつもゆったりと余裕のある態度の父さんが、ここまで余裕のない姿を見せるのは珍しいからだ。一呼吸ついてから、父さんが絞り出すように言った。

「すまない。皆に集まって貰ったのは一刻も早い『 迷いの森 』の発動のためだ」

「「迷いの森を!?」」

 皆が騒然とした! ええっ迷いの森を!? 何で!? とアークが。

「ど、どういうことか説明して下さい!」

「うむ、そうだな。では手短にするが、実はスランが『 森が騒がしい 』と言い出したので、マーケットの帰りに調査に行っていたのだ」

「「森が!?」」

 皆がスランを見る。

「そ、それで何かあったのですね!?」

 皆が思った。血相を変えて帰って来て、一息つく間もなく集落の皆を集めて迷いの森を指示するんだもの。と父さんが続ける。

「リートの大断崖の『 風の峡谷 』を王が放棄したようだ」

「「ええ!?」」

 王が!

 風の峡谷を!?

「「放棄!?」」

 そこは、この集落から七十キロほど真北にある峡谷で。東西数百キロに亘るリートの大断崖には断崖を割るように裂くように幾つもの峡谷があって、その奥深い峡谷群には幾つもの滝や川、森が広がっているの。

 そのうちの一つが『 風の峡谷 』で。

 全ての峡谷には山海から流れる栄養豊富な水によって魚も木の実も豊富だから、小動物から大型の魔獣まで様々な生物が集まって複雑な生態系を築いているの。

 と別のエルフ女性のファリナーテが。

「風の峡谷の王はヴァルパンサードでしたが」

 ヴァルパンサードは体長五メートルはある豹に似た魔獣で。

 耳の後ろあたりから太いサーベル状の角が生え、背中からもサーベル状の角が生えている。その角はかまいたちを発生させ、周囲の獲物をズタズタに斬り裂いてから食べるという危険な魔獣だ。

 大きいのに俊敏性に長け、断崖絶壁の上部へ逃げた山羊も飛ぶように駆け上って狩ってしまう。

「放棄!?」

「なぜ!?」

「なぜ、放棄を!?」

「何が起きたのですか!?」

「あれは……意味が分からない」

「「意味が分からない?」」

 どういうこと!?

「放棄した理由は」

「「はい!」」

「風の峡谷が。あの緑豊かな楽園が」

「「楽園が?」」

「『 氷河 』に包まれたからだ」

「「氷河!?」」

 氷河!?

 氷河!?

 何で氷河!?

 あそこの土地は寒くないよ!?

「何が起こったんだ!?」

「氷河!?」

「分からないことだらけだ」 父さんが言う。

「氷河って、どういう感じだったの?」 私が訊く。

「谷自体、どこまで深いかは分からないが、奥から徐々に凍って行ったようだ」

 谷は数十キロあると言われていて。

 数十キロ凍ったの!?

 氷河になるからには、何かのきっかけがあったハズ……

 何があったの!?

「それで放棄したヴァルパンサードはどうなったのでしょうか?」

 そうだ!

 ここら辺では特に強い魔獣だ!

「もう立ち去った後のようだが、ヴァルパンサードの痕跡があった。マズいことに南へ移動しているようだった」

 うわあっ! 南に! こちらの方に!? だから迷いの森か!

「それだけではなかった」 と嫌味男が!

「まだ何かあるのか!?」

「我らは姿と匂いを消すため霧の森へ入ったが、霧の森で猪頭人オークの群れが南下していた。あれは霧の森北部に棲息していたオークの群れだと思う。数は恐らく五百を超えるだろう」

「「五百超のオーク!」」

 なぜそんな数のオークが!?

 一体何が起こっているのだろう?

「オークの他にも体一つ分巨大な影が見えた。あれは巨人だ。鬼巨人オーガーかもしれない」

「オーガーまで!?」

 オークとオーガーは群れて生活することがある。オークよりも大きいならばオーガーの可能性は高い。巨人だし!

「風の峡谷同様、何らかの異変があったのだろうか?」 と他のエルフ。

「分からない……もしかしたら増えすぎたオークが新天地を求めて、という可能性もある」 嫌味男がいう。

 と父さんが口を開く。

「いずれにせよ、オークらは幾つかの部隊に分かれて居心地の良い地を探すハズだ。そしてヴァルパンサードもまた同様に次の棲み処を探し南下してくるだろう。それゆえこの地が見つからないよう、迷いの森をしばらくかけ続けなくてはならない」

「「はい!」」

 迷いの森。

 それは精霊魔法の一つだ。

 読んで字のごとし、エルフ以外の他の生物を迷わせる魔法だ。

 侵入させたくない場所・見つからないようにしたい場所を囲うことで、その場所に近づく生物を迷わせて元いた場所や違う場所に誘導するエルフ独特の精霊魔法なんだ。その囲いを結界と呼んでいる。

 私が生きている年月に発動したことはなくて!

