転生令嬢と数奇な人生を【6巻+短編集と続編発売中】

176話 道交わりて

　馬車に揺られ家に帰り着いた途端だった。扉を閉めると影から黒鳥が飛び出した。

「影の中って居心地悪いのかしら……」

「はしゃいでるだけでは？　問題があるようなら捕まえますが」

「いいえ、聞き分けがいいから構わないのだけど……なんなのかしらってずっと考えちゃうのよね。……ただいまです、ウェイトリーさん」

「おかえりなさいませ」

　わざわざ出迎えてくれたのはウェイトリーさんだった。軽快に跳ねる黒鳥がウェイトリーさんにまとわりついても、柔らかい微笑で受け止めてくれる。

　マルティナがいるかと思ったのだけれど、彼女は家に帰ったようである。

「ひどく慌てておりましたので、わたくしが帰しました。ここのところ思い詰めたように働き尽くめでしたので、ちょうど良かったかもしれません」

「最近様子がおかしいですよね。式典も終わって落ち着けそうですし、そのうちマルティナと話す機会を設けないと」

「お願いできますか。エミール様もお気づきになっているらしく、それとなく聞こうとしてるのですが、なんでもないと言うばかりで……」

「なにがあったのかしらね。顔色も悪いし、ちょっと痩せたような気がするんだけど」

「悩みがあるのなら晴れると良いのですが。……しかし都合がよかったかもしれません。どのみちマルティナには席を外してもらわねばなりませんでしたから」

「ウェイトリーさん？」

「先にお着替えを。お疲れでしょうが、わたくしから相談がございます」

「ええ、もちろん。そのつもりでまっすぐ帰ってきましたから」

　マルティナの件は気がかりだが、先に用事を済ませてしまうべきだろう。ウェイトリーさんに促され着替えを済ませたのだが、重苦しいドレスから解放されたところで驚かされた。ウェイトリーさんに促され向かった二階の書斎。ウェイトリーさんとマルティナの仕事部屋となっているその一室に、予想外の人物が座していたのである。

「どうも、お邪魔していますよ」

「クロード、行儀が悪い」

「癖だよ、許せ。いい机を見るとつい格好つけたくなる」

　なんとバダンテール調査事務所所長、クロード・バダンテール氏その人である。黒を基調とした金銀の刺繍が入った派手な衣装が相変わらず眩く、ニヒルな笑みを浮かべている。

ウェイトリーさんの椅子に座り、机に足をかけた姿はご老体にしては随分と若々しい。机の上には猫のクロがだらりと横になっており、まるで悪の幹部のような佇まいだ。

「ウェイトリーさん、クロードさんがいらしていたのなら教えてくださったらよかったのに」

「申し訳ありません」

「いや、お気になさらず。ウェイトリーは私抜きで話をするつもりだったのだろうが、無理矢理押しかけさせてもらった。式典が終わった後に話をするといっていたので、いつになるかは目星がついていたんでね」

「クロードさん抜きでって……ウェイトリーさん？」

　話が見えなかった。二人は示し合わせたように頷き合うのだが、そこでウェイトリーさんから持ちかけられたのは、意外な提案だったのである。

「カレン様さえよければ、クロードを我が家の顧問として迎えたいのです。以前はバーレの件で建前上名乗っていましたが、そのような建前ではなく、本格的にです」

　驚きの内容だった。ウェイトリーさんによれば以前から考えていたそうで、クロードさんには内々に相談していたようだ。

「コンラート家はわたくしが考える以上に名が大きくなってきました。初めのうちは徐々に人を迎えれば良いと思いマルティナや新しい秘書を迎えていましたが、やはり人手が足りません。特に今回の式典では――おわかりでしょう」

「トゥーナ地方ですか」

　皇帝から下賜される手筈になっているトゥーナ地方の土地だろう。運営等はトゥーナ公が保持する方向性だが、建前上はコンラートの所有にしなければならない。これに伴う取り決めはもちろん、本格的に決まればいくらかお金が流れてくることになるだろう。さらに言えばトゥーナ公たっての願いで新しい貿易が結ばれる予定だ。

　ウェイトリーさんは、到底いまの人手では足りないと言いたいのだ。

「フゴ商会から誰か引き抜ければとも思いましたが、それでも限界があります。帝都にとってわたくし共は新参者、信用できる人材を見つけるには時間が必要です」

「それでクロードさんを？」

「はい。元外交官ですからいささか畑は違いますが、口は回りますし、少々ながら経営にも明るくございます。加えてこちらに住んで長い。顔も広いのであちこちに融通が効くでしょう」

　ウェイトリーさんの言葉に合わさるように、ご老体が気障っぽく片手を振る。

　クロードさんと会えばお小言が増えるといった様子のウェイトリーさんだが、実力を認めているのは確かである。これまで帝都で培った経験は必ずコンラートのためになると、淡々とではあるが、しかし彼を受け入れてもらいたいと伝わる説明をされたのだ。

　これに対し、私は膝の上で指を組んだ。

「クロードさんがコンラートに付いてくださるのは、もちろん嬉しいです。ウェイトリーさんの紹介だからというのもありますが、元外交官である方をお迎えできるのは嬉しく思いますが……」

　さて、なんと説明したものか。

　反対したいわけではないのだ。全面的に信頼を置くウェイトリーさんのお墨付きだ、大手を振って歓迎できる人材だけれど、不可解なのはその理由である。

　これに対し、クロードさんはウェイトリーさんに席を外すよう頼んだ。

「お前がかつてないくらいに私を褒めてくれるのはなんというか……嬉しくもむず痒いが、ここは私が当主代行と直接話すべきだろうよ。この年になって面接とはさて、どう売り込むかな」

