139話 予想斜め上の告白
「兄が……ですか」
「おや、信じられないと言ったお顔をされておりますな」
「とんでもない。兄がヴィルヘルミナ皇女のお役に立てているのであれば、この上ない名誉でございましょう。妹として誇らしく思います」
悪戯っぽく問いかけるバイヤール伯は、おそらく驚愕の理由を察している。なので私も素直に疑問を口にした。仕事の合間に聞いていたバイヤール伯の人となり含め、兄さんが懇意にしている人であると踏んだためだ。
「ただ……どうしても驚いてしまうと申しますか、バイヤール伯ならおわかりでしょう」
「ふむ。皇女殿下の器の広さに驚かれておいでですか」
「もちろん、皇女殿下の度量を疑っているわけではないのですが、占領国に対する皆さまの意識もあるでしょうから……」
「おっしゃりたいことはわかりますよ。だが、それはライナルト殿下にもいえることではないですかな」
「その通りです。ですがバイヤール伯、兄と私ではいくらか状況も違いましょう」
「確かに」
含み笑いを零したバイヤール伯は、さてなにを考えていたのだろうか。
わかるのは、この人が殊の外あたたかい眼差しを向けてくれることと、意外にも兄さんと皇女殿下の仲を悪く感じていないという点だろう。
「彼は良い人材ですよ。皇女殿下にとっても良き相談相手で……失敬、知り合いに呼ばれているようだ」
「どうぞこちらのことは気にされずに。またお会いできる日を楽しみにしております」
「今度はゆっくりとお会いできると良いですな。こちらから話しかけておいて申し訳ないが、それではまた」
知り合いらしい夫婦に呼ばれたバイヤール伯は去ってしまったが、この点についてはアヒムを問い詰めることで補填できた。流石にだだっ広い会場で話すことじゃないから、人気の少ない場所を選んだのだけれど、そこで彼は肩をすくめてみせたのだ。
「まあなんというか、皇女殿下とアルノー様は相性が良かった。おれの見立てじゃそんな感じですよ」
その仕草はどこか諦めを通り越した、出来の悪い弟を見守るような柔らかさがある。
「……もしかして反対した?」
「わかりますか。……ま、一応はね。皇女と弱小貴族じゃ身分違いも甚だしいって言いましたけど、ああいうのは反対すればするほど逆効果ってもんです。それに大の男が決めたことですからね、破滅に向かわない限りは本気で止めませんよ」
身も蓋もない台詞だけれど、そこに馬鹿にした響きはない。ただアヒムは彼の役目として一度なりとも忠告をした、しなければいけなかったのだろう。
「兄さんが皇女殿下についたって聞いた時も驚いたけど……」
「あ、それね」
「……なに?」
「いまだから話せることなんですが」
などとアヒムは話し始める。
「多分お嬢さんの知ってるままのアルノー様なら皇女殿下の目に止まることもなかったと思いますよ。いくら仕掛けたのが向こうとはいえ、飼い殺し程度で終わるはずだったんじゃないかと思いますが、それでおわらなかったのは多分後悔からだ」
「……どういう後悔?」
「話し合いですよ。相互理解のためのね」
黙り込んでしまったのは、私にも覚えのある出来事だったからだろう。表情をかたくしていたが、アヒムは責めているわけではない、と首を振った。
「きっかけにすぎませんよ。ただ、ファルクラムでお二人ともあまり話をしなかったことが、溝が生まれた原因みたいなところあるでしょ」
「……そうね、耳が痛い話だけれど」
「その一言が聞けて安心しました。で、だ。後悔してたのは坊ちゃ――アルノー様も同じだってことです」
だから、とアヒムは言う。
「おれが考えている以上に間違えないようにしたかったんじゃないかな。こちらに来てからアルノー様は相手を理解しようと話し合いを望みました。皇女殿下を理解しようとしたんです」
例えば、とアヒムは例を出す。皇女が突拍子もない意見を口にしたとして、常であれば己の立場を考え口ごもる場面であっても、自分の考えを述べ、その上で皇女の意見を求めた。間違っていると思ったのならば真っ直ぐに意見をぶつけるようになったのだという。
もちろん、それは臣下となれば当たり前とみなされるべき行動だ。おかしな点はなにもないし、当然の行為でもある。
けれどそれを派閥に入りたての末端の貴族がやってみせた。切られるかも知れないという恐怖を抱かなかったはずがなかろうに、周りに臆することなく、自分がつかみ取るべき役目を見出したのである。
