第73話 彼の背中をおいかけた

 陛下襲撃の報に真っ先に立ち上がったのは兄さんだった。


「陛下が? お待ちいただきたい、だとしたら陛下はご無事なのだろうか。それになぜ近衛を差し置いてライナルト殿が……」

「陛下の御身は確認中です。近衛は襲撃者の備えと陛下を取り戻すべく奔走されているご様子。手空きであり出立の用意をしていた我々へ要請があったのです」


 戸惑う兄さんに、ライナルトはあらかじめ決められていたかのような台詞ですらすらと喋っていく。そこに貴族の次男坊としての優しさは微塵も存在せず、あるのは剣を持つ者特有の鋭さだった。


「それでご当主、サブロヴァ夫人はご無事だろうか」

「あ、ああ……。いまはまだ部屋で休んでもらっているが……」

「ならばご当主含め、皆様方は決して外へ出られぬよう説得をお願いしたい。よろしいだろうか」

「そ……れは、構わないが……ライナルト殿がなさったほうがよろしいのではないか」

「私は他の将と協力し、陛下や国民を守らねばなりません。ですが館には部下を置いていきますので、そこはご安心いただきたい」


 ライナルトはヘリングさんを紹介すると、彼が館の警護をつとめると安心させた。姉さんの心身を騒ぎ立てるのは避けたいらしく、このまま現場に戻るのだという。この間に起きてきたエミールに姉さんの様子を確認しに行くようお願いしていた。


「どうか陛下をお助けください。あの方がいなくては、妹が……」

「最善を尽くしましょう。ですからご当主、くれぐれもよろしくお願いします」

 

 この頃になると空は白みはじめていたのだが、兄さん達の会話など上の空で……というより、あえて彼らの会話を頭に入れないように外を見ていた。

 なぜって、余計なノイズを除外するためだ。このときの私は昨日の、これまでのライナルトの発言の意味を思い返していた。

 コンラートの襲撃を発端としたラトリアの侵攻。それを知っていたライナルト。両殿下の死とジェフリーの死の偽装。考えてみたらごくごく単純な話なのだけど……。

 笑ってくれてかまわない。いざ「その時」を迎える当事者側になると、事実はなかなか受け容れがたいのだと初めて知った。


「お嬢さん?」

「ん? なに?」

「いえ、なにか……大丈夫ですか」

「平気よ。……ありがとう」


 ……本当は、もしかして、もしかしたらとずっと疑問を抱いていたのに、どうして私はここまで鈍くなれたのだろう。パズルのピースは揃っていた、私だけしか知り得ない事実を掴んでいた。それが形になろうとしている瞬間を目前にして、いまさらどうしたらいいのかと惑う自分が情けなくて、彼の顔が直視できなかった。

 彼が私に声をかけないのは、そんな迷いが生じると知っていたからであり、真に信用まで至れなかった理由なのだろう。


「それでは時間がないので失礼する。皆様方はどうか私共を信じていただきたい」


 ライナルトは部屋を出て行った。残されたのは先ほどまでテーブルを囲んでいた身内とヘリングさん達だ。

 このまま行かせて良いのか。自問自答する前に足は動いていた。

 兄さんがどこへ行くのか問いかけてくるけれど、ヘリングさんが止めに入る様子はない。簡易な部屋着に肩掛けを羽織ったまま、あの背中をおいかけた。

 ちょうど玄関を越え外に出たところだ、ライナルトの名を呼ぶと、振り返らずに行こうとした袖を掴む。無礼だろうと構いやしない、ここが私の勝負所なのだからなりふり構ってはいられない。怖じ気づいた指先が震えていたが、それはそれだ。 


「あ――」

 

 あなたの望みを知っている。

 そう言おうとして、本当にそれでいいのかと言葉を止めた。いま私はライナルトの関心を引こうとしている。彼がこの国でなにを引き起こし、どのような混乱をもたらそうとしているのか、細かな過程まではかることはできないけれど、限りなく真実に近いであろう推測を立てている。

 同時にファルクラムの民であれば止めるべきだという感情と、姉さんに対する裏切り。それらの罪悪感も全身にのし掛かってきた。

 

