第176話 大切なもの
名もなき話の事を考え、はっきりとした声を聴き、ハルカは不安に思う気持ちを無理やり心の中に閉じ込めた。
そのせいか、目覚めは最悪だった。
そしてミアが心配するほど顔色が悪かったようで、彼女はすぐに疲労が回復するような癒しの魔法を使ってくれた。
そのおかげで気分は少しだけ晴れ、ハルカとミアは朝食を食べ終え、身支度を整えていた。
「ルチルさんが部屋に来るまで時間もある事だし、元気になるような魔法の歌、聴きたくない?」
「魔法の歌?」
「そうよ。言葉はないんだけれど、声に魔力を込めて、それを聴いた人に様々な効果を与える事も私は得意なのよ」
「凄い特技だね! でもミアなら納得かも。踊っている時ですら癒されたもん。でもなんで今その歌を?」
どうしてミアがそんな提案をしてきたかわからず、ハルカは首を傾げた。
「さっき癒しの魔法は掛けたけれど、ハルカは全然元気じゃないもの。だから歌もどうかな? って思ったのよ。もの凄い悪夢でも見たの?」
「悪夢……。悪夢じゃないけど、嫌な事、かな。でもなんだかよくわからなくて、はっきり言えなくてごめんね」
「夢なんてはっきりわからないものが多いし、ハルカが謝る必要はないのよ。気に病まずに、今日を楽しく過ごせるといいわね」
ミアの気遣いに、ハルカは自分の為に心配してくれる人がいる事に心が温かくなり、微笑んだ。
「ミアの言葉で元気が出たよ。ありがとう」
「言葉だけでいいの? それならなんでも話すわ」
ミアも嬉しそうに笑い返してくれた時、彼女は何かに気付いたような表情を浮かべた。
「ちょっと待ってね。……サン?」
ミアは収納石に触れると、すらりとした茎の先端に、白いシャクヤクのような花を咲かせている通信石を取り出した。
「おはよう。どうしたの?」
『おはよ。朝からすまねぇ。あのよ、飯とか食べ終わって、もう動けたりするか?』
「えぇ、大丈夫よ。何かあったの?」
いつものサンらしくない元気のない声に、ハルカとミアは顔を見合わせた。
『うちの弟の様子が変なんだ。少しだけ、診てくれねぇか?』
「そういう事は早く言いなさい! すぐに行くわ!」
『うぉっ! そう言ってくれてありがとよ! 今すぐそっちに迎えに行くから待っててくれ!』
「宿の外で待ってるわ!」
ミアは通信石をしまうと、ハルカと目を合わせた。
「とりあえず、みんなのところに行きましょう!」
「サンの事、伝えなきゃね!」
2人は急いで男性陣の部屋へと急いだ。
ミアが行くならとリアンも同行を決めた。そして、どれぐらいの時間がかかるかわからないから、合流できる時に連絡をする、と言い残して2人は部屋を後にした。
そしてクロムも聖王様からの依頼の為に、今日1日は色々なところへ顔を出すと言って、出て行った。
残されたハルカとカイルは、とりあえずハルカ達が借りている部屋へ戻った。
「2人だけになっちゃったね」
「まぁ、話すだけならハルカだけでもいいからな」
「カイルも何かあったりする?」
ハルカはカイルに預けていた、キニオスの人達に渡す特別なキルシュミーレを5本受け取り、自分の収納石へとしまいながら会話をしていた。
「いや、何もない。ルチルは心配ないと思うが、これから話しに行く相手と何かあるかもしれない。だから話しにくいかもしれないが、同席させてくれ」
久々にカイルと2人きりになり、ハルカは椅子に座りながらそわそわしていた。
けれどいつも通りのカイルの発言に、なんだか妙な安心感を覚えた。
「キニオスの人達はそこまで心配しなくても大丈夫じゃない?」
「ハルカはその考えのままでいい。その分、俺が警戒しておく」
カイルの返事に、ハルカは笑い声をもらした。
「なんで笑ってるんだ?」
「だって、そんな風に考えたんだって、思って」
「ハルカは人を信じやすいからな。俺がいる時は疑うのは俺の役目だ。俺がいない時は、しっかり仲間に頼れ」
