第72話 落城の幕が上がり
ライナルトは立ったままでいいとベンチの傍に立った。薄着のままだが寒くないのだろうか。
「ヴェンデルとの話はどうなりましたか」
「彼はもちろん、家令殿ともそれぞれと話をさせてもらいました。それよりも、こちらには人を置いていないので、カレン嬢にはご苦労おかけした」
「休ませていただきましたのでお気になさらず。お見苦しいところをお見せしました」
「……見苦しいとは、特に。余計なお世話かもしれないが、いささか疲労がたまっているのでは?」
……くそー。どこから見られたんだろうなぁ。ぼけっとしてたのは痛かったが、それとなく話を逸らさせてもらう。
「ライナルト様からみてヴェンデルは如何でしたでしょうか」
「以前から利発そうな少年だとは感じていましたが、聡明なお子さんだ。それに家令殿も確かな力量をもっておられる。コンラートの件は不幸だったが、良い後継と参謀に恵まれた」
「ふふ、そうでしょうそうでしょう。どちらも得がたいコンラートの至宝なのです。ここだけはライナルト様のところにも負けてないと思っているんですよ」
「特に家令殿は辺境伯だけでなく、あの幼い主人にも尽くす覚悟があるようだ。忠誠も厚く羨ましいですよ。私の誘いも断られてしまった」
なんかいま引っかかることいったな。誘いを断った? 家令殿?
…………あっウェイトリーさんをスカウトしたなこの人!
「ウェイトリーを引き抜こうなどやめてください! もし彼が私たちの元を去ったりしたら一生お恨みしますよ」
「お許しを。良い人材がいたらつい声をかけたくなるのですよ」
「ライナルト様はすでに良い宝に恵まれているではありませんか!」
「人を宝とおっしゃるのはカレン嬢らしい」
「わ、私らしいとかそういう話ではなくて、そういうからかいは……。ああ、もう。ライナルト様ほどではありません。慕ってくれる方も多いではありませんか」
「貴方ほど大事にはしていませんよ」
これっぽっちも反省してないな。変に揶揄われるのもなんだか癪だし、これ以上は黙っておこう。思いがけず二人きりになれたが、人の耳がない状況でライナルトと話ができるのはありがたい。
「この話題を出すと深刻にならざるを得ないので黙っておりましたが、両殿下については大変でしたね」
「ええ、兄弟仲が悪いのは存じていたが残念でした」
「……一部始終を拝見しておりました。ジェフリーを捕らえられた手腕、流石で御座います」
「これは恥ずかしいところを見られた。咄嗟の出来事で加減が難しかったせいか、あまり褒められた腕ではないのだが。……それにしても、犯人の名前まで調べ上げているとはお耳が早い」
「殿下の命を奪った者の名なんて噂の的ですから。……いえ、名は問題ではなくて、それに彼が捕らえられた経緯などはあまり問題ではないのですけれど」
わざとらしく間を置いて、自分の心に整理をつける。
「……彼は生きておりますね? ライナルト様は彼を保護しているのではないかと尋ねたくて、今日の訪問をお受けしたのもあるのですが、どうなのでしょう」
「面白いことを仰る。私がダヴィット殿下を手に掛けた男を庇っていると?」
「違いますか。最後に彼を運ばれたのはライナルト様の配下の方でしたし、あのときはまだ彼は生きていたように思えます。それに……」
次に出た溜息は本心からでたものだった。
「そうでなくては、貴方がわざわざ御前決闘を見ろなどとおっしゃった理由がわかりませんから」
肩越しに斜め後ろに振り返ると、ライナルトはそうですね、などとため池の方を見つめていた。
「明確な返答は避けておきましょう」
「……まだ教えていただけないと。ライナルト様の信用を得るというのは難しいですね」
「答え合わせの時期ではないだけです。それと信用とおっしゃるが、この別宅に貴方がたをお呼びした事実そのものが、ある種信用の証であると考えてもらいたい」
ファルクラムの人間を招いたのはほとんど例がない、と前置きされる。……まあ、このお家、防備という観点じゃ最悪に分類される方だろうしね。
「あれから貴方の動向を見させていただいたが、後見人の申し入れからこちら、私どもの不利に働くようなそぶりがなかったことに感謝していますよ」