　わくわく顔でこう言われるのだから、こちらが身構えてしまいそうだ。まったくどちらが面接官かわかったものではない。

　ウェイトリーさんが席を外したのを確認すると、クロードさんはウェイトリーさんの席から離れた。軽い握手を交えた挨拶と労いの言葉をかけてくれたのである。

「色々あったと聞いているが、ひとまずは元気そうでなによりだ。あまり休む暇がなかったと聞いているが、体調はどうかね」

「こうしてお話できるくらいには問題ございません。それにいまは動いていた方が考え込まなくて良いですから」

「そうか、まぁ誰しもそういう時期はある。病気だけはしないよう気をつけたまえ」

「ありがとうございます。クロードさんはお変わりありませんか」

「美味い茶を飲みながら他人様の面白おかしい秘密を知る日々は刺激に溢れている。おかげで病気とは縁遠いから事務員に嫌がられているとも」

「所員さんにはお気の毒ですが、伏せられるよりは良かったです」

　やっぱりこの人が所長だと苦労する事が多いのだろうな……。

「ウェイトリーはあまり顔色がよくないな。あれで回復していると聞きましたが……」

「負担をかけている身で恥ずかしい限りですが、随分よくなりました。新しい人も頑張ってくれているので……」

「ああ、責めているわけではない。あいつは昔から我慢をするのでね。補佐官時代なんぞ特にそうだ。平気な顔をしているくせに、ある日突然倒れるもんだから苦労させられた。倒れる前に休めるようになっただけ随分良くなったのだと感心していた」

「……意外です。ウェイトリーさんって無茶する方だったんですね」

「熱意の溢れる男でしたよ。私は仕事だから嫌々帝都に乗り込んだが、あいつは戦争を終わらせたい一心で食らいついてきましたからな」

　本人が語る嫌々……が事実かどうかはおいといて、こうして話すクロードさんは顔色もいいし、健康なのは本当のようだ。最近はご老体の顔色をついつい気にしてしまう。

　それというのもうちの状況のせいもある。少しずつ快方に向かっているウェイトリーさんはともかく、庭師のベン老人の調子がよろしくない。郊外での休暇をそれとなく勧めてみたものの、コンラートから離れるのは断固拒否、例えこのまま死そうともコンラートと共に在るといった具合である。

「それに庭の改装がまだ済んどらんのです。坊ちゃんにはエマがいた頃の花壇を再現すると約束しましたし、薬草だってまだまだ足りてない。他に庭の手入れを出来る者がおりますか。この老体を労ってくれるのは嬉しく思いますが、頼みますから、そんなことはいわんでください」

　帝都にいる限り、そこに住まう人々は微量ながらも毎日魔力が吸われていく……。健康な人なら寝れば回復する程度の、本当に極々微量でも、それすら回復が及ばなくなった人にとっては害でしかないのだ。そうしたシスの説明があったから一度は言わざるを得なかったものの、ベン老人の気持ちは痛いほどわかるから、それ以上の無理はいえなかった。子供達と一緒に休暇と称して郊外で休ませる案も浮かんだが、期間も不明だしどうにも現実的では無かった。なにせベン老人は我が家で最期まで看ると決めたのだ。生かすためではあってもこんな事実は話せないし、そうなってしまったら追い出す形になって約束を反故にしてしまう。当然ヴェンデルも納得しないだろう。

　いまは力仕事をヒルさんやハンフリー、ジェフといった男衆が手伝い、少しでも負担を軽減し、現状維持の状態である。

　ベン老人について思いを馳せていると、クロードさんは真向かいの小さな椅子に腰を埋めた。上半身を前のめりにしたのである。

「さて、と。雑談に興じていたいが、流石に本題に入らねばならないか。……先にお伝えしておくが、貴女にはこの申し出を受けてもらいたい。いや、受けてもらわなくては困るとお伝えしておく」

　いつになく真面目な形相である。ふざけた様子は一切見当たらなかった。

「クロードさん、これは一体どういうことでしょうか。お気を悪くしないでほしいのですが、以前クロードさんは……」

「相談役ならともかくコンラート専属にはなれない、そう言って付添人を断りましたな」

　誕生祭の時の話だ。クロードさんは私の付添人を断り、そのためモーリッツさんに相手役をお願いすることになった。相談役ならともかく、付添人になると完全にコンラート側にみなされるからと断られた。調査事務所を兼ねる所長として中立を保ちたいと述べた意を汲み取ったから、突然の話に戸惑ったのだった。

　この問いに、先ほどまでとは打って変わって困った……いや、観念したような溜息を吐いたのである。

「いやぁ、正直なところ、死ぬまでこの方針を変えるつもりはなかった。中立を謳っていた方が事務所は儲かるし、方々の嫌みも少ないですからな」

　などとぶっちゃけられた。そうだよね、調査事務所なら色々な秘密を握っている場合もあるはずだ。私が知るクロードさんはお金と権力が大好きな人である。その旨みを捨てる理由がわからなかった。

「表向きは所長である私と調査事務所は別とするつもりだ。うちの連中は優秀だから客足は途絶えないと踏んでいるが、それでも難しいなら現役引退くらいに持って行くかな」

「あくまで退く気はないのは伝わりました。でもそこまでして顧問になってくださるのは何故でしょう？」

「無論、頼まれたからだとも」

　頭を下げたのは他でもない彼の友人であり、我が家の家令兼秘書官であるウェイトリーさんであると、クロード・バダンテール氏は語ったのであった。