「私の強さは信じる心だって、プレセリス様が言ってたでしょ? 疑うぐらいなら信じた方がいいって、私も思うもん」
ハルカがプレセリス様の名前を口にした途端、カイルは顔をしかめた。
「嘘ではないんだろうが、盲信しすぎるなよ」
「またカイルは……」
カイルの様子に呆れながらも、今は周りに仲間がいないので、ハルカは昨日の事をカイルに告げようと思い立った。
「今さ、みんながいないから言うけれど、昨日ね、ファレルの声が聴こえたの」
「いきなりか?」
カイルの表情が一瞬で変わり、心配そうな眼差しを向けてくる。
「うん。カイルとの出逢いのをみんなに話している時に、出逢った瞬間をしっかり思い浮かべたら声が聴こえたの」
「昨日、なんだか戸惑った様子で俺を見ていたのはそのせいか?」
「うん、そうだよ。突然で私も驚いちゃって。でね、その声がずっと気になって、眠る前に聴けるかもしれないと思って集中してみたら、またいくつか聴こえたんだ」
ずっと難しい顔をしてハルカの話を聞いていたカイルは、何を思ったのか、いきなり『名もなき話』が書かれている本を収納石から取り出した。
「名もなき話に触れた事がきっかけで、触れなくても記憶の声が聴こえるようになったんだろうな。あまり触れない方がいいのかと思ったが……、ハルカ、これはもう渡しておく」
「えっ? 大切な本だから預かれないよ!」
「いや、遅かれ早かれ渡そうと思っていたんだ。声も聴けるし、文字の練習にも使える。俺よりハルカに必要だと思うからな」
「でも……」
戸惑うハルカを見つめながら、カイルは軽く微笑み、片手で本を差し出してきた。
「写しもある。だから気にせず、持っていてくれ」
「それじゃ写しの方を——」
「原本だから、声が聴こえるのかもしれない。だから、こっちを受け取ってくれ」
微笑んでいるものの、ハルカにはカイルの瞳が、どこか哀しげな色を浮かべているように見えた。
「何か……無理、してない?」
「無理なんてしていない。……手放すのが少しだけ、名残惜しいのかもな」
「それを無理っていうんだよ! 大切なものなんだから、自分でしっかり持ってなきゃ!」
ハルカの言葉にカイルは驚いた様子をみせ、そして小さく笑った。
「そうだな。だからなるべく早く、この世界の文字を覚えろよ? 覚えても、返さなくていいけどな」
「カイル、私の話聞いてた? 日記を書く時に借りに行くからいいよ!」
頑なにハルカへ本を渡そうとするカイルの気持ちが理解できず、じっと彼の黒緑色の瞳を見つめた。
すると、カイルはニヤリと微笑んできた。
「俺に会いに来る口実か? 今までずっと一緒だったから、別々の部屋で寂しいのか?」
「——っ!! そっ、そんなわけないでしょ!!」
目を細めて楽しそうに笑うカイルに、ハルカは熱を帯びた頬を意識しながら叫んだ。
「それなら受け取ってくれ。それでも受け取れないのなら、ハルカはまだまだお子さまなんだと思っておく」
「何それ!? 預かるだけだからね! 絶対返すからね!」
なんかもう、ずるい!!
ハルカは心の中で叫びながら本を受け取り、カイルが柔らかな笑みを浮かべた。
「いつまでも、大切にしてやってくれ」
本に対しての言葉なのに、どこか違和感を覚えたハルカの胸に不安が広がる。
だからか、見ないようにしていた出来事を思い出してしまった。
『……決心はしたんだ。けれど、こんな姿を見たら心配になるだろ?』
どうして、この言葉を……思い出したんだろう……。
でも、違う言葉なのに、響きが同じように感じるのは何故?
そしてハルカは、無理に忘れていた不安な気持ちも思い出し、胸が苦しくなった。
しかしそれを尋ねる前に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
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