第8話 殿下には帰ってもらいたい

 頬の痙攣が抑えられない私に、男性はくつくつと喉を鳴らし笑い続ける。


「なるほどなるほど、これは可愛らしく抜け目ないお嬢さんだ。あのゲルダ殿も妹御には優しくなるのも納得だ。なあ、アルノー」

「口が減らない妹でして……」

「素直というわけだ」

「…………妹は世間知らずなのです。殿下、どうぞそれ以上はご容赦を」

 

 兄は返事に苦心しているようだが、男性は嫌みではなく本気でそう思っている口調だ。私の方をチラリと見やる男性は、赤毛混じりの頭髪を肩まで伸ばした、垂れ目がちだがぱっちりした睫毛が特徴的な、なまめかしい雰囲気を纏った人である。刺繍入りの衣装はぱっと見でも高価なもので、その下に逞しい筋肉が備わっているのは明白だ。半ば絶望的な気分ながら、高貴な人へとするように頭を垂れる。


「気付かず失礼致しました、ダヴィット様。いらっしゃるとは存じ上げず、とんだ話を……」

「堅苦しい挨拶はいい。ゲルダ殿に請われたとはいえ、我らは盗み聞きをした身なのでな、威張れる立場ではなかろうよ」

 

 自覚あるんじゃないか。そして主犯は姉さんか!! わざわざ衝立がある部屋、そして窓を開け放っているのは外音で彼らの気配を誤魔化すためか。調べればわかったかもしれないものを、まさか衝立を挟んで人がいるなんて思いもしなかった。

 無言で文句たらたらの視線を投げると、姉さんは素知らぬ顔でそっぽを向く。

 殿下の前で口うるさくできないのをいいことにしらを切るつもりだな。兄さんは……だめだ、これは目上の人を止められる雰囲気ではない。目が「絶対に余計な事を喋るな」と血走っている。

 そうだ、この三十路の男性は姉の夫の息子。すなわち国王陛下の息子、つまり王子である。王子と聞けば十代二十代くらいの男性を想像する人もいるかもしれないが、陛下はいまだ現役で、しかもかなり若い頃にできた子供なので不思議な話ではない。そしてこのダヴィット殿下、正妃のお子なのでこの国で一番王位に近い存在でもあった。

 …………高貴な人が徒歩で来たとはありえないだろう。来るときに馬車は見かけなかったから、あらかじめ私には見えないよう隠していたわけだ。

 しかしどうしてここに殿下がいるのだろうか。


「さて、何故俺が盗み聞きなどという顔をしているようだが……と、まずはこちらに来い。声を張り続けては俺の喉が枯れてしまう」

 

 殿下に手招きされれば行かないわけにはいかない。さしずめまな板の上の鯉の気分で空いた席に座ると、その隣に姉さんが座った。兄さんは殿下の斜め後ろに立っているが、その表情は明らかに緊張に満ちている。殿下のお付きの人たちに茶器も移動されてしまったのでこれはもう逃れられない。あと先ほどからライナルトが無言だが、彼とは断固として目を合わさない。

 うわーい一気に楽しくなくなったー。

 殿下は兄さん含め私たちをぐるりと見渡し、足を組んで悠々と座りなおす。


「……ふむ。キルステンの三兄妹は容姿に恵まれたな」

「殿下、我らには弟もおります」

「では四兄妹か。兄妹仲も悪くないようだし、家族に恵まれたな」

 

 ……そういえばダヴィット殿下って弟のジェミヤン殿下と仲悪いんだっけか。いやでも余所の家族事情より目の前の問題が優先だ。

 異世界転生知識がある身としてはここで一発素っ頓狂な発言でもして殿下に興味を持たれるのがセオリーであり、読み手としては最高の展開なのだが、現実だとお笑いにもならない。営業の山田さんが盛大なミスをやらかし上司と社長と会長に挟まれていた記憶が蘇った。いまの私、まさにそれだわ。


「殿下だけれどね、私がお呼びしたのよ」

 

 姉さんは優雅にカップを持ってお茶を飲んでいる。優位な立場にある人はこういうときが羨ましい。


「な……」


 あ、これ私発言していいの? と思ってたら、すかさず殿下が「許す」と言った。


「なんで……でしょうか。姉さん」

「