第八話 カイルの決断
カイルは宿のテラスで夜の静けさを感じながら、ハルカと過ごした日々と、自分のすべき事を考え続けていた。
ハルカと出逢ってから、本当にいろんな事があった。
でも、この日々も、明日で終わる。
ハルカの真実を知っても、態度を変えない頼もしい奴らに巡り会えた。だから、安心して任せられると思ったんだ。
それなのに、よりにもよって俺を……。
どうしてハルカが自分にそんな感情を抱いたか理解できず、カイルは苦しさを覚える。
ハルカを小さな世界に閉じ込めてしまった結果、だろうな。もっとこの世界を知れば、俺とは違う、まともな男と幸せに暮らすだろう。
そう思いたいはずなのに、カイルの胸が痛みを訴える。
「俺の胸の痛みは、みんなの為だけのものだ」
自分の浅ましい願いに飲み込まれないよう、カイルはあえて声に出す。
「俺の迷いが消えるように、教えてくれたんだろ? 俺の本当の居場所も、みんなのところだ。だから、もう少しだけ待っててくれ、オリビア」
満月を見上げ、呟く。
すると、カタリと窓が開く音がした。振り返れば、クロムと目が合う。
「今日は満月だから、ぼくも一緒に眺めていい?」
「クロムは昔から、満月の夜は月を眺めてるよな」
昔からの習慣だが、どんな時でもきっちりとこなすクロムの行動には、何か理由があるのだろうと、うっすら考える。
そんなカイルの横へ並び、クロムは月を見上げ、微笑む。
「満月は、ぼくの中で特別なんだ。それにしてもさ、カイルはハルカちゃんと、何かあったの?」
クロムがテラスの柵に肘を置き、頬杖をつくと呟いた。
「昨日、祝いの木へ行った時、ハルカがみんなの最期の声を……、当時の真実を、教えてくれた。その事で、ハルカを傷つけたんだ」
カイルの言葉に、クロムが頬杖を解いて、こちらに向き直した。
「どんな、真実?」
「みんなを襲ったのは、俺の姿を、真似た奴だったようだ。言葉から、それがわかった。それと、オリビアの最期の声も、ハルカは聴き取っていた……」
クロムも当時を思い出したのか、顔を歪める。
「ぼくがもう少し早く戻れれば、あそこまで酷い事になっていなかっただろうね」
「その話はもうよそう。俺だって、いなかったんだ。クロムが先に駆けつけてくれたから、今がある。だから、感謝しかない」
「感謝なんか、いらない。それにさ、カイルとみんなの亡骸を残してあの場所を去ったぼくは、ただの薄情な奴だよ」
クロムの言葉で、カイルは当時を思い出す。
あの日、クロムは自分も何か祝いの品を持ってくると、朝早くから出かけた。それを見届け、俺も出発したんだ。
先に帰ったクロムは、あの悪夢の光景を目にしている。その時、まだ残っていた不審な人物を追いかけ、深傷を負ったと、言っていた。
そんな状態のまま、俺の今の目的となる言葉を告げてくれたんだ。
そして俺がまだ息のあったオリビアをキニオスに連れて行く瞬間、クロムは黒のローブを身にまとっていた奴に心当たりがあると言い、あの地に留まった。
俺がキニオスから戻れば、クロムの姿はなく、通信だけが残されていた。
『探るのはぼくの役目だ。カイルは今後、生き残りとして狙われるかもしれない。だから外での生活はやめて、キニオスへ定住するんだ。しばらくは別行動になるけれど、定期的に落ち合う場所を決めよう。だから、生きてくれ。それが主の、願いだ』
その言葉を聞きながら、俺はみんなを、火葬した。
それを見届けながら、みんなの仇を討つと誓い、自分だけの魔法を、見つけた。
「今からでも遅くない。仇を討つよりも、カイルの本当の願いを叶えても、いいんだ」
当時をぼんやりと思い出していたカイルの耳に、予想していなかったクロムの言葉が届く。
「今さら、何を言ってるんだ? それに俺の願いは、クロムが1番よく知ってるだろ?」
「本当にハルカちゃんを、手放していいの?」
穏やかな表情なのに、クロムの声が低くなる。
「どうして、ハルカの名前が……」
「カイルがさ、ハルカちゃんを大切に思う気持ち、わかるんだよね。ぼくにも、そういう存在がいるから。だからさ、素直になったら? 残りわずかになった、この世界で生きる最後の時まで、一緒にいたらいい」
