158話 たとえ憎まれても
「つい、ほう……?」
我ながら間の抜けた表情をさらしたかもしれない。驚く私にサミュエルはあっさりと頷く。
「そんなに意外です? あ、もしかして首落とした方が良かったとか?」
「ふざけないで! そんなことあるわけないでしょう!」
冗談でもそんなこと思っていないし、言われたくもなかった。怒鳴ったことに自分自身で驚きつい口を閉ざしたけれど、彼に対する苛立ちは隠せそうにない。視線を落として……いや、ゆっくりと呼吸を整えて相手を見据えたのである。
「二人に対し助命の願いが出ていると聞きました。もしかしてあなたですか、サミュエルさん」
これにサミュエルは目を見開いた。わずかな間だったが、まるで品定めするような目つきを見せると、にやついた笑いを引っ込めて口を開いたのである。
「どうしてそうお思いに?」
「あなたは嘘つきで人を騙して平然としているおよそ私の知る中でも最低の人間です。あと先ほどのにやけ顔も大変気に障っていますが」
サミュエルに恨みは……ある。
エルを手にかけたのは私だが、そのきっかけになった彼を前にして拳を握らずにはいられない。いまでさえライナルトや、遠巻きにこちらの様子をちらちらと窺う人々の目がなければ彼を罵っていただろうけれど。
押し黙ったサミュエルの雰囲気は、ほんの少しだけバルドゥルやリューベックに共通しているようにも見受けられ、彼も軍人なのだなと改めて思い知らされる。
「……あなたみたいな嘘つきでも、ひとかけらくらいは真実を言うこともあるのだろうと考えただけです」
その発言がなんだったか、あえてここで語るつもりはない。ただ彼も思い当たる節はあったようで「ふーん」と呟くのだった。
「俺ァアナタ嫌いですね」
「私も嫌いです。それで、どうなのですか」
「答える理由がありません。必要なのはクワイックの両親が帝都追放で完了することだ」
「ではその権限は誰が持つ。このまま野放しというわけではあるまい」
「それは殿下、もちろん俺が監督しますよ。放逐まできっちり見届けます」
「陛下も了承されたか」
「この通りです」
サミュエルも権力には弱いのか、手にしていた書類をライナルトに恭しく差し出した。
その内容を改めたライナルトは書類が本物であると確認したらしく、考え込むような素振りを見せる。
「真実、二人を追放だけで済ませると?」
「陛下は魔法使いでもない一般人にゃ興味を示されませんでしたので。あとはバルドゥル様の裁量ですね」
「信じがたいな」
「そうでしょうねえ。ですが殿下、これが実際の答えです」
サミュエルが同意するのはどうなのか。返された書類を揺らしつつ答える男は続ける。
「ですので、ここからは俺の管轄です。そこのお嬢サマには悪いですけど……」
「でしたら同行いたします」
「――なんですって」
「あなたが夫妻を帝都門を潜るまで見届けるのなら、それに同行したいと言いました。……私はエル・クワイックを……」
すぐ声にするのは難しかった。だがここで臆病になるわけにはいかない。
「殺しました。他人ならいざ知らず、私なら彼らの行く末を最後まで見届けても許されるのでは。必要であればライナルト殿下のみならず皇帝陛下にも許可をもらいます」
「……まぁそうですが、ですが友人でもあったはずだ。皆知っています」
「そこも含めての話です。もしや二人に何か余計な事を言わないか心配ですか。……でしたらサミュエルさん、あなたがしっかり私を見張ればよろしいのです」
「いやいやいや、そんな言い方は人聞きが悪い。俺が貴方を疑ってるようじゃありませんか」
「違いました?」
「はははは」
疑うなら見張っていればいい。私もサミュエルが二人に妙な真似をしでかさないか見張るつもりで言ってるのだからお互い様だ。
とにかくサミュエルにおじさんとおばさんを任せるのは反対だ。彼の管轄下にあるのならおかしな真似をしないよう見張らなければ。
「許可が必要でしたらいまから行ってきます。お話を通さねばならないのは皇帝陛下ですか、それともバルドゥル様でしょうか」
「……いえ、その件は俺に権限が移った。ですから隊長の許可はいりません。訪ねたところで俺に聞けと言われるでしょうし」
