第21話 看板娘

 本当に無視を決め込まれるとは思っていなかったようで、はるか達が乾杯を先に済ませた瞬間、サンは大きな声を上げていた。


「おいっ! 本当に乾杯する奴がいるかっ!? やり直しだ! やり直してくれ……」


 大きな声は段々と小さくなり、最後は哀愁漂う声でサンはやり直してを要求してきた。

 あまりにもわかりやすく落ち込んだ『お兄ちゃん』の為にはるか達は乾杯を仕切り直した。



「あのな、落ち込むぐらいなら変な絡み方してくるなよ」


 乾杯を済ませた後のカイルの第一声はこれだった。


「いやぁ……なんだろうな。嬉しくなりすぎちまって。久々に酔ってんのかもな」


 サンはそう言いながらも目を細め、嬉しそうに笑っていた。


「なんなんだ、まったく。そろそろ料理も来る頃だろ。本当に美味いから遠慮せずに食べろよ、ハルカ」


 もうサンの相手をするのをやめたようで、カイルはこちらに話を振ってきた。


「もちろん! 今日は記念日だから沢山食べるよ!」


 そうはるかが元気よく答えた瞬間、絶妙なタイミングで料理が運ばれてきた。


「元気なお嬢さんだね! 沢山食べなよ!」


 はつらつとした声が後ろから聞こえ、はるかは振り返る。

 するとそこには妖艶な美女が魅惑的な笑みを浮かべて立っていた。


 すらっとした体に切れ長の綺麗な目。

 黒茶褐色のゆるいウェーブのかかった髪は腰辺りまでの長さで、それをシンプルな黒のスカーフのようなリボンでポニーテールのようにまとめている。


 服装は豊かな胸元が見えそうなぐらいに襟が開いている白のブラウスの上から袖のない茶色のワンピースのような服を重ねて着ていた。

 腰回りはコルセットになっているようで、その上から更に白のエプロンをつけている。

 半袖の袖口がふんわりとバルーンのように広がっているのが少しだけ可愛らしい印象を与えている気がした。


 ここの店員さんだとひと目でわかりそうな服装だったが、それ以上に驚いたのは沢山の料理をこの美女が1人で持っていた事だった。


「ルチルは相変わらず凄い量の料理を一気に運べるよな」


 感心したように声をかけたのはサンだった。


「長年この酒場で働いているからね! こんなのは慣れさ、慣れ」


 ふふっと笑いながら器用に料理を並べていくルチルさん。


「ルチルがいるからここの料理が美味いってのもあるしな」


 そう言ってちょっと色気のある笑顔を貼り付けてサンがルチルさんをわかりやすいぐらいに褒めた。


「褒めても負けてやんないよ? これでも安くしてんだからしっかり払いな!」


 ルチルさんは豪快に笑いながらサンの背中をバシッと叩いた。


「いってぇな! 少しは手加減しろ、馬鹿力!」


 ルチルさんはそんなに力を入れて叩いたようには見えなかったが、サンの様子からするとそうでもなかったみたいだ。


「ほら、女性に対してそんなんだからいつまでもモテないんだよ?」

「それはお互い様だろうが!」


 2人の間には目に見えない火花が散っているように思えたが、ルチルさんが急に我に返ったようでサンから視線を外した。


「いけない! このバカのせいで肝心のお嬢さんに挨拶していないじゃないか!」

「おい! バカって言うな!!」


 サンの抗議を無視してルチルさんは話しを続ける。


「私はこの宿屋の娘で、ルチル・レイテッドっていうんだ。ルチルって呼んでくれるかい? 事情はカイルから軽く聞いているから、今日はゆっくりと楽しむんだよ」


 そう言って微笑む姿がまるで大輪の花を咲かせたような笑顔だったので、はるかはしばらくの間、魅入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る