「信じられないかもしれませんが皇女殿下は真っ直ぐな人ですよ。……ま、そこはちと意外でしたが夢に向かってひた走る人だから、小うるさいアルノー様ぐらいがちょうど良かったんでしょう。それに二人とも、どういうわけか気が合うんだ」
そして幸いなことに、皇女には兄さんの言葉を聞き入れるだけの用意があった。
これに関してはまだ二人を見ていないからなんとも言えないが、誰よりも兄さんを見てる彼が言うのだから間違ってはいないのだろう。二人のプライベートまで話してしまっていいのか疑問だけれど、アヒムなりに思うところがあったのかもしれない。
ところで彼は気になることをいった。皇女から仕掛けたとは一体どういうことか。これに関しても種明かしをしてくれた。
「いまだから明かしますが、どうやって皇女殿下がおれたちに接触したか不思議に感じませんでしたか。一応は調べたんでしょ」
「……兄さんから接触したわけじゃなさそうってくらいかしら」
「簡単ですよ、命の恩人だから無下にするわけにはいかなかったんです」
仕組まれた出会いだったのだ、とアヒムは語る。
始まりは、おそらく彼の国の実権がライナルトの手に渡ることを危ぶみキルステンに目を付けたことに起因する。面会も希望されたようだが、アヒム曰く「キルステンもライナルト殿下の目が怖いので警戒は厳にしてた」らしく接触は断っていたようだ。
ところがある日、領地の視察帰りに野盗の襲撃に遭う。野盗の数が多く、なんとか退けようとしたところで「偶然」通りかかった皇女の手の者に救われ、その縁で二人は知り合ったのだ。
「……その言い方だと、仕組まれてたのはわかってたのね」
「どういうわけか不思議と人の目がない場所でしたし、流石に出来すぎてたんでかなり早い段階で気付きましたね。だけど真っ正面から仕組んだだろなんて言えませんし、なにより……わかるでしょ?」
「ええ……本人に言われてしまったから」
兄さんは元々ライナルトを好ましいと思っているわけでもない。ひとまず皇女と一席を設ける流れとなり、最終的にヴィルヘルミナ皇女に付くことを決めたようだ。
そこから先は、ただ利用されるだけのはずだった男が皇女を理解しようと努め……そこで心通わすような出来事があったのだろう。
話を聞き終えると、なんとも言えない溜息が漏れた。
だとしたら、兄さんはわかってた上で全て受け入れたことになる。
アヒムが説明以外になにも語らないのは、本人に聞けと言いたいからだろうか。それとも、先に話を聞かせておきたかったのかもしれない。
「聞きたいことは他にもあるけれど、それは本人に聞くべきなのでしょうね。教えてくれてありがとう」
「楽しい時間を邪魔してすみません。ただ、いまでないと話せそうになかったんで知っておいてほしかったんです」
「兄さんのことを?」
「そう、アルノー様もそろそろお嬢さんと話し合うべきだと漏らしてたんでね。心構えもなしに対話に挑むのとでは大分違うでしょう?」
「うん。……そうね、その通り。でもそこまで漏らしてよかったの?」
「聞かれて困ることは話してませんよ。それに、これはおれの我が儘ですがお二人には仲良くいてほしいんですよ。それにアルノー様が目立って動けない以上、おれが動くしかないんでね」
ケロリといってのけるけれど、きっとどこまで話すべきかは悩んだはずだ。ただ、そのあとのアヒムは少し雰囲気が変わった。
「それと……あー、その、ここからは個人的な用事です。本題と言うべきかもしれませんが」
「あら、これが本題じゃなかったんだ」
「会場に入ってからアーベライン殿やリューベックの長男と踊っているのを見ました。一応確認しますが、あの人達、お嬢さんの本命ですか」
「……本当にそう思うの?」
「はいはい。いまの顔でわかりましたありがとうございます」
渋い顔になったせいだろう。胸をなで下ろすと、唐突に語り始めた。
「色々考えたんですけどね、おれはどう足掻いてもアルノー様を優先しちまいます。幼なじみってのもありますが、剣を捧げると決めたのはあの人だけだ。だから多分、それは変えられません」
それは知っている。むしろ私やエミールを優先する方が心配になるレベルだ。改めて宣言されてもといった感じだが、そこで彼は力なく笑いを零した。
「だからまあ、できればお嬢さんにはこっち側についてもらいたい。なんでおれはおれなりに出来ることをしようと思いまして」
「……うん? がんばっ」
「お嬢さん、おれの嫁さんになりません?」
「へ」
これまた突然だった。はじめはなに冗談言っているのだろうかと思ったけれど、目は真剣そのものだし、巫山戯ているわけではないとすぐに伝わったのである。それにしたって色気も脈絡も、そもそもその気すら起こさせない部類の告白であることを彼は自覚しているのだろうか。