「具体的にはどのようなことを警戒されていたのでしょう。私としては真摯に対応させていただいていたつもりですし、何かした覚えはありませんが」
「いまはまだ知らないほうがよろしい」
話してくれるつもりはないらしい。どうもこの人の口を割るのは至難の業のようで、難しいとわかっていてもつい愚痴りがちになってしまう。
「お願いしているのはこちらの方ですから無理は申しませんが、そう秘密が多いと拗ねてしまいたくなります」
「それは困ったな。せっかく良い関係が築けていたのに台無しになってしまう」
向こうにしてみれば小娘が一人ぐちっぽくなったところで痛くも痒くもないのだろうが、うわべだけでも困ったように笑いはするようだ。
「貴方をからかって遊んでいるわけではないのは理解していただきたい。貴方はたいへん大人びてはいるが、私にとってはまだ若いお嬢さんだ。……貴方自身に実績がないのは仰っていたことでしょう」
「それは……」
「年齢や性別で差別するつもりはないが、私も立場上、相手を見定める必要があるのをご理解いただきたい。これでもカレン嬢にはかなり譲歩しているのです」
「……だから差し出口を挟むなと?」
「貴方の性格では到底無理でしょう。まだ時期ではないと言っているだけですよ」
微妙に見抜かれているのはともかく、ライナルトなりに気遣ってくれているのだろうか。
「カレン嬢は本当に年下だったか忘れそうになりますが、なんにせよ貴方の疑問はいずれ明かされるでしょう。待たせるものでもないだろうし、私を信頼してくださるのであればお待ちいただきたいな」
「それは、御前決闘を指定された理由や、殿下方が亡くなられた理由もすべて?」
諦めずに突っ込んでみたのだが、ライナルトはよほど隠し事が好きなようだ。やや困ったような微笑を見た気がしたが、風が吹くと寒さに気を取られて自分の身体を抱きしめていた。
「評価してくださるのは嬉しいが、両殿下というのはいささか買いかぶりすぎだ」
「違うと?」
「嬉しい誤算といった程度です」
答えを言っているようなものだが、やっぱり明言を避ける傾向にあるようだ。
寒さが身にしみてきたところで手を差し出された。戻ろう、ということらしい。……今日も答えは得られなかったが、ジェフリーがライナルトの手の内にあるのがわかっただけ僥倖だろう。
手を取って立ち上がると、背伸びをして冷たい空気を胃に流し込む。行儀という言葉が頭を過ったが、この風景をまえに仰々しい作法は野暮な気がしたからだ。
「……ライナルト様への不満はいくらかあるのですが、それはそれとして、いいお家ですね」
「過ごしやすくていい所ですよ。部下には嫌がられるが、私はここが気に入っている」
「ゆっくりできて良さそうですけれど、警護が大変そうですからね」
「その通り。ここに行くというと、皆大抵嫌な顔をして、森を見張らねばならない苦労を説いてくるのだけが欠点だ」
「柵があるお家よりもゆっくりできていいのですけど、やっぱり皆さんそういうわけにはいかないのでしょう」
この感覚は私が平和な時代に生きた感覚があるからなのだろう。貴族の普通の感覚じゃどこからでも侵入し放題な家なんて嫌がられるに決まっている。
「明日から忙しくなるようですが、やはり帝国からの派兵関連でしょうか」
「そのようなものですね。もっとも私だけでなく、兵を従える将は全員忙しくなっているのですが」
「こちらは有難かったですけれど、そんな時にお時間を割いてもらってもよかったのですか?」
「……息抜きですよ、最後のね」
最後、とはどういう意味だったのか図りかねるのだが、ライナルトは部下が優秀だからとおどけてみせるだけだった。
「時にカレン嬢。アルノー殿には働き者の護衛がついていらっしゃるようだが」
「……あ、はい。アヒムのことですか」
まったく予想してなかった方面からアヒムの名前が出た。真っ先に考えたのは、彼がなにかヘマをしたのかという疑問だったが、ライナルトの質問は斜め上をいっていた。
「随分と親しいご様子だが、カレン嬢とは親しいのでしょうか」
…………??
