122話 先行き不安な練習+イラスト追加

 ヴェンデルと猫は再会をおえて、それじゃあ皆さんお茶にしましょう!

 ……と、なればよかったけれど、生憎うちの家令殿は甘くない。


「ヒル達を呼び戻すのは他の者に任せましょう。カレン様も揃いましたし、早速練習いたしましょうか」

「う……」

「せっかくニーカ様もお越しくださったのです、時間を無駄にしてはいけませんよ」


 このように仰せである。我が家の影の支配者はウェイトリーさんといっても過言ではないので、もちろん逆らうなど許されない。ニーカさんも観念したのか、半分死んだ魚のような目で茶器を傾けているし……。初めて見る彼女のスカート姿、遠目で見るとごく普通の女性で決して派手ではないのだが、間近ですれ違うと目を引く不思議な魅力がある。


「私はヴェンデル君と一緒に向こうの部屋に行ってますね。落ち着いたら戻りますから、始めておいてください」


 泣きすぎて目を腫らしているヴェンデルを心配するエミール。二人の背中を押したエレナさん夫婦が別室に移動すると、早速練習に突入したのである。

 練習用のかかとが高い靴を履いた私とニーカさん、エルの前にマルティナが立つ。


「では僭越ながら、基礎はわたくしがつとめさせていただきます。応用はエレナ様が教えてくださることになりましたから、ひとまず皆さまがどこまで踊れるかを見せてくださいませ」


 なお、我が家にはピアノなんて上等な楽器は置いていない。従って伴奏は手拍子となる。

 私は駆け出し十秒程度を除き、基礎のきの字も壊滅的なので披露するのはエルとニーカさんになる。そこで判明したのは、エルはそこそこ踊れると言うこと。ニーカさんは基礎を知っていた程度、という点だ。

 ぎこちないながらもウェイトリーさん相手に踊り終えると、このように評された。


「エル様はしばらく踊っていなかった、くらいの印象を受けますね。基礎はできていらっしゃるようですし、すぐに勘を取り戻せるでしょう」


 私にはニーカさんという仲間がいるのだ。ひとりじゃないという心強さは、やたら教える先生が多い厳しい状況にも耐えうると……。

 ………………信じていました。


「……これほどとは」

「いいえ、ウェイトリーさん。まだ始めたばかりです! そのように嘆かれては……」

「しかしマルティナ。カレン様のこの動きをどう見ますか」

「かなり鈍い……独創的……ではありますが、諦めるほどではありません。きっと矯正できます!」

「同意見です、時間をかければ可能でしょう。しかし誕生祭までとうに二十日を切ろうとしている。猶予がないからこそ、見た目だけでも取り繕うために男性役を投入しました。下手に褒めて伸ばすなどと呑気に構えている時間はありません」

「そ、それは……」

                                 

 言い淀まないで、めげないで、頑張ってマルティナ。

 確かに本来はまず一人で姿勢や基礎的な足運びを練習してから男性役と一緒に……という流れらしいが、なにせ私やニーカさんそれぞれ仕事を抱える身。時間が足りないからこのような練習になったのだが、どうも彼ら曰く私は運動神経はおろか音感まで悪いようだ。


「悪いって言うか壊滅的」

「違うもん。進行の調子が掴みにくい手拍子や音楽が悪いだけだもん」

「じゃあニーカはどう説明するのよ。見よう見真似で遜色ないくらいには動けてるわよ」

「あーあーあーあー聞こえませーん」


 エルは心を読まないでもらいたい。大体練習を始めたばっかりだし、簡単に諦めるのはよろしくない。この頃になるとエレナさん達も戻ってきて、夫妻共々踊って見せてくれたのだが、いやはやまったくもって別次元の華麗さである。

 ニーカさんはジェフの足を踏みつつ苦戦しているようだが、短時間であっというまに基礎をマスターしたので超人そのものである。

 なお、相手役がジェフになったのは身長のある彼女に合わせてのことだ。ヘリングさんがお相手を務めるのは双方に嫌がられた結果である。

 エルはシスやヘリングさん相手に踊り倒すと勘を取り戻したのか、野次役に回ったのでもはや仲間ではない。

 基礎や型を一通り習うと、今後の練習についてウェイトリーさんとマルティナが相談に入ったのだが、お茶菓子をひょいひょいと口に運ぶシスがこんなことを口にした。


「どうしてもうまくいかないっていうなら、とっておきの練習方法を提案するけどやってみるかい」

「へえ、それ、どんなのです?」


 見た目以上に食事をたくさん摂るおかげで、机に並ぶ菓子の量は倍以上である。人より食べまくっている彼だが、途中から手拍子だけではわかりにくかろうと弦楽器による演奏を買って出てくれたので、地味に最大の功労者である。