 ――国が滅ぶ。ライナルトが動くとは、きっとそういうことなのだ。


 わけもわからない衝動に駆られてただ引き留めた。

 なにを言う。なにがしたい。私はどうして彼を追いかけた。知らず足が動いていた理由を考えて、コンラートを生かすためなんて建前だけでは理由になっていないと愕然とした。


「あなたは……」

 

 そのとき、ふと、ある人の言葉がよみがえった。あの老人はこう言ったのだ。『君らしく己が目で確かめ、そして自分の道を決めなさい』と。

 私に様々な知識を与えてくれた恩師がやわらかな微笑を浮かべていて――。

 ……その微笑を思いだしたら、謝っていた。彼らに、そして姉さんに。

 これから裏切る人たちに対して謝って、覚悟と呼べるものなのかはわからないけれど、彼に伝えるべき言葉を選別した。

 ライナルトの心を引くのなら、もしこれからも彼の目に留まり続けたいのなら、この人相手に感情を訴えるのは果たして正解なのだろうか。


「こ……」

  

 たぶん、それは不正解だ。


「今後キルステンは貴方に従わざるを得ないでしょう。庇護を受けるであろうコンラートも同様です。ですが、他の……あなたの考えに賛同する者に対してはどうお考えですか。なんと対処されるおつもりでしょう」


 目は逸らさない。真っ直ぐに相手を見つめて告げたのは、私を彼に売り込むためだ。なにか言われる前に口火を切ったのは私なりの先制だ。


「あなたが動きやすくなるための土台作りを私共がいくらか引き受けましょう。ですからその説得材料として、彼らに対して財産の保証を約束してくださいませんか」

 

 ここにいるのはかつての元婚約者もどきでも、可哀想な未亡人でも、兄姉の保護を受ける被保護者でもない。共犯者なのだと知らしめてやらねばならない。彼という操舵手が動かす船に乗らねばならないのだ。

 はっきりと、これまでにない厳しさで私という人物を判定する視線が遠慮なくささっていく。心を読まれているわけでもないのに、なにもかも見透かされている気がして身震いさえしたのである。

 だが、それも時間で言えば僅かな間だ。ライナルトの決断は早かった。 

 

「モーリッツ」

「はい」

「彼女を後援につけろ。貴族共の仲立ちに役立ってもらえるようなら出てもらうといい」

「かしこまりました」


 モーリッツさんは恭しく頭を垂れ、今度こそ去って行く主君を見送る。ライナルトは一度もこちらを振り返らず、金の髪をたなびかせながら黒馬で駆けていくのだ。

 ……おそらく、姉さんの夫に死を宣告しに。


「酔狂ですな」


 ライナルトが姿を消してから静かに呟かれた声は、心に沁みるように響いていた。


「国の危機に自ら炎の中に身を投じられるとは気が違っているどころの騒ぎではない。貴女のような人間はまったく度しがたい人種だ」


 嘲りともとられそうな台詞だが、馬鹿にされているわけではないし、いまは少しだけ、受け取り方も違う。だってこの人、はじめっから私が彼に関わるのを好んでいなかった。


「売国奴と罵られる覚悟はおありか」


 ……深く関わってしまえば、裏切り者として扱われる未来を知っていたのだろう。

 無論温情だけでなく、生半可な覚悟の者が身内にいる不安要素も外したかったのだろうが、生憎と私も宣言してしまった。おかしな話だけれど、コンラートの書斎で伯が腰を掛けて尋ねている姿まで夢想したのである。

 いいのかね、とあの老人は穏やかな表情で問いかけるのだ。

 いまならまだ離脱を許してもらえる。彼の被保護者として屋敷に引っ込んで布団にくるまっていれば、国の危機に結びつくなんて知らなかった、巻き込まれただけの哀れな被害者の一人として振る舞うのも許されるよと話してくれる。

 ここで止まらないと気楽に過ごせるはずの夢が遠のくし、それはとても、本当に面倒ではあるのだけど――。


「はい。もう決めました」

「よろしい。では存分に役立っていただきましょう」


 現実と彼方にいる師の両方に返事をして、知らず浮かんでいた涙を拭った。相変わらずこっちの方なんて見ようともしないモーリッツさんはどこまでも冷ややかである。


「貴女は運が良い」

「え?」

「我が主君が侵略者であるのには変わりないが、貴方が考えているほどファルクラムを悪いように扱う気はない。少なくともこれから侵攻されようとしている方々よりは遙かにましだ」


 これから侵攻しようとしている方々?