……してるだろうな。
さらりと、しかし逃れようのない言葉だったせいだろうか。誤魔化したり恥ずかしがるのは違うような気がして、真面目に考える。その上で首を振った。
「……ごめんなさい。その申し出は受けられない」
「じゃあ今回は諦めます。次は良い返事を期待してますね」
「え、諦めないの?」
「一回で落とせるなんて思ってねーですもん。今回は知ってもらいたかっただけですし、次は伝えたい言葉もあります」
アヒムはひらりひらりと手を振って踵を返す。ニヤリと笑った口元は、まるでダメージすら受けていない様子であった。
「えっ、ちょ……」
追いかけようにもあっという間に人の波に呑まれて消えてしまったのである。
まさかのいい逃げである。呆然と見送った後は休憩室に下がり、しばらくものも言えず黙り込んでいた。
アヒムの発言もそうだが、予定していない踊りに加え慣れない靴で歩き回ったり、会場中歩き回った挨拶回りで疲れ切っていたのだ。そのせいで宮廷侍女が下がるなり腰から椅子に沈み込んだ。もちろんドレスに皺が寄らないよう気をつけてだけれど、布張りのふかふか長椅子は抗いがたい魅力に溢れ、逆らうことなどできなかったのである。
目前のテーブルには水差し、葡萄酒、果実水や果物。軽食はその辺を歩いている侍女を捕まえれば持ってきてくれるようだが、話しかける気にはなれない。雑な動きで果実水を器に注ぎ、二部のために体力を回復させるため口に運ぶ。
「……終わるまで持つのかなあ」
これまでのことを指折り数えて整理してみるけれど、そのどれもが無視するには難しい問題だ。
リューベックさんの意図不明な好意。
ちょっと気になるライナルトとトゥーナ公の関係。
ヴィルヘルミナ皇女と兄さんの仲とか。
昔馴染みからの雰囲気もへったくれもない告白。
……誕生祭に出席しただけなのに、諸々詰め込まれすぎではないだろうか。そのうえ肝心の本題がまだ残っているのである。
微笑ましいといったらニーカさんとモーリッツさんくらいだ。早くも赤毛の美女と会いたくなってきたし、いまならあの仏頂面も笑顔で出迎えられる。
体力が回復した頃になると休憩室にやってきたモーリッツさんはお疲れのようで、こちらを一瞥するなり椅子に座って目を閉じてしまわれた。話し相手になる気はないようで、そのまま沈黙の休憩時間である。
なお、同じように休憩室に下がったエルだが、彼女の行方を侍女に尋ねても首を横に振られてしまった。小休止の後どこかに行ったようで、会場に戻ったのかもしれないと言われたのである。
そうなるとあとはただただ身体を休めるしかない。いつの間にか眠気に意識を持って行かれそうになったところで、扉が数度叩かれた。
「お時間です」と告げる言葉は二部参加者にとっては始まりの、一部参加者にとっては退散の合図である。
私たちは前者となるわけで、一部と同会場へ逆戻りである。ただし、二部開始前の会場は相当数人が減っており、人々は自然と奥側へと集っていた。一部時には解放されていなかった区画で、渡り廊下に白磁の階段がついた一画である。中央に敷かれた赤絨毯がこれから訪れるであろう人物を嫌でも想起させる作りである。
会場が閉め切られると暗黙の了解のように皆が口を閉じた。私も周囲に習って階段の方向を見つめていると、誰からともなく手を叩き始めて盛大な拍手が会場中に響き渡る。
ファルクラムの夜会でのように、皇帝の来訪を告げる声は無かった。
階段には美しく着飾った女性達が並ぶ。十代から三十代と思しき彼女らは全員が皇帝の妻であり、上座の女性が正妃である。クロードさん等に事前に聞いていた「皇帝の好む登場シーン」のうちの一つだ。
女性達が膝を折り頭を垂れると、立派な騎士を従えた男性が姿を現す。
「余の美しく! 聡明で! 愛しき臣民よ! この目出度き日によく集まった」
芝居がかった口調に反し、容姿は意外にも平凡だ。
黒髪に白髪が交ざり始めた年頃の男性。一見柔らかそうな面差しは皇帝と紹介されなければ、皆一様にして笑い飛ばしてしまうような平々凡々の容姿である。
驚愕はなかった。どちらかといえば納得、そんな感情を隠して拍手を続けるのである。
皇帝カールと称される奇人。
ファルクラムからの帰還時、帝都門前で助けたあの商人が拍手を浴びて両手を掲げていた。
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