「では返答は如何でしょう」
サミュエルは迷惑だといった面差しを隠そうともしないけれど、私が彼に遠慮しなければならない理由はひとつもない。ライナルトが私の味方でもあったためだろうか、心底嫌々ではあったが了承したのである。
「ま、すぐに終わりますからいいですけど? ただし、俺の目の届かんところで話はしないでくださいよ」
「あら、私って信用無いんですね」
「とーんでもない。国のために友人まで手にかけてくださった勇者様を疑うなんて、ねぇ? 俺ァ反逆者を育てた二人が怪しい真似をしないか見張る必要があるんでさぁ」
大仰に言ってのけて嫌みったらしいが、言質は取った。それよりサミュエルはライナルトの方が気になるようだ。
「……まさかこの後まで同行されるおつもりで?」
「些事に付き合うつもりはないが、友人を単身で置いていくわけにもいくまい」
「へぇ、それはそれは友情に厚いことで……」
これからだが、おじさんとおばさんには簡単に事情を説明し、牢から連れ出すとのことだ。当然私も建物内までついて行こうとしたが、サミュエルのみならずライナルトにも止められた。
「収容されているのは夫婦だけではない。若い女性が入れば騒ぐ者もいるだろうから、貴方は控えるべきだ」
「ですが」
「ジェフ」
ライナルトの一声に、ジェフがサミュエルの後ろに続いた。声はないが無視しがたい存在感と身体から放たれる圧力はサミュエルを辟易させるには充分で、うんざりした様子で建物へ入っていったのである。
「ライナルト様、あの、お伺いしたいことが」
でもジェフに行ってもらったのはある意味幸いだったのかもしれない。
「追放というのは、文字通りそのままの意味なのでしょうか。彼はすぐに終わるといった様子でしたが、二人の荷物はどうするのでしょう」
「そこはサミュエルの裁量次第だろう。ただ再入門されないよう途中まで馬車で運ぶはずだ」
つまり適当なところに放り出して、あとは「戻ってくるな」である。身体に魔法印を施されるので帝都入りは不可能だと教えられた。
「出立の準備は許されるのでしょうか」
「……そこも裁量次第だろう。ただ、国賊と見なされた者の家族だ。家に荷物を取りに行けるかは怪しい」
「だとしたら、準備もなしに出ていくことになってしまいます。二人が道中襲われないよう、手を回すことはできませんか」
追放すると言ったサミュエルの言葉に嘘がなかったとしても、帝都外で二人を襲わない証拠はない。ライナルトは顎を撫でると「不可能ではない」と言った。
「知っている行商人にそれとなく監視させる程度はできるでしょう。ただし護衛は約束出来ない」
「それで構いませんから、お願いできますか。あと、すぐにお返しするのでお金も用立てていただけたら助かります。先立つものがあれば道中で商隊に混ざるくらいは出来るはず、それなら安全が確保できますし――」
ライナルトに頼んだのは、まさに彼が皇太子であるからだ。いくら私に付き合ってくれるといっても彼が見送りまでついてくることはできないだろうし、エルの両親を見送るなんて真似はできない。最後までサミュエルに同行するのは私とジェフになるだろうから、すぐに人を動かせる彼に頼んだのである。
「カレン。言いたいことはわかるが、貴方は少し落ち着くべきだ」
「サミュエルの隙をねらって二人には話を聞いてみます。難しいかもしれませんが、でも――」
「違う、そうではない」
困った子供をあやすような歯がゆさがあった。ライナルトがこんな顔をするのは珍しいが、私はよほど彼を困らすお願いをしただろうか。黙り込むと首を振られたのである。
「貴方が待つ二人は、娘を亡くしたばかりの親だ。少なくともそう知らされているはずだ。子を亡くしたばかりの普通の親が、目の前に仇がいて怨嗟を叫ばずにいられるだろうか。貴方はそのことを失念していないか」
返答に詰まった。忘れていたのではなく、あえて目をそらそうとした現実を突きつけられたのが怖かったからだ。まさか二人が泣いて喜んで私からお金を受け取るわけがない。甘い夢想を打ち砕かれた心地だが、責めるのはお門違いだ。