「え、ええ、まあ、彼は兄の乳兄弟ですし、幼い頃から一緒にいますから、もう一人の兄といったところでしょうね」
「そうですか。……いえ、詮無きことをお尋ねした。闘技場では随分近しいようだったので、少々驚いたのです」
なんだろう。質問した側のライナルトが珍しく苦笑気味である。アヒムと一緒にいるのは珍しいことじゃないのだけど……。
ライナルトがアヒムについて尋ねたのはこれっきりで、あとはヴェンデルを交えてお茶をいただきお開きとなった。正直、またこんな会話で終わってしまったと自分自身に落胆を隠せなかったのだが、ライナルトの発したまだ、や待たせるものではないといった言葉を信じる他なく屋敷に帰りついたのである。この時は「その瞬間」がこんなにすぐ訪れるとは考えていなかったせいか、あるいは想像力に欠けていたのか、なんにせよ彼にしてやられたのは事実だ。
姉さんの館で待っていたのは陛下と、陛下から事実をもたらされた姉さんである。陛下から直接話をされたからだろうか、私や兄さんが想像していたよりも気丈に振る舞う姉さんと陛下はずっと寄り添っていた。この日は館に泊まっていくそうで、別の意味で緊張を含んだ夜を越えた深夜頃だった。
唐突に目を覚ましたのは、扉の向こうが騒がしいような気がしたためである。耳を澄ませてみると、幾人かが慌ただしく廊下を走っていたのが気になって、肩掛けを羽織って廊下へでた。私を見つけたのは陛下の侍従で部屋に戻るよう言い含められたが、彼らの陰にある焦り私を止めるには不十分である。
階下では着替えを済ませた陛下が慌ただしく指示を下しているところだ。傍らでは姉さんが不安そうに佇んでおり、その肩を兄さんが抱いている。
「事実確認を急げ。報告に間違いなければ由々しき事態ぞ」
いままさに陛下は館を発とうというところだった。あなた、と陛下に手を伸ばす姉さんの身体を受け止め、二人は固く抱擁を交わしている。私はその間に階下に降りたのだが、会話は半分しか聞き取れなかった。
「慌ただしくて済まないな、だが心配はいらぬよ、大事になると決まったわけではない」
「でも……」
「確認しに戻るだけだ。これが終わったらすぐに顔を出そう。なにぶん、まだ子供の名前が決まってないのでな。……わしが挙げておいた中から選別しておいてくれ」
姉さんを兄さんに預け直すのだが、その際に力強い目で兄さんを見つめていた。慌ただしく出て行く背中を二人は見つめ続けていたのだが、陛下の姿が見えなくなると姉さんは歯を食いしばり、いまにも泣き出しそうになるのである。
「ゲルダ、一度部屋に戻ろう。……いまはしっかり休まねばならないときだとわかるね?」
兄さんに支えられながら自室に戻るのだが、兄さんは私にそっと目配せを配り、代わりにというようにアヒムが肩を叩いた。
「お嬢さんはこっちに。代わりに俺が説明します」
アヒムに連れられ移動したのだが、そこで聞かされたのは驚くべき事実である。なんでも帝国から派遣された兵を迎えに行くため新たに出発した一軍がいたのだが、なんと彼らが先に見慣れぬ鎧を纏った兵と合流しているのを目撃した。その見慣れぬ鎧を纏った兵がラトリアの旗を掲げていたというのである。
「それもどうも予定していた日程よりかなり早い距離にいる、相手はほとんど目と鼻の先です。早ければ一両日中には到着するだろうって話だ」
「……道中には各領主が点在しているでしょう。その確認も取れないの?」
「その報告がないから問題なんです」
話が事実であれば彼らは制圧されたか裏切ったかのどちらかである。帝国だけならまだしも、ラトリアの名を聞くとあの日の光景が呼び起こされて声が出ない。そんな私をどう思ったか、アヒムは兄さんが姉さんにしていたように、頭を抱き寄せて囁いた。
「大丈夫ですよ。すぐに争いが起きるってわけでもないはずだし、俺が坊ちゃんやお嬢さんは必ず守りますよ」
「……かならずって言うのはやめて」
最後の言い回しは霧の中に消えていった老女を思い返して胸がざわつくのだ。声も瞬く間に戻っていたし、アヒムから離れる。
「姉さんは大丈夫かしらね」
「陛下のお言葉もあったんですぐに立ち直ると信じたいですがね。それより、坊ちゃんがまた寝れないだろうなぁ」
やれやれと肩をすくめるアヒムはともかく、この調子だと私も眠れなさそうだ。結局このまま兄さん達や、私と同じように起きていたウェイトリーさんと一緒に卓を囲むことになった。なおエミールとヴェンデルはぐっすり寝ているようである。
明け方頃、ようやく外が明るくなり始めた頃だったろうか。再び玄関側が騒がしくなりだした。もしや陛下か、或いは使いがきたのかと思ったのだが、どうも剣呑としている。それというのも「失礼ではないか」「お引き取りください」とサブロヴァ邸の家令達が引き留める声が近づいてくるからだ。
兄さんが腰を浮かすのと同時にドアが開いた。そこにいた人物には全員が目を疑う他ない。私にとっては昨日ぶりだが、軍服に身を包んだライナルトが先陣切って入ってきたからである。
「ラ、ライナルト殿?」
「夜分、といってもそろそろ朝か。早朝に失礼申し上げる、サブロヴァ夫人はご無事か」
しかも彼は一人ではなかった。ニーカさんはじめ、多くの配下を連れていたのである。目端に映り込むアヒムが腰元に手をやっていたが、ライナルトはそんなことを気にも留めず言い放った。
「陛下が政変を目論む逆賊に襲撃されたとの報を受け馳せ参じた。これよりしばし我が軍が館の警護を担わせていただく」
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