207、はじめて向けられるこの眼差しは

「――ルカ達、まだ時間がかかるのでしょうか」

「結界となれば私たちは専門外ですからね。こればかりは待つしかない」

「……そういえば最近シスはやたら食事を摂りますけれど、なにか鬱憤でも溜まっているのでしょうか」

「ああ、あれは自棄でしょう」

「自棄?」


 シスに聞かれたくないのだろうか。ライナルトはあたりを窺うと、理由を教えてくれるのだ。


「あれで神経質になっている。いまのうちに食事という行為を覚えておくのだといってならず、暇があれば食事を作らせている」

「……あれだけ箱を壊すと意気込んでいたのに。なら、シスは怖がっているのですか」

「声にはしませんが、封印を恐れているのはシス自身です。ただ私たちの前で弱みを見せたくはないのでしょう」

「ライナルト様は見抜いたみたいですけど」

「付き合いが長いだけです。カレンもシスと顔を合わせて行くうちにわかるようになりますよ」


 不安で怒りっぽいシスはみたことあるけれど、まさか食欲に表れているとは思いもよらなかった。腕飾りを弄る私に、ライナルトは小首を傾げる。


「ところで他に何か話があるのでは?」

「えっ。あ、な、なにがでしょう」

「先ほどから目が泳いでる。まだ気になることがあるのなら声にされると良い。貴方が遠慮なさるとは珍しい」


 わかりやすいつもりはなかったし、むしろ頑張って隠してた方なんですけど!

 ――でもライナルトにはお見通しのようで、仕方なく諦める。上手い言い回しを考えていたのだけれど、言われたとおり、遠慮するなんて今更だと気付いたからだ。


「ええと、腕輪です。さきほどさらっと言われていましたけど、これって私の結婚祝いだったと聞いて受け取っていましたから、いままで婚約の証とは思わなくて。ライナルト様はどんな意図でこれを姉さんに渡されたのかと不思議だったのです」

「ああ、そのことか」


 これ、のところで机の上に置かれた腕輪を指さした。手元に戻ってきた宝飾具は大切に扱われていたのか、あの頃と何ら変わらず美しく、そして彼と同じ瞳の色を湛えている。


「なんのことはない。ローデンヴァルドの頃は婚約を断られると思っていなかったので、番たる相手に贈り物を用意しただけですよ。いや、そんな顔をしないでほしい。別に他意があって贈ったわけではない」

「では、なぜ? これが相当高値なのはわかります。それほどのものを結婚祝いだなんて」

「愉快だったからですよ」

「ゆか……」

「断られたことが面白かった。それにもう現物は渡していたし、返してもらっても私には宝の持ち腐れだ。何処かの宝石箱に埋もれ、適当に売りに出されるのが関の山だ。それなら私に独身の自由をくれた相手へ礼を兼ねて贈っても良いのではないかと考えましてね」

「それで結婚祝いにされたと?」

「カレンは気に入ってくれたでしょう。姉君を経由したのは返却されても困るからですよ」


 確かに気に入ったんだけど……。

 ライナルトはローデンヴァルドからの結婚祝いも兼ねられたと一石二鳥のつもりのようだった。当時、振られた立場になる彼は怒ってもいい側だった。わざわざ祝いなど贈る必要もなかっただろうに、結婚は枷だと豪語していたライナルトには本当に嬉しいお断りだったのだろう。


「だけどお祝いにこんな……ライナルト様、もしかしなくてもけっこう大雑把ですね?」

「何故かな。私にそのつもりはないのだが、ニーカにはよくそう言われる」

「……これは、私がいただいてもいいのでしょうか」

「貴方に贈ったものだ。いまさら私に問われるのは愚問ですよ」


 こちらも言ってみただけで、いまさらお返しするつもりは……うん、ほとんどないのだけど、ちょっと気が引けるな。

 だってライナルトは結婚祝いのつもりで装飾具を贈ってくれたのだ。


「……シスが石を取ってきたと言っていました。この宝石は高いのですか?」

「宝石の善し悪しは私にはわかりかねるが、そうだな。……贈答にすると決めた折、モーリッツがやたら渋っていたのはいまでも覚えている。見た目こそ蒼玉にそっくりだが、かなり珍しい石だと」

 

 あっ、はいなるほどよくわかりました。モーリッツさんが渋るならば、きっといま身につけている腕輪より価値が高いのだろう。マルティナもよく売り払わないでいたものだ。

 そしてこんなことが判明したところでなんだけど、もう言ってしまっていいだろうか。

 ……いいよね?