「……ライナルト様から適当に理由をつけて、二人がお金を受け取れるよう手を回していただけませんか。サミュエルがなにかするとは思いたくないですが、もしもの時にお金があって困りはしないでしょうから」
「一度隠れて様子をみては?」
「ありがとうございます。でも二人にはたくさんお世話になりましたから。それに元々会ってみる予定でしたし……」
サミュエルという予期しない人物が入ってきたのが予想外だったが、それでも追放前に遭遇出来たのは僥倖だった。
ライナルトが嘆息をついたところで建物の入り口がキィ、と音を立てて開いた。
先頭はサミュエルとジェフで、彼に続くように兵士が数名顔を出すが、彼らに挟まれて出てきたのはすっかりやつれてしまった中年の男女である。
「おじさん、おばさん」
駆け寄りたかった。
ライナルトに言われても、恨まれると想像していても、心のどこかではもしかしたら二人が私を心配して安堵の表情を見せてくれるのを期待していたのかもしれない。
けれど現実は違う。娘の友人だったはずの私を見た二人が浮かべたのは驚愕と、それに続く怒りだ。みるみるうちに痛みと怒り、悲しみをすべて織り交ぜた形相で唇を噛んだのである。兵士に縄で縛られた両手を引っ張られていなければ、いますぐにでも飛びかかってきていたかもしれない。罵倒が出ないのが不思議なくらいだったが、なんと一時的に声を封じているのだとサミュエルは語った。
「だぁって、五月蠅くされるのは勘弁なんでねー。静かにしてくださいよー」
軽い調子でサミュエルが二人を制すると、二人の動きは制限されてしまったのである。
「家に連れてくわけにはいかないんでー、帝都に再入場できないよう印を施した後、外に出します。よろしいです?」
「……待って、単身で追い払うというの。家財はどうするのですか」
「はい? ……命まで助けたのに持って行かせるわけないでしょ。よかったですねぇご両人。こちらの夫人が見送りに来てくれるそうですよ」
こいつの嫌みはどうでもいい。
それより本当に家財の回収さえ許さず、有無を言わさず追い払うようだ。それはもう野垂れ死にを期待しているのと同様だ。だがここで彼に文句を言うよりは、ライナルトに頼んだ件を確実にする方がずっとましである。
「二人は幌馬車で運びますけど、流石に同乗はやめてくださいよ」
「……わかっています。ただ、サミュエルさんも同乗するわけではありませんよね。私もあなたと同席します。ライナルト様は……」
「殿下まで同席されるのはお止めくださいよォ。そこまでお暇なわけではないでしょう」
「……カレン、後で伺います。よろしいですね」
「はい」
サミュエルには嫌そうにされたけど今更だ。ライナルトはこちらにだけ聞こえる小声で呟くと行ってしまったが、男に従ったというよりは、私の頼み事の準備をするためだろう。
ライナルトが姿を消し、おじさんとおばさんが幌馬車に収容し終えると私たちもサミュエルと同じ馬車に続くが、これ見よがしに溜息を吐かれた。
「……夫人さえいなかったら俺ァ馬でさっさと移動できてたんですけどねぇ」
「わざわざ用意してもらえるとは恐縮です」
「いいえぇ、まさかご婦人に馬に乗れっていうわけにもいかないんでェ。馬車で楽ゥに移動できるんで感謝感激ですよぅ」
「本当に嫌みを欠かさない方ですね。恨みがましい性格だと言われませんか」
「ご心配なくー。よぉっく言われてますんでェ」
「カレン様、まともに相手をするのはお止めください、口が穢れます」
「主がこうなら、護衛も護衛だ」
……ふと思うのだが、私は怒りを呑み込むのになれてしまったのだろうか。
「ジェフ、この方おかしな言動はされていませんでしたか」
「一応問題のある言動はありませんでした」
「本当、いい性格だよあんたら」
エルを救えなかったのは私の咎でもあるのだけど、だからといってサミュエルを前にして、心とは裏腹に嫌み程度ですませている自分の頭がおかしくなったようで自嘲の笑みが漏れていた。
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