 エレナさんは明らかにシスを警戒しているが、いまのところ無害ということで注意するだけに留めてくれているようだ。そんな彼女の気もしらず、シスは一口でクッキーを飲み込んだ。

 

「いっそ失敗できないヤツ相手に練習するのさ。例えばモーリッツとかね。いまなら仕事に追われてピリピリしてるから、死ぬ気で練習できるんじゃないかな」

「モーリッツ? 冗談だろう、あいつは呼んだって来ない」

「ヘリング、私は別に呼ぶなんていってないだろ。連れて来さえすればこっちのものだ」

「攫う前提はやめろ。最近ただでさえ忙しいのに、流石に可哀想になってくる」


 シスならやりかねないと思ったのか、ニーカさんも同情的である。

 

「あいつに倒れられたら業務が滞る、勘弁してくれ。というか、お前はもうモーリッツに関わってやるな。お前の名を聞くたびに眉間の皺が濃くなっているんだぞ」

「先輩もこう言ってますし、駄目です」

「君たちは本当に失礼だなぁ。私が行くところに、勝手にあいつが関わってくるんじゃないか」

「後始末してくれてるんでしょう。先輩だって苦労させられてるんですからね」

「君らだけに迷惑かけてるわけじゃないだろ。誰だって同じだ」


 確かにモーリッツさん相手にさあ練習しろといわれたら身に力が入るどころではないが、あまりに鬼畜過ぎないだろうか。足を踏むごとに舌打ちされそうで嫌だ。


「ライナルトくらいなら面白がって来そうだし声をかけようか? 一回足を踏むごとに痣を作るか、怪我をさせてしまうって気持ちで挑めば頑張れるだろ。いっそ踏むごとに本当に靴を貫通するよう細工を施せば……」

「エグい! それにライナルト様が大変なことになるじゃないっ。却下!」

「ちぇー」


 もっと恐ろしいことを平然と言うなぁ!

 しかし怖いのは、エルでさえこの提案に同意しかけたことだ。


「相手が誰かって言うのは置いといても、カレンの場合そのくらい必死にならないと無理じゃない? みっちり練習三昧ならともかく、二十日足らずで披露できるまで……って相当難題よ?」

「エルまで……! まだ始めたばかりだから、なんとかやってみせるから!」


 そんなことしなくたって元々必死である。

 向こうでウェイトリーさんとマルティナが二人して難しい顔をしているのをよそ目に「あ」とエレナさんが声を上げた。


「カレンちゃん、バーレ家のベルトランド・ロレンツィのことですけど」

「は……。その節はすみませんでした! けっして誤魔化そうとか嘘を言おうとしたわけではなく……」

「いえいえ、事情があるだろうし責めてるわけじゃなくて、ちょっと小耳に挟んだ話があるんですよ。こんな噂をご存知ですか」


 エミールもいないし、興味が赴くままに耳を傾けた。どうやらエレナさんといった軍人さんの間ではベルトランド・ロレンツィの隠し子の話はとっくに噂になっているらしい。


「あの御仁は敵を作りやすいと聞いていますから、揶揄も含んでいるんでしょうけど」

「私はベルトランドのような人間は見ていて面白いけどね」

「シスはそうでしょうよ、シスは」


 ベルトランド・ロレンツィ氏だが、噂になれば当然そのことをつついてくる輩が出てくる。ある日、公の場で隠し子、つまり私のことで皮肉られたようなのだが、氏は大真面目に頷いた。


「なにぶん方々旅をしていたのでね。子供と言われてしまえば身に覚えがありすぎるので過去を振り返っているところだが、もしその娘が美人であれば自分の娘でしょうな。なにせ貴官と違い美女が放っておいてくれないんでね」


 堂々と言い放ったようである。萎縮すらしない見事な態度だったようで、喧嘩を売った相手は鼻で笑われ終わってしまった。


「変な人なのね……」

「自信家ではいらっしゃいますね。バーレ家が養子にするだけはあります」


 ヘリングさんが謎の納得をしている。

 たったこれだけの話だが、教育に悪そうな御仁だということがよくわかる。私はキルステンで育てられて良かったのだと、改めて父さんに感謝せねばならない。

 しかし実父の話が相当広まっているようだし、いい加減エミールにもこの話をしておかないといけないな。……そうだ、ニーカさんには頼みたいことがあったんだ。


「ニーカさん、ライナルト様にお聞きしたいことがあったので、お手間ですが手紙を渡しておいてもらえませんか」

「手紙ですか? 構いませんが、用事がおありでしたら予定を確認しましょうか」

「個人的な用事なんです。急ぎでもないし、できたらくらいの話ですから気になさらないでください」

「わかりました。明日には届けられると思いますよ」


 それに宮廷って、なんだかんだで準備や往復で時間を食うから、一刻すら惜しいこの状況では出向いてはいられない。今日こそ初日でありお客様がいるからこの程度で済んでいるけれど、おそらく明日からは地獄のレッスンの始まりだ。

