第68話 御前決闘
勝利の女神はどちらに微笑むのか、この場において今後の行く末を見定めずにはいられない者はいないだろう。青白い顔で固く手を握りしめている者、ただの娯楽として消費しようとしている者と抱く思いは様々だろう。キルステンの当主である兄さんは前者寄りの人ではあるが、この数日間は無為に祈りを捧げるだけで終わらせはしなかったようだ。両殿下について調べ上げていたらしく、特に待ち時間はジェミヤン殿下について教えてくれたのである。
「御前決闘に勝てばいいだけの話だから金を積めば手練れは雇えるだろうがね、やはりダヴィット殿下に手を回されていたようだよ。殿下の代理は教育係でもあったジェフリーという男をたてるのではないかと噂だよ」
ジェフリーという名には聞き覚えがあった。夜会の日にライナルトと接近し、しかもこの間はジェミヤン殿下を直接諫めていた男性である。側近であろうことはわかっていたが、まさか教育係とは思わなかった。
「……ジェミヤン殿下にとって信頼できる相手なのですか?」
「幼い頃から傍にいるようだし、殿下の側近の中でも指折りの忠節者だと噂だから間違いないだろうね。それにお若い頃は相当腕を鳴らしていたようだし、確実なんじゃないかな」
指折りの忠節者か。なんだか一気に胡散臭くなってきてしまって、思わず向かい側に目を向ける。見物席は一階から三階席まで設けているのだが、王の席は二階側で後ろに観戦席は存在しない。その背後には側近のみが立つことができるようになっている。
私たちはファルクラム王から向かって右側の席を許されていた。一階は参加者の入り口や軍関係者が詰めているのだが、ライナルトはそちら側で部下と一緒に観戦に挑むようだ。特に意図したわけではなかったが、向こうは私の目線に気付いたよう……な気がする。笑いかけられたような気がしたが、なんとも複雑な顔になってしまったのは否めない。
「ダヴィット殿下はどなたに代理をお願いしたのでしょう」
「それなんだがね、あの方はあてがありすぎて、いくら調べようともわからなかったよ」
おそらくファルクラムの中でも腕に覚えのある将ではないかと言うのだ。結局は本番にならないとわからないわけだが、時間が経つにつれ段々と席が埋まっていく。陛下が姿を現す頃には全員が立ち上がりその姿を眺めていたのである。
王の両脇には二人の殿下が立ち、互いには冷たい視線を向けているようだ。王妃の姿が見えなかったが、両殿下の諍いに胸を痛めているとの噂だから欠席したのだろう。
「兄上、その自慢のお顔も今日までですよ」
「抜かせジェミヤン。国の情勢もわきまえず父上のお心を騒ぎ立てる馬鹿者めが。お前のその思い上がりを矯正してやる」
ここで違和感に気付いた。いくら席が近いとはいえど、国王席とは距離があり、殿下達の会話など聞こえるはずがないのである。しかし私の耳にはしっかりと二人の声が届いていて、思わず挙動不審になりながら着席した。隣の兄さんをみるも、二人の会話なんて聞こえていないようだ。
ちらりと左側の席に視線をながすと、四十代ほどの女性と並び立ったシスと目が合い、これまでにないドヤ顔を披露された。よしあの男のせいだな、全部わかった。
「兄上の思い上がった思考こそが我が国の憂いなのです。父上、このような者に国の未来を任せてもよろしいのですか」
「父上。ジェミヤンの讒言など信じないでください。あれはこの国を背負う重さを知らぬ愚か者だ。俺という舵がなくては民に示す声すら失うでしょう。俺が気に入らぬというだけで反発を起こすようでは、王としての資質が疑われます」
陛下は二人の兄弟をどう感じたのか。頼りがいがあると感じたわけではなさそうなのは確かなようで、両殿下をたよりなさげに眺めやると口を開いたのである。
