第71話 あなたはなにに驚いたのか

ライナルトに指定された屋敷は小さかった。

 はじめこそ以前お世話になったあの別宅を指定されるかと馬車を手配していたのだが、その必要はないと断られた。昼前になると迎えの馬車がわざわざ寄越され、向かった先は王都を囲む塀を出て少し先のこじんまりとした一軒家である。近隣の道は整備されているようで、馬車が大きく揺れることはない。ただこの時期に門を越えたのは想定外だったから、私やウェイトリーさんも驚いた。

 馬車に同席しているのはニーカさんだった。窓の外は一面緑で、人家があるようには見えず、つい質問していた。


「森に入っていくみたいですけど、そんなところに別宅をお持ちなんですか?」

「ええ、ただの森ですがローデンヴァルトの敷地ですのでご安心ください。定期的に人の手も入っていますので、賊といった心配も御座いませんよ」

「……色々な野草が採れそうね」


 言うことはそれだけか、と言いたげなヴェンデルの視線が刺さるのだけれど、それしかいうことがないのだから勘弁してほしい。ニーカさんと他愛のない会話をしつつ、馬車での習慣になってしまった外の観察をしていたのだが、時折人が出歩いていたのもみつけていた。彼らの格好はまちまちで、単体だけをみるなら近隣住民と勘違いしそうだが、全員腰には剣を下げているし、ここに来るまで畑は見かけなかった。ニーカさんに尋ねると、彼女は俯きながら口角をつり上げる仕草で、魅力的に笑った。


「お目が早くていらっしゃる。仰るとおり、彼らにはライナルト様の滞在中の警護を任せております。なにぶんこの別宅は塀や余計な人を置いていないものですから、周辺に気を配らねばならず……」

「塀がない?」


 それはまた豪毅な。別宅だから強盗に入られても問題ないという強気な姿勢なのだろうか。ニーカさんは困ったように微笑んでいるが、不快感を感じているわけではないらしい。むしろ面白がっているようであった。

 

「常日頃人に囲まれていらっしゃるので、別宅くらいは好きにさせてほしいとごねられてしまったのです」

「ライナルト様でもごねたりするのですねぇ」

「我々の苦労など知らず無茶を仰られるのです。とても自由な気質をお持ちでいらっしゃいますから、困った主でございますよ」

「あら、でもニーカさんは楽しそうですね」

「わかりますか。ええ、無茶は仰られるが、できないことはいわないのが困ったところなのです」


 ……会話だけなら微笑ましい内容なんだけどなぁ。

 ニーカさんは仕事モードなのか、凜々しげな態度を崩さない。このあともヴェンデルとちょっとした会話を交えていると、目的地にはあっというまに到着していた。そこは先も述べたが、館と表現するには規模が小さすぎた。正確には広めの二階建ての一軒家という方が正しいのではないだろうか。

 もし私たちが歩いてこの家を訪ねていたのなら、道を抜けた先に突如開けた土地と一軒家が姿を現し、その光景に驚いていたであろうことが容易に想像できる。薄茶の屋根が映える家の赴きは朴訥だが幻想的で、白壁にはあちこち蔦が這っていた。ニーカさんがいっていたとおり敷地周辺に塀や柵はなく、貴族の別荘にしては無防備そのものだ。もしいまが冬でなかったら、森は緑に溢れていただろうし、うっとりと息を吐いていたのではないだろうか。

 枯れ葉をふみしめながら白い息を吐いていた。今日は護衛も断られてしまったのだが、なんとなくその理由が推測された。こんな無防備な家を他の人に知られたら面倒このうえないだろう。


「お三方は中へどうぞ。中でライナルト様がお待ちです」


 ニーカさんは中へ入らないらしい。玄関も両開き扉ではあるが、これまで通い慣れた貴族のお屋敷に比べたらずっと質素な作りだ。ノックする前に玄関が開くと、ヴェンデルよりも年上くらいの少年に出迎えられた。