 今回のような凶暴な魔獣が出没するという場合、危険を冒して戦うよりも凶暴な魔獣を近づけさせず、迷わせどこか遠くへ行くのを待つという方法を取るらしい。

「急ぎ、第一の結界ラインで頼む! 何人か護衛をつけ、キッカリ三十分後に魔法発動を! 行くぞ!」

「「はい!」」

「ぞ、族長!」 私は思わず手を上げた。

「どうした?」

「き、近隣の交易をしている集落は!?」

 私たちの近隣には他の妖精の集落や獣人の集落があって、それらの集落とたまに交易をしているんだ。その人たちは!?

 エルフの里に魔物が来なくなるということは、他のところに行く可能性があるんじゃ!?

 と嫌味男が!

「我々も、他の妖精も、獣人も、自分の身は自分で護る! 何を言ってるんだ、お前は!?」

「で、でも!」

「シスよ。他の妖精たちの集落はこの里より南だ。我々の迷いの森の発動で、南側は安全になる可能性は高い」

「ぅ……は、はぃ」

「行くぞ!」

 私は一抹の不安を覚えながら、立ち上がった。



 ◇◇◇◇◇



 鬱蒼と繁る森を、私とアル、スランと嫌味男、アークの五人は、それぞれユニコーンやウォーエルクに乗って北へ走る!

 父さんの言うとおり、迷いの森が発動すれば、南側は安心かもしれない!

 そう信じよう!

「ふぅっ! ふぅっ! ふぅっ!」

 うう~、怖い! 北へ向かっているから、いつヴァルパンサードに遭うかっ! 樹木の裏に潜んでいないか、倒木の影に隠れていないか、起伏に富む大地の死角にいないか。

 怖い!

「大丈夫だ、姉さん。僕の目にはヴァルパンサードも他の魔獣も、今のところ確認できない!」

 わ、分かったわ! ありがとう!

 樹間を走り抜けること数キロ、私たち五人は北の結界位置までたどり着いた。

 そこは特に大きな巨石がある場所で、森の樹木から頭一つ飛び出るくらい大きい巨石だ。所々苔むして、所々から小さな木が芽吹き、植物が生えている。

 その巨石に寄り添うように、一本の大きなクスノキが生えている。まるでクスノキが巨石を抱きしめているかのよう。

「よし、到着した。他のエルフはどうだろうか?」 とアーク。

「確認してみます! 『 風精霊シルフ 。こっちに来て』」

 アルが左手を前に出すと森の中を飛んでいた半透明の少女がやってきた。

 これがシルフだ。

「『上まで行って、別のシルフが巨石の上で合図をしていないか見て』」

 シルフは笑顔で敬礼して。

 巨石の上まで飛んでいくと手を額にかざす仕草でキョロキョロと左右を見る。とシルフは三方向に対して手で大きく丸をして!

「よし、東西南北の結界地の準備はできたようだ!」

 アークが言う。もう一つ重要なのは、結界の内側となる森にすでに魔物が入っていないかだけれど! 今、里の全てのエルフが結界となる森の中に魔物がいないか調査しているハズだ。と再びシルフが左右を見渡して、手を大きく丸にした!

「よし! 準備完了のようだ。ではまずは私が術を使う!」

 アークがクスノキの幹に両手をあてる。

「『 迷いの森 』発動!」

 両手があたる部分の幹に、樹精霊の紋様が現れた。次の瞬間、クスノキから稲妻に似た光が走り、東の方向へと突き進んでいく。きっと、東にいる仲間たちが同じように魔法を発動しているハズだ。

「ど、どうかな?」 私はアルの手を握る。

「大丈夫よ!」

 しばらくすると西の方から稲妻のような光が戻ってきて! 目の前に広がる外側の森の景色が揺れ動くと霞がかかったように、少し白っぽくなった!

「よし、迷いの森が発動した!」

「よしっ!」

「やった!」

 うわはあ~~! とりあえず迷いの森が発動した! これで大丈夫だ。維持がちょっと大変だというらしいのだけれど……大丈夫!

 と思っていたのだけれど……

 まさか……

 あんなことが起こるなんて!

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