「王子たちは己が次代の器であると信じて疑わぬ。わしは王冠をいただく身であるが、かぎりある知恵ではふたりの信念を見定めることがままならぬ。であれば、この裁断はいにしえからの作法にのっとり、皆の前であきらかにするしかない」
王は声を張っているわけではないが、その声はよく響いた。
「ゆえに、この神聖なる決闘によって我が後継者を定めることにしよう」
両王子が同時に息を呑んだ気がした。
この決闘は王子が次期王位をめぐってあらそう、いわば神前試合である。今回は両殿下に変わって代理人が中央に立ち、己が獲物を振るう。
……ただ勝った方を王を定めるなんて単純極まりない決着の付け方で、時代錯誤も甚だしいとしか思えないけれど、これがこの国の作法である。しかめっ面した私が不安がっていると勘違いしたのか兄さんが声をかけたけれど、答えるよりも前に、護衛として付いていたアヒムがそっと私たちに話しかけていた。
「お二方、よろしいですか。見れないと思ったら迷わず目を閉じてください」
「アヒム? どういうことだい」
「昔の決闘場や作法を知ってる爺さん婆さん方にこの試合がどういうものか聞いてきたんです。多分、いまから俺含めた若いやつらが想像してるよりも血生臭くなりますよ。お年を召したご婦人が少ないのも、おそらく全容を知っているためです」
冗談ではなく真剣な忠告だった。
「己が正しさを示すための闘いといえど、血を分けた兄弟が命をうばいあうのは我が先祖も悲しまれるゆえ、代理人による決闘を許そうと思う。王子たちよ、そなたたちの運命を任せるにふさわしいものを選び示すが良い」
王の眼差しは厳しく、それ以上のくだらぬ口利きを許さぬようであった。両王子は一瞬気圧されたようだったが、すぐに自身の代理人をたてた。
決闘場の中央部、石造りの闘技台の上に立ったのは四十頃の男性である。予想通り、ジェミヤン殿下はジェフリーを代理人としてたてた。
続いてダヴィット殿下だが、こちらの代理人は出てきた瞬間から会場を沸かせた。私も遠目とはいえ、実はちょっとびっくりした。出てきた相手は軍服こそ身に纏っているが、体長は優に二メートルを超えている、まるで熊のような大男だったのである。はちきれんばかりの筋肉がここぞとばかり主張していた。
誰、と尋ねる前に兄さんが驚いていた。
「ダヴィット殿下はリンデマン殿を代理人をたてたのか」
「…………誰?」
「一応お貴族ですが、熊ですよ、熊」
兄さんの代わりにアヒムが教えてくれる。すでに周囲の目は代理人達に向いてざわめき立っていたので、彼の行動を気に留める者はいなかった。
「一人で数十人の賊を相手にしたっていう名高い賊殺しだ。昔は国境線で帝国兵を相手にしてたって噂もあるかな、獣が服を纏ってるだけのけだものって噂だ」
「……流石に言いすぎじゃない?」
「味方が目をそらすような殺し方をするんで有名なんです」
アヒムがここまで言うのも珍しい。
「うへぇ。俺はあんなのに会ったら真っ先に逃げますけどね。ジェフリーって男は本気で戦う気なのかな」
「……お前の言う話が本当なら、どのみち勝たねば道はないだろうよ」
「ねえ、剣以外も持ってるのだけど、ああいうのはいいの?」
「ああいうのって?」
アヒムが目を丸めて聞き返す。リンデマンとかいう大男は肉体も武器なのだろうが、巨大な戦斧を受け取っているし、腰には鎖も巻いている。対するジェフリーはシンプルな鎧姿だが、重装ではなく動きやすさを重視した装いで縦長の盾を片手に嵌めている。長剣メインで戦うようだ。
「リンデマンってお方、武器になりそうなものをいっぱい持ってるけど……」
「そりゃ御前決闘なんて聞こえはいいですけど、要は勝てばいいってだけの殺し合いですよ。剣だけで済むわけないじゃないですか」
