第197話 クロムの秘密とある女性との密談
満月の光を浴びながら、ハルカとクロムは夜風に吹かれ、なびく自分の髪を押さえる。
「どうして、急に?」
「なんだかさ、語りたくなっちゃったんだよね。ハルカちゃんには知ってほしいなって、思ってね」
「私には?」
クロムが失った右目の事を伝えようとしている意味がわからず、ハルカは首を傾げる。
「君がぼくの為に涙なんて流してくれたから、そのお礼、かな。それにさ、ハルカちゃんだけの魔法が使えたら、きっとぼくの大切な人達の本当の願いがわかるかもって、思ってね」
大切な人達……?
カイルの他にまだ誰かがいるのを伝えてきたクロムの意図はわからなかったが、ハルカはある言葉を思い出した。
「クロムの大切な人って、ルーって、人?」
ハルカは特に深く考えず伝えたのだが、クロムの左目が大きく見開かれる。
「どこで、それを?」
「この前、クロムが新種の魔物の毒で倒れた時、呟いてた」
「他には、誰か、聞いてた?」
「私しかそばにいなかったから、私だけしか聞いてないよ」
珍しくうろたえているクロムの様子を見て、ハルカは自分がまた失言したのだと気落ちする。
すると、クロムが笑い出した。
「ごめん……。気に障った?」
「全然。ぼくもまだまだだなぁって、思っただけ。聞いていたのがハルカちゃんだけで命拾いしたよ」
「そんな大げさな……」
「だからさ、その名前はぼくらだけの秘密にしてくれる?」
テラスの柵に肘を置き、クロムは困り顔を向けてきた。
「わかった。知られたくない事は、誰にだってあるもんね」
「君のそういうところ、ぼくは好きだよ」
口元を隠しながら、クロムは楽しげな声を出す。
何がそんなにおかしいのかわからず、ハルカはただただクロムを見つめていた。
そんなハルカに気付いたように、クロムが急に語り始めた。
「ぼくがその大切な人と出逢えたのは、右目を失った、満月の夜だった」
当時に想いを馳せるように、クロムが目を伏せる。
「ぼくは癒しの魔法が使えないから、何かあれば、癒しの泉まで転移の魔法を使ってたんだよね。あんまりしっかり治すと里の奴らがうるさいから、いつも血止め程度で治すのを切り上げてた」
そう話しながら、クロムは右目の眼帯に触れる。
「そして右目を失った日は、ぼくだけの魔法を見つけた日でもあった。『このまま死にたくない。自分の主となる人に出逢いたかった』、なんて想いが浮かんでね。だから痛みを取り払って、大怪我をしている事を自分の頭に認識させないようにできた。けれどね、そのあと転移の魔法を使ったはいいけど、痛みを消しても動けなくて、困ってたんだよ」
軽い口調で話す内容ではないのに、クロムは世間話でもするように語る。
だからハルカは、クロムをまじまじと見つめた。
「どうしたの?」
「あ……。ううん、ごめんね。続けてくれる?」
話を途切れさせてしまい、ハルカは申し訳なさで小さな返事をする。
「あー、これはね過去の話だから。それにね、この出来事がなかったら、ぼくは大切な人に出逢えていない。だからね、気にしないで」
そう言って、クロムは軽く微笑むと続きを話し始めた。
「真上には満月、泉に浮かぶのも満月。どちらの光も感じながら、これが自分の最期なのか、なんて思った。けれどその瞬間、もう1つ、光が増えたんだ」
クロムが瞳を閉じ、穏やかに微笑む。
「あの光を、ぼくは今でも忘れられない」
そう言うと、クロムはゆっくりと目を開け、ハルカへ視線を戻した。
「その日から、ぼくらは満月の夜にだけ、その癒しの泉で落ち合った。満月の夜だけが、ぼくの救いだった。けれどその日々は、唐突に終わりを迎えたんだ」
いったい何が起こってしまったんだろうと、ハルカは話を聞く前から胸が苦しくなった。
「身にまとう光は輝きを増したのに、ぼくの大切な人は、自身の光を奪われた。そして、出会った当初の面影は消え、逢えなくなってしまった」
「……逢えないって、それはもうその人が……」
クロムが昔から通信をしている相手はもういない人だとカイルから聞いていたので、ハルカは言葉を濁す。
すると、クロムは慌てたように手を振った。
「あ、違うよ? 生きてるからね。ただね、涙を流して震えていた頃と違って、別人のように生きているから、そう言っただけ。今でも大切だけど、ぼくは昔のその人に、逢いたい」
カイルから、『もう会えなくなってしまった人へ、言葉を送り続けている』と言われた意味がわかり、ハルカは胸を撫で下ろした。
「生きているなら、きっとまた逢えるよ。状況はわからないけれど、生きてさえいれば、想いは伝え続けていける。だからクロムは、今でも通信を続けているんでしょ?」
「……そうだね、生きてさえいれば、ね。通信の事も、内緒ね」
どこか諦めた表情を浮かべたように見えたクロムへ、ハルカはどうにか元気付けたくて声をかける。
「この世界は、強い想いが反映されるよね? じゃあさ、私も願うよ。クロムの大切な人が、昔のようにクロムと話せる日が来るのを」
その言葉で、クロムの表情が和らぐ。
「君はさ、誰彼かまわずそういう言葉を口にするの、やめなよ? でも、嬉しい言葉をありがとう。ハルカちゃんが願ってくれたら、叶いそうな気がするから」
そう呟くと、クロムは普段の穏やかな笑みを浮かべた。
「そうそう、肝心な事を言ってなかった。この見えなくなった目は、お揃いなんだ。だからね、ぼくは治さない。って、無いから治せないんだけどね」
クロムの大切な人も、目が見えなくなってしまったんだ。
きっと心の傷が深くても過去の自分を隠すように立ち上がり、生き続けている人なのだろうと、ハルカはそんな想像をした。
「そうだったんだ……。でも、見えなくなってしまった気持ちを本当に理解してくれる人がそばにいるのなら、その人もいつか、その事を乗り越えられるはずだよ」
「そう? 見えない気持ちもわかる。片目が残っているから、ぼくが目になる事もできる。それだけは救いになっていれば、いいな」
ふっと笑うクロムの左目に、強い光が宿ったように思い、ハルカは笑みを消す。
「さて、これだけ言えば、いいかな。ぼくの期待に応えてね、ハルカちゃん」
「……クロムは、私に何かを——」
伝えようとしていたの?