「いまだから言ってしまいますが、あの結婚は私がファルクラムから逃げるためで、コンラートは匿ってくれた恩人と申しますか。……ともあれ実際は違います」


 ライナルトはやや目を見張って、なるほど、と小さく相槌を打った。ちょっと気まずい私がぼそぼそと喋りだしたのは、コンラート伯との間にあったのは偽物の婚姻で、実際はただの客人扱いだったこと。ほんの少しだけ話すつもりが、いつの間にかコンラートの当主代理にまでなっていたことまで喋っていたのだけれど、もしかして私は鬱憤が溜まっていたのだろうか。

 ライナルトは口を挟まず、根気よく耳を傾けてくれた。その上でこう言った。

「やはり」と。

 そこに驚愕はない。私の方が不思議になって首を傾げたくらいだ。


「……ご存知だったようには見えませんが、驚かないのですね」

「貴方とコンラート伯の関係は夫婦のそれには見えなかった。教師と教え子の関係に近いと言うべきか。コンラート伯も奥方に向ける眼差しではなかったように感じていたのでね、どちらかといえば納得だ」

「あー……ええと、騙すような形になってしまい……」

「気に病むものではないでしょう。まして騙し合うのもお互い様だ。実際はどうあれ、それがお互いの縁を作り上げたのだから。いまや貴方がコンラートのカレンであり、私の協力者なのは間違いない」


 ライナルトの感情の機微を多少は読めるようになってきたから感じるのだが、微塵も動揺がない。


「しかし何故、いまになってそんな話を?」

「なんとなくです。……知っておいてもらいたかっただけ、なので」


少しでも揺らいでくれたらと期待したけれど……。すごい、私って全然脈なしだ。

 ……ライナルトにはちょっと特別扱いしてもらっている感じがあるからと胸をときめかせた時があったけれど、いまはただ、ひたすら勘違いが恥ずかしい。

 ため息を吐きたい衝動をこらえて、ふと新しい話題を思い出した。


「帰ってくる前にヴィルヘルミナ皇女に会いに行っていたのです。それでいくつか話を聞いてきたのですが――あ、リューベックさんにも会いました。正式に婚約を望まれまして、いささか困ったことになっているのですが」

「……ヴィルヘルミナなら皇帝の呼び出しで一緒に会いましたが、それよりリューベック家の当主が?」

「そちらはただのご報告です。イェルハルド様に相談に乗ってもらおうと思っていますから、良い案をもらえると期待しているのですけれど」


 ……そこまで頼るのは申し訳ないからね。

 リューベック家がこちらにちょっかいをかけてくるのは気に食わないのだろうか。ライナルトは小難しい表情だが、聞かなければならないことがあった。


「ライナルト様、むかしヴィルヘルミナ皇女が皇帝陛下を刺したというのは本当ですか」

「本当ですよ。噂では飼っていた犬を目の前で殺され激怒したとか。生まれたときから一緒に育った犬だったと耳にしたが、本当の理由は私にもわからない。なにせ宮廷の侍医長や侍女頭は口が堅く、不祥事が漏れぬよう常に見張っている」


