第123話 黒死蝶

 沈黙の森に踏み込もうとした瞬間、背後から急に声が聞こえた。そして人ではない影がハルカを覆い、視界が暗くなった。

 その直後、心臓を鷲掴みにされたかと錯覚したような、ぞくりとする声が耳元に届いた。


「その先は、踏み込んではいけない聖域ですよ?」


 優しい男性の声だった。けれど、ハルカは何故かその声が聞こえた瞬間、腰元の装飾を右手で掴み、チェーンを引きちぎりながら振り向いた。

 そして手にした武器を——、声をかけてきた不思議な青年の喉元に突きつけていた。


「あれ? もっと穏やかな子だって聞いてたんっすけど、違った?」

「あ……、あぁっ! すみません、すみません!!」


 全然驚いた様子のない、黒い蝶の羽を持つその青年の口調が変わったように思えた。それに気を取られたハルカは、ようやく今の状況が飲み込め、慌てて後退りながら武器を腰回りに戻した。


 急に後ろにいたから怖くなっただけなのに、なんで武器を出しちゃったんだろう!

 それに、この子が勝手にこの人を攻撃しようとした気がする……。

 なんでだろう……?

 

 武器を手にした瞬間、腕が引っ張られたように思えたハルカは首を傾げた。


「いえ、驚かせてしまった私がいけないのでしょう。この先は沈黙の森。結界に阻まれ、入る事はかないません」


 何事もなかったようにそう言う青年は、ハルカをじっと見つめてきた。


 背は、男性にしては小柄で華奢に見えるが、ハルカが見上げるくらいには大きい。前髪が長めの無造作な黒髪のショートボブの隙間から、大きめの真っ黒な瞳が見える。しかし、可愛らしさの混じる親近感のわく顔を飾るその瞳からは、冷たい鋭さを感じた。

 服装は、黒のフード付きのマントに身を包んでいるが、隙間から見える服装は上下とも黒。そしてふくらはぎまでの長さの、多くのベルトが装飾されている黒のブーツ。


 全てが黒いその姿は、ハルカに死を引き寄せる蝶を連想させた。


「いえ、あの……、知り合いの子がこの中に入ってしまって……。早く追いかけないといけないんです!」

「ですが、あなたは入れません。もし仮に入れたとしても、無事では済みませんよ?」

「私はどうなってもいいんです! その子が罰を受けてしまうのが嫌なんです!!」


 青年は少しだけ目を見開き、ハルカを見つめた。


「本気で言ってるっすか?」

「えっ? 本気ですよ!」


 またも口調が変わった青年に戸惑いながらも、ハルカは急いで返事をした。


「じゃあこちらはご存知ですか? この闇は精霊界と繋がっていて、森の中の道は精霊使いにしか見えないそうです。そして通常の魔法使いが入ると、闇に溶けて消えてしまう。それでも追いかけるのですか?」

「そんな……!!」


 ライオネルくんが消えてしまう!!


 なおさら急がなくてはいけないと思い、ハルカは森の中に走り出そうとした。

 しかし、とても冷たい声がその行動を止めた。


「それと、まだ理由があるんっすよ。森の中では外の音が遮断される。そして、魔法が使えない。だから『沈黙の森』って呼ばれているんっすよ」


 そう説明し終えた青年は、じっとこちらを見つめてハルカの反応を待っているようだった。


「今、こうやってあなたと話している間も、ライオネルくんは命を危険にさらしています。だから助けに行く。それ以外に理由がいりますか!?」


 ハルカは自分を引き留めてくる青年に、想いを叫ぶようにぶつけた。


「あー、お姫様は優しいっすねぇ……。おれはリクト。リクト・アンゼル」


 お姫様?


 初めて優しい表情になったリクトさんはいきなり妙な事を言い、名前を告げてきた。

 そしてゆっくりと沈黙の森に近づき、手をかざした。すると、不思議な波紋が広がり、目の前の景色が歪んだ。


「リクトさん、これは……?」

「リクトって、呼んで?」


 手をかざしたままこちらに顔を向け、何かを期待しているような黒の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。


「……リクト、もしかしてこれが、結界?」

「そう、結界。痛くないので触ってみるといいっすよ。たぶん、お姫様も入れないから」


 お姫様と呼ばれる事に疑問を感じながらも、ハルカは言われた通りに触れてみた。

 すると、手が柔らかく包まれる感覚があるのだが、そこから先は押してもびくともしなかった。


「あー、よかった。これで入れちゃったらどうしようって思ってたんっすよ。……あ。えっと、とりあえず男の子は大丈夫ですよ。彼はきっと『特別』です。お姫様も心当たりがあったりしませんか?」


 心当たり……。

 やっぱり、ライオネルくんは精霊使いなんだ。少しの間だけしか彼の様子を見ていないけれど、会話をしているような素振りがあった。

 でも何故かそれを、ウィルさんにまで隠している。

 もしかしたら、精霊獣の卵が無くなっている事と関係があるのかもしれない。

 

 取ってつけたように口調を変えたリクトの様子と、特別という事への心当たりが浮かび、ハルカは少しだけ気が緩んだ。


「心当たり、ありました。きっとライオネルくんは精霊使いなんです。それと……、なんで『お姫様』って呼ぶんですか? 私は、ハルカと言います」

「でしょうね。入り慣れているように見えたんで。それと、お姫様っていうのは……、今、このって事っす。あれ? 話し方、難しいっすね」


 説明を聞いて更に疑問が生まれたが、リクトが真剣に悩んでいるので、ハルカは小さく笑った。


「あの、なんで話し方を変えているのかわかりませんが、普通に話して下さいね」

「あー、やっぱり無理はよくないっすね。じゃあハルカちゃんも普通に話してほしいっす」


 そう言い終えた後、口角だけを上げて微笑むリクトが、ハルカにゆっくりと近づいてきた。


「やっと笑顔が見れた」


 そしてハルカの目の前で立ち止まると、リクトの瞳の冷たさが更に増した気がした。


「けど、そんな無用心だと……、騙されてすぐに死んじゃうっすよ?」

「あっ……!」


 リクトにいきなり抱きしめられ、ハルカはつま先立ちになりながら、身を固くした。


「きっとおれ達がここにいたら、精霊使いの男の子は沈黙の森から出てこないっす。だから少しの間だけ、隠れるっすよ。飛翔ひしょう


 地面を蹴りながら舞い上がったリクトは、近くの木陰に降り立った。そしてハルカを抱きしめたまま、爪先でタンッ、と地面を叩いて魔法を使った。


いん

「えっと、あの!」

「静かに。今、おれ達はこの影と一体化しているっす。喋るなら小声でお願い」


 間近でそんな事を囁かれ、ハルカは困惑しながらも、小さな声で話を続けた。


「もしかして、ライオネルくんが森に入る時から、リクトはここにいたの?」

「んー……。知りたい?」


 リクトに楽しそうな声で質問を質問で返され、ハルカは戸惑いながらも頷いた。

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