 英気を養うつもりでお茶とお菓子を流し込むと再び練習。頭と身体の連動が一致せず、ひたすら全身が痛いだけの結果に終わると夕餉を迎えたのである。

 お客様を交えた食事は美味しかったし、料理人が腕によりをかけた食事は評価をもらえた。ヴェンデルやエミールの話で盛り上がりつつ皆さんに舌鼓を打ってもらった後、ここから先は子供達を抜きにした会話だ。

 そこでヴァルター・クルト・リューベックの評判も聞くことができたのだけれど、エレナさん夫婦はあまり面識がないようだった。


「第一隊って陛下直属みたいなものですから、前に出てくる事ってほとんどないんですよね。腕が立つのはわかりますし、やたら偉そうにしてるのが印象的ですけど」

「隊長の方が過激で有名ですね。ですので副長はあまり……。所感で申し訳ないが、あまり近づきたい人ではないですね」


 前線に出る人達から良い印象はないようである。あれだ、警察におけるキャリア組とノンキャリア組の感覚に似ているかもしれない。

 唯一彼のことを知っていたニーカさんの印象もいまいちだ。


「さほど話したことのない相手ですので……。物腰も穏やかでよく笑う好人物でしたが、反面、陛下の信頼が厚いのも納得したといえば伝わりやすいでしょうか」

「な、るほど……」

「ですが女性、特に帝国市民に無体を働く人物ではないはず。エレナ達ほど心配しなくとも良いと考えますが、個人的に好意を向けられているのであれば純粋に気をつけてもらいたいですね」

「その好意を向けられてる理由もいまいち掴みかねているのですが……」

「……そればかりは、私にはなんとも」

「そうですよね。すみません、困らせるつもりはなかったのですけれど」


 カール皇帝の命が絡んでいるとなれば、どう転ぶかわかったものではない。対リューベックさんにはもういくらか慎重に対応するとしよう。


「……付添探す?」

「カレンちゃん、エルの言うとおりですよ。可能だったら付添役を探した方がいいです。そこそこ名の張った相手に当てはありませんか」

「探してみますが、引き受けてくださる方は見つかるでしょうか。それにエルと話しましたけど、陛下直々のお誘いとなると……」

「カールのことを知ってる普通の人間なら、まず新しい愛妾候補を揃えたと考えるだろうから、引き受けにくいんじゃない」

 

 悔しいがシスの言うとおりだ。

 それとリューベックさんから紹介してもらった『蕾の薔薇ガルニエ』というご大層な店は、一見さんお断りの仕立て屋であると判明した。紹介があっても一月以上前から予約を入れるのが普通とのことで、果たして飛び入りの依頼を受け付けてくれるかどうか不安である。明日確認して、駄目だったら別のお店に行かなきゃ。

 他にもいくらか雑談を交え、流石に解散となった時間帯。エレナさん夫婦はお隣の自宅へ、ニーカさんも彼らに泊めてもらうようだ。

 さあお布団に入ってぐっすり……とはいかない。まだマルティナの話が残っているのである。ウェイトリーさん共々、向かいあって応接室で話を聞くことになっていた。


「遅くなってごめんなさい。今日は遅くまで大丈夫と聞いていたから、ついこんな時間になってしまいました」

「とんでもない、ただの家庭教師であるわたくしまで夕餉にお誘いいただけるなんて光栄でした。それに弟妹達は親戚に預けているんです。ですので遅くなっても問題ありませんわ」

「……でしたら今夜は泊まっていきますか? いまから帰るのでは危険でしょう」

「それは……」

「ふむ、カレン様。話を聞いてからにいたしましょう」


 夜では馬車を呼ぶのも時間がかかるし、一人で帰らせるのは気が引ける。ヒルさんたちも休んでいるから、我ながら良い提案だったのだけれど。

 マルティナは緊張に身体を強ばらせ決死の面持ちで切り出したのである。


「ご相談というのは他でもありません。わたくしを家庭教師としてだけでなく、秘書として雇っていただくことはできないでしょうか」


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新表紙:https://twitter.com/airs0083sdm/status/1353175172526690304

キャラクターデザイン:しろ46(@siro46misc)※前回の猫とヴェンデルのファンアート等有

イラスト:オロロ(@ororooooooops)




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