「ようこそおいでくださいました」


 雰囲気と格好からして侍従のようである。驚くべきことに案内役は少年一人だけで、他には人の姿を見かけない。

 入ってすぐの玄関ホールもあくまでついでといった感じの広さである。家の中は明るめの木材が主に使われており、掃除も行き届いているためか心地良いくらいだ。絵画も最低限かけている程度で、過度な飾りは一切ない。人によっては質素を通り越して貧相だと言うかもしれないだろう。この家、ざっと見ても十部屋もなさそうである。

 ライナルトは奥の間にいた。石暖炉が併設された部屋なのだが、すでに火がくべられており、部屋は十分に暖まっていた。暖炉からはパチパチと独特の音が鳴り、揺らめく炎はどことなく安心感をもたらしてくれる。近くのソファに座ったライナルトは読書にふけっていたのか、傍らには読みかけの本が数冊積まれており、くつろいでいた様子でもある。


「こんにちは。もしかして時間に遅れてしまったでしょうか、お待たせして申し訳ありません」

「お三方に不備はございませんよ。読み貯めていた本に手をつけてしまったらつい時間を忘れて読みふけっていたのです」


 私とライナルトは割合話をしているから緊張も少ないが、ヴェンデルやウェイトリーさんはそうもいかないだろう。ウェイトリーさんは場慣れしているためか問題ないとして、ヴェンデルは珍しく肩肘張っているようだ。緊張にみなぎりながらも、今日はコンラートの新たな顔として頭を下げていた。


「コンラート脱出の折はお世話になりました。以前もお会いしておりますが、改めてご挨拶させていただきます」

「コンラートの件はお力になれず申し訳なかった。あれから調子の方は如何だろうか」

「はい、以前よりは少しだけ別のことに目を向けられるようになったと思います」


 ヴェンデルの返答にライナルトは僅かに目元を細め、立派だと褒め称えた。二人とも平然と話しているのは、ヴェンデルにコンラート襲撃の件をライナルトが知っていたと知らせていないためである。これは護衛のハンフリーの裏切りと被るところがあるが、余計な気を回させないためだ。家族を失い前を向いたばかりの思春期の少年に聞かせられるものではないと、ウェイトリーさんと相談の上で決めた。なによりライナルトがコンラートの死を望んでいたようには見えなかった態度もあり、現状保留中である。

 席に着いた私たちには、先ほどの侍従がお茶を配ってくれる。ライナルトは足を組んだ膝の上に両手を置いていた。


「キルステンやサブロヴァ家はお忙しい最中だろう。急なお呼び立てにご足労いただき感謝する。今後私が身動きが取りにくくなるので、お会いするならいましかなかった」

「後見人の件はこちらがお願いした件ですから、ご配慮いただき感謝しております。それに、まだ表だっては騒ぎになっておりませんので」

「両殿下が亡くなられたばかりです、そうすぐに騒ぎ立てては不興を買いますからね。……コンラートの家令殿もそう思われますか」

「……左様でございますな」

 

 さて、ここで違和感にお気づきだろう。なんと本日、同じテーブルにウェイトリーさんもついている。これはもちろんライナルトからの要望で、ヴェンデルとウェイトリーさんの同席が条件だったため一緒に来てもらったのだ。

 ウェイトリーさん、本人は家令であるといってきかないが、現状はヴェンデルの養育係兼コンラートのおよその実権を担う人物だ。コンラートの他文官達との橋渡し役もこの人がいなくては話にならない。正直この人に見限られたらコンラートはお終いである。

 今日のメインは二人なのだろうと、私は基本聞き役に徹していたのだが……ヴェンデルとライナルトの話が段々と進むにつれて仲間はずれにされていった。

 それというのも、私含め全員がてっきり圧迫面接ばりに質問攻めにあうかと身構えていたのに、ライナルトは世間話を主にヴェンデルの話を聞きたがったからである。いくらか口を開くこともあったけれど、コンラートの未来だとか将来設計だとかの話はなかった。そのためヴェンデルが自分から話し出したくらいである。ライナルトは子供相手でも聞き役も上手だっただめだろう、ヴェンデルの緊張も完全に解けたところで、義息子は真顔でこちらに言い放ったのである。