「それって……まって、あの、では帝国は……」

「時間との勝負だ。宣言を覆し我々の足を引っ張るような真似をなされば即座に隔離させていただく」


 発言の意味はとにかく、モーリッツさんだからおかしな素振りを見せた途端に部屋に閉じ込めるのだろうな。

 

「殿下は貴女を使えと言われたが、まだ出番にはほど遠いでしょう。いまはヘリングの指示に従い、館でお待ちいただけますかな」

「あ、はい……」

「我々もサブロヴァ夫人に危害を加えるつもりはない、その点だけはファルクラム国王と共通する事項です」


 だから裏切るな、騒ぐなと言いたいのだろうか。

 当日、太陽が天高く昇る時刻になると、とある報告が姉さん達の元に知らされた。モーリッツさんは姉さんの前に跪き、神妙な面持ちで残酷な真実を告げたのである。


「どうか気をしっかりもってお聞きくださいませ。ファルクラム国王陛下、国賊の裏切りにあい落命されたとの報せで御座います」


 真っ青になった姉さんはその場で膝をついたのだが、気を失うまでには至らなかった。もしかしたら姉さんなりに予兆をおぼえていたのかもしれない。過度のストレスによる流産を危惧していただけにモーリッツさんの相談すらない報告には恨みを抱いたが、次の言葉にそれも一瞬で吹っ飛んだ。


「賊の名はローデンヴァルト候、不遜にも将数名を引き入れ、私兵と共に国を乗っ取ろうと企んでおりました。連中と共に国王陛下の命を絶った後は権力を手中に収めようとしておりましたが、ライナルト様の手により討たれてございます」


 よりによってローデンヴァルト候の名が飛び出てきたのである。これには姉さんどころか兄さんも驚きを隠せない。もちろん私も言葉を失っていたが、彼が身内を切った事実に狼狽したというのが正しい。多少行き違いはあるかもしれなかったが、ローデンヴァルト候とライナルトは通じていたと疑っていなかったためだ。

 兄さんは喘ぐように問うていた。


「ローデンヴァルト候は、ライナルト殿の兄君では……」

「ご兄弟でございます。ですが、ライナルト様は弟であればこそ兄君の間違いを正されたのでしょう」

「そんな、なぜそのような真似を……」


 呟いて、姉さんの存在に気付くと弱音を呑み込み抱きしめた。


「……いや、いや、それよりも、外の状況はどうなっているのだろうか。陛下が崩御された由は国民に伝わっているのだろうか。宰相殿はご無事なのか」

「宰相殿や大公家といった主筋も陛下とご一緒していたらしいのですが、ご無事な方もいらした様子。ただいま皆様方と協議中らしく、混乱を避けるべく国民にはまだ伏せている段階でございます」

「では私も王城に向かった方が……」

「ご当主はなりません。いまとなってはサブロヴァ夫人と国王陛下のお子を支えられる唯一の御方なれば、御自重いただきたい」


 賊がまだいるかもしれないのだと言われてしまえば、兄さんも引き下がるしかない。これからファルクラムがどうなってしまうのか、誰もが不安を抱いているのだ。特に兄さんなんて昨晩からろくに眠っていない上に、凶報ばかり届けられた。更には館という閉鎖空間で軍人に囲まれ続け、情報が限られていれば判断力も狂うし心が揺らぐだろう。

 私も傍にいたエミールとヴェンデルを抱きしめて唇を噛んでいた。

 表明が早ければ計画の全容を明かされていたのだろうか、なんて「もしも」考えてしまうのは悪癖なのだろう。

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