「アヒム。少し言い方を考えろ、聞かれたらまずい」
「この喧噪じゃだれも聞いてませんよ」
どうも私は異世界ファンタジーの騎士……武官というものを、剣一択で戦う義の者と勘違いしていたらしい。アヒムやニーカさんといった身近な人が私の考える騎士像と似ていたから尚更なのだろう。
アヒムが見れないと思ったら目を閉じろといったのはこのことだろうか。ジェフリーとリンデマンはすでににらみ合い状態に突入しており、逼迫した緊張がこちらにまで伝わってくる。銅鑼が鳴らされると同時に、二人は己が獲物を構えて対峙していた。
人対人の命がけの決闘を目にしたのはこれで二回目になるだろうか。思わず拳を握りしめ、胸の前で握りしめている。
「あの馬鹿でかい戦斧、あたったら一撃でお終いだ。避けながら懐に飛び込まないと一瞬で負けますよ」
「アヒム、教えてくれるのは構わないがカレンを怖がらせるなよ」
「……嫌なら止めますが」
「いえ、平気。なにもわかってないから解説なら歓迎」
アヒムは純粋に二人の勝敗に興味があるのだろう。私は戦いに詳しくないので、彼の説明は正直助かる。
私もコンラートでの出来事を思い返すかと思ったが、想像していたよりは平気なようだ。ただ、中央で対峙する決闘者の雰囲気にのまれたからだろうか、兄さんの腕を掴んでそっと引き寄せた。私より兄さんの方が倒れそうな顔色をしているのはともかく、いるだけで頼りになるのはありがたい存在だ。
距離を測りながらじりじりと詰め寄るふたりだが、突然、リンデマンが口を開いた。その喉から放たれる咆哮は見物席を震え上がらせ、一瞬にしてあたりを静まり返らせたのである。
大股で迫るリンデマンが、顔よりも大きい刃を持つ斧を振り回した。常人なら片手で持つのも精一杯であろう得物で凪がれ、普通であれば瞬きの間に胴と首が泣き別れるだろうが、ジェフリーもまた強者だった。掲げた盾と斧がかち合い、一撃を弾いたのである。
うわ、とアヒムが声を上げたのがわかった。私も同感だ。
見ているだけでも、あんなものまともに受けられるわけないと理解できるのである。
リンデマンの出鼻をくじいたジェフリーだが、長剣を打ち込もうとしたところで戦斧の柄で防がれた。右足から踏み込もうとしたが、ここでリンデマンの怪力が彼の想像を上回ったらしい。盾を持った左側からよろめき、体の重心が揺らいだのである。
リンデマンは敵の変化を見逃さなかった。再度戦斧がジェフリーを襲い、彼の身体ごと吹き飛ばしたのである。偶然かわざとか、盾が腕から離れたのは正解だった。床に転がるジェフリーをリンデマンは追いかけ、床に向かって薪割りの要領で腕を振り下ろす。頭を二つに割ろうとした斧をジェフリーは避け、鎧を身につけているとは思えない身軽さで床を飛び退いた。この時、ジェフリーの手からは長剣がなくなっていた。後ろ手に回すと短剣を引き抜き、逆手に構えたのである。
再度飛び込んだリンデマンを真正面から捉えたジェフリーだったが、今度は彼の長靴が撥ねる方が早い。大ぶりになった斧をかわすと、リンデマンの肩を柄底で打ち付けるのだが、打たれた相手はびくともしなかった。なぜ刃物を使わないか疑問だったが、アヒムはそれを「あの筋肉じゃ刺さっても抜けにくいかもしれない」と言う。
両者の攻防は見ていて恐ろしいが、人の目を引きつける魅力もあった。
「アヒム。例えばだがお前、アレに勝てるかい」
「冗談でしょ。化物相手は逃げるのが一番賢いやり方ですよ」
兄さんの問いに、アヒムは至極真面目に答えたのだった。
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