「大事な話があるから、カレ……義母さんはちょっと別室にいっててくれないかな」

「え? なんで?」

「なんででも」


 別に無理して義母とか呼ばなくてもいいのだけど。いや、問題はそこではない。自分が追い出されるとは思ってもみなかった事態に、つい我が儘をいいそうになったのだが……。


「いいですよ、男同士の会話に私は邪魔っていうのね。冷たくされて義母さん悲しい」

「別にそんなのじゃ……」

「いいわいいわ、楽しく話してきてちょうだい。ひとりで寂しくしてるから」


 涙を拭くふりをして退散されることにする。ヴェンデルにだってなにか事情があるんだろう。……ウェイトリーさんには聞かれてもいいってあたりがとても引っかかるけど。別室に移らせてもらおうとした私に、ライナルトから声がかかった。


「もし散策がお嫌でなければ、外を見てこられては如何か。特筆してなにかあるわけではありませんが、気晴らしにはなりますよ」

「では御言葉に甘えて、風に当たらせてもらいます」


 男性陣を残して部屋を後にしたのだが、会話を聞いていたらしい侍従の少年に周辺について話をきくことができた。どうやらその辺の散策程度なら一人でも大丈夫だと言うのだ。


「もちろん護衛もお付けできますので、ご希望なら人を呼んで参ります。ですが周辺は厳重に警戒がなされておりますし、森に入らなければ危険はないかと存じます」

「自由……にしていいんですね。それでしたら家が見える範囲内におりますが」

「裏手に小さな池と椅子が置いてございますよ。お戻りになられましたらあたたかいお茶を用意しておきます」

「ありがとう。ところで、あなたはこのお仕事は長いの?」

「はい。幼い頃にライナルト様に拾っていただき、十年ほどになります」

「まあ、失礼だけどお年は?」

「今年で十五になります」


 私と三つしか変わらないのに侍従なんてつとめてるのかぁ。配ってもらったお茶も美味しかったし、訓練したのだろうな。もう少し話を聞いてみたい気がしたが、いつまでも扉の前で話をするわけにもいかない。池方面への道を教えてもらったのだが、家のすぐ裏手ということで到着はすぐだった。

 結構風がつよくて寒いから、すぐ戻れるのはありがたいかも。小さな池、といわれたように本当に小さなため池だったが、このくらいの家に付属しているものとしては十分だ。姉さんの館にも似たような池と散歩コースがあるけど、こっちはもっと気楽に利用できる感じだろう。そばのベンチはこの池を鑑賞しながら休めるようにできているらしい。座ればカラカラと枯れ葉がこすれる音が響いて、人様のお家ながら気が抜けていくようだ。これが春夏だったらもっと情緒あふれる美しさを堪能できたのだろうが、この枯れ枝とため池の寂寥さも心に沁みるようだ。

 コンラートから戻ってこちら、日頃人の声を聞き、気配に気を配りながら過ごしていたからだろうか。慣れていたつもりだったが、どうやら気を張っていたのは私もだったらしく、ただ風の音に耳を澄ませるという行為に時間を忘れた。

 どのくらいそうしていたのかはわからないが、少なくともヴェンデル達とライナルトの秘密の話し合いが終わるくらいは経っていたようだ。

 なんとなく横に目を向けると、離れた位置にライナルトが立っていた。なぜか難しげな、それでいて驚いたような表情でこちらを見ていたのだが、彼、どのくらいそうしていたのだろうか。

 

「やだ、気付かず失礼しました。声をかけてくださればよかったのに」


 立ち上がろうとしたのだが、そのままでいいと仕草で制された。

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