そう言いたかったのに、クロムはハルカに背を向けた。
「きっとね、ハルカちゃんだけの魔法が、カイルを止められるよ。それと、ぼくはカイルを止めるつもりはない。ごめんね、君の期待には応えられなくて」
これ以上ハルカと話す事を拒むように、クロムはこちらを見ずに言い切った。
「……ううん。カイルの気持ちを考えたら、誰も、止められない。それでも私は、止めたい。クロムの言うように、私だけの魔法がカイルを止められるのなら、何としてでも見つける」
クロムの背中へ宣言し、ハルカも背を向けて歩き出す。けれど途中で振り返り、最後の言葉を伝える。
「私の話を聞いてくれて、ありがとう。クロムの話は、絶対秘密にしておくから」
「ぼくの方こそ、ありがとう。君達の幸せが見つかる事を、祈るよ」
その言葉を受け取り、ハルカは部屋へと戻った。
***
——召喚の間
天井の四隅に明かりが灯り、複雑な模様が描かれた石床が浮かび上がる。その模様は、魔法の効果を高める為のものだった。
異世界の人間を召喚する為に作られたこの部屋は、今は誰も使用していない。そしてこの場を知るのは、ごく僅かな人間だけ。
その空間で、昔はクロムにルーと呼ばれていた女性が1人、佇む。女性は過去に想いを馳せながら、決意を心に刻みつけていた。
その時、待ちわびていた通信が入る。
『ごめんね、遅くなって』
「いいのよ。体調はどう? もう動いて、本当に平気なの?」
『そんなに心配しないで。まだ腕が動かしにくいだけで、なんともないから。体を張った甲斐あって、ハルカちゃん達ともさらに仲良くなれたし』
「そこまでしなくてもよかったのよ。『ぼくに何かあれば、ハルカちゃんは今後もっと使いやすくなる』なんて言われて、わたしは気が気じゃなかった」
満月の日にだけは昔のような口調で話してほしいと女性が願い、その通りにクロムは接してくれている。
『なるべくハルカちゃんを悪者に仕立てないといけないでしょ? 彼女はそれを背負って、この世界から消えないといけないんだから。それよりも今日は満月だから、違う話をしよう』
クロムが常に言い聞かせるように話す言葉をまた聞かされ、女性は黙る。
『ぼくが3年前の戦争に加担する事を決意し、前回の新種の魔物に影響が出た。1人の人間の強い意思が、この世界の流れを変える事に繋がった結果かもしれないと、君は言ったよね? そして今回の新種の魔物の姿を見て、思った。君も、決意したんだね。だから確認したいんだ』
「何を、かしら?」
『君は本当に、君だけの魔法を使うの?』
わたしが直接手を下すのを、クロムが嫌がっているのはわかっている。
けれども、この魔法はその為だけの魔法。
わたしの存在理由は、もう変えられない。
「わたしだけの魔法は、異世界の人間の為のもの。ようやく、使う日が来たの。これもすべて、神のお導きだから」
クロムは目の前にいないが、自身の通信石を抱き込み、想いを伝える。
「この世界は正しい姿へ戻ろうとしてる。だからわたしも応えるだけ。この世界に生きる全ての人が、幸せに生きられるように」
『……君の気持ちは、わかった。あとはもう、動くまでだ。ぼくらは何があっても、あなたのすべき事を助けます』
最後の言葉だけ普段の言い方に戻ってしまったクロムとの心の距離を感じ、女性は胸が痛んだ。
そして女性も、クロムに問う。
「あなたは、あなたの願いを、叶えるの?」
『はい。それがカイルの、望みですから』
わたしの目が見えなくなってしまった時から、わたし達はずっと、すれ違ったままね。
大切な人の願いは自身の願いの届かないところにあり、女性は無力さを覚える。
けれど、彼の決意が固い事は、自分が1番よく知っていた。
「わたしの願いもあなたの願いも、叶うといいわね」
本当は違う言葉を伝えたかった。けれどそれを口にした途端、閉じ込めている本来の自分が姿を現し、全てを台無しにするのはわかっていた。
こんなわたしを支えてくれたあなた達の歳月を、決して無駄にはしない。
この世界を正常な姿へ戻す日はすぐそこまで来ている。そう願いながら、女性は視力を失った瞳を閉じた。
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