 皇帝カールは半ば……噂の流出は諦めているようだが、その他の人物については心を砕いているようだ。

 さらに詳しく訊ねれば、昔を思い返しながら教えてもらえた。


「私も自由に出入りできる身ではないので詳しくないが、医者がヴィルヘルミナの住まいである離宮を慌ただしげに往復していたとは聞いています」

「怪我を負った皇帝陛下ではなく、ヴィルヘルミナ皇女を、ですか?」

「そう聞いているが、これ以上はなにも。ただ、あれは皇妃が相当火消しに苦労したようですね」

「ヴィルヘルミナ皇女が、本当に……」


 犬の話が本当なら掛け替えのない存在だったのだろうが、真偽は定かではないのでなんともいえない。ただライナルトのみならず、実の娘にすら殺意を抱かれる皇帝カールの人となりには、その異常ぶりに苦々しさを覚えるのだ。

 

「ヴィルヘルミナと話をしたようだが、あれはどうでしたか。一見冷たい女だが、近しくなればまた違った印象を抱いたでしょう」

「……皇位を継ぐ対象としてのみの観点で申し上げるなら、厳しくも優しい方でございました。皇帝陛下にはまるで似ず、オルレンドルの未来を憂い、真摯に民を助けたい意志を持った皇女殿下です。……ライナルト様とは正反対ですね」

「その通り。あれは私などよりずっとオルレンドルの民のことを考えている。きっと私などより良い王になるでしょう」

「……私はいま意地悪を口にしたのですけど、そう返されてはなにも言えません」

「意地悪にはほど遠い。周りの老人方を見習ってから挑まれるとよろしいだろう」


 彼女に対しては自身の性質とは正反対だと理解しているようで、嫉妬も覚えないようだ。だからこそこの人は質が悪い。


「ですがおっしゃるとおりです。短い時間しか話せませんでしたが、正直なところ安寧の治世を望むのならあの方が皇帝になるべきなのだと感じました」

「鞍替えしますか。いまなら間に合いますよ」

「ライナルト様が皇帝になった姿を見たいと申し上げました。いえ直接は言ってないかもしれませんが、そうと言ってるようなものでしょう! ……何度も言わせないでください」


 ライナルトめ、私で遊んでいるな。

 揶揄おうとしたらこんな恥ずかしいことを言わされるなんて、とんだ返り討ちだ。ライナルトはしばらく笑っていたが、不意に双眸を細めると声を低めた。

 ……なに?


「話を蒸し返すのだが、クワイックの件といい、私はどうしても気になっていることがある」

「はい? なんでしょう」


 雰囲気がガラリとかわった。返事をしたものの、ライナルトの眼差しはこれまで見たことのないもので、つい引き気味になってしまったのである。それはこれまで培ってきた親愛は欠片もなく、ただただ突き刺すだけの、それでいて検体を探る学者じみた剣呑な光があった。


「ライナルト様?」

「法案の件だ。まるでこの先なにが起こるか知っているように危惧を抱くが、その知識は本当に誰かに習っただけのものだろうか」


 ひんやりと冷たい声だった。これまでライナルトと話したことは幾度とあり、言葉の応酬を交わしたけれど、ここまで淡々と疑いを向けられたことはない。

 邪険にしているわけではない、よそよそしくもない。ただ、これは――淡々としている。殺意に似ている。彼にとって重要な「何か」を探っているようでもあった。

 手を伸ばされた。片手がこめかみに触れると、親指が目頭付近を強く押して食い込む。


「貴方が大人びているのは今更としても、時折経験者の如き振る舞いをされる。今回の件は確かな信念を持って行動しているようだが、それは愚者の見る夢、理想ゆえの夢想の類ではない」


 身動きが取れなかったのは驚いたから。それ以上に怖かったからだ。むき出しになった人を殺そうとする意志を目の当たりにするのは数度目だけど、これはその中でもとびきり良くないものだと私のどこかが警鐘を鳴らしている。

 親指に力が入る。薄青色の目に捉えられ、逃げようにも体が言うことをきかずにいると、近くからのんびりした声が割り込んだ。

 

「なんだいこの空気。もしかしてボクたちお邪魔だったかな?」


 シス、今日はうちの食料を食べ尽くしても怒らないでいてあげる。


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