クロムが今でも通信を送る相手は、もういない。だけれど、深く想っている事はわかる。
そして、俺が仇を討ったあとの行動も、クロムはやはり気付いていたのか。
それでもカイルは、ハルカへの想いを伝えようとは思わなかった。
生き残った俺だけが幸せを感じてしまう日々を過ごす事も、俺にとっては、苦痛でしかない。
そしてこれから俺は、人を殺める。そんな血に染まる自分は、どんな理由があろうとも、ハルカのそばにいる資格はない。
それに、そばにいたとしても、俺はハルカに何も残せない。
俺の残りわずかな時間に、付き合わせる気もない。
だからその前に、彼女の目の前から消えるだけだと、カイルは心の中で言い聞かせる。
「ハルカには、明るい世界で生きてほしい。俺の事なんて、忘れて」
「ハルカちゃんはカイルの事を忘れないと思うけどね」
どこか苛立っているように見えるクロムへ、カイルは苦笑する。
「大丈夫だ。それなら俺を憎む気持ちだけ、残していく」
昨日のハルカの様子から、彼女の諦めの悪さはわかったつもりだ。
きっと聖王様へ保護されるのも、素直に頷く気がしない。納得する理由が聞けるまで、俺から離れないだろう。
だから俺は、ハルカに嘘をつく。
彼女が動けなくなるぐらい、心に傷をつける為に。
俺を早く忘れられるように、俺を……忘れないでいてくれるように。
そして、決して伝えてはいけない、ハルカを初めて抱きしめた夜に浮かんだ言葉も、交えて。
ハルカに残せるものが自分の為だけの行為だと自覚して、カイルは自身を嫌悪する。
そんなカイルを静かに見つめていたクロムが、満月を見上げる。
「……後悔、するよ」
「しない。ハルカは充分するぎるほど、俺に希望を与えてくれた。そんな彼女が幸せに生きる為に、異世界の何かを狙う奴らを、葬るだけだ」
それが、最後までハルカを利用する、俺の罪滅ぼしだ。
口には出さなかったが、カイルも満月を見上げ、そう決断した。
そのまま、カイルはクロムに問う。
「クロムは、後悔しないのか?」
「何が?」
「俺に付き合う必要はない」
「ぼくはね、定期便でも話した通り、最後までカイルを見守るよ。それが主の願いだ。それにほら、特殊部隊の入隊試験を装うなら、ぼくがいる方が自然だし」
本来なら自分1人で対峙する予定だったのだが、クロムがそれを許さなかった。そして聖王様にまで、どういう流れで炙り出すかを伝えてしまっていた。
ジェイド一族が3年前の戦争の犠牲になり、その戦争の真実をカイルが掴んだ。だから特殊部隊に入隊して正式に罰を与える立場を選んだという、筋書きだ。
その時の入隊試験で、首謀者と思われる人物と対峙する手筈になっている。
こんなに段取り良く進むとは思わなかった。けれど、異世界の人間を保護する事ができるならと、聖王様からの言伝を聞き、その配慮に感謝した。
「本当に、感謝しかない。だから俺も、首謀者から真実を聞き出す。どんな事を、してでも」
カイルは目線をクロムへ戻し、聖王様の望みを口にする。
すると、クロムもカイルを真っ直ぐに見つめてきた。
「ただ殺すだけじゃ、意味がないからね。カイルも知りたいでしょ? 真実を」
「そうだな。いったい何が目的なのか、聞き出すまでだ」
カイルの言葉に、クロムは哀愁を帯びた表情を浮かべる。
「その後で、ハルカちゃんを迎えには、行かないの?」
「無事に事を終えたとしても、ハルカに会うつもりはない。俺は……みんなの元へ行く」
これ以上ハルカの名前を聞くのが耐えられず、カイルは部屋へ戻ろうと歩き出す。
「ハルカちゃんでも、君を引き留める事はできなかったね」
「……何だ?」
「別に。もう部屋に戻るんでしょ? 明日には王都か。少しでも良い夢を。おやすみ」
クロムの呟きが聞き取れず、カイルは振り返った。
けれどクロムは質問には答えず、軽く手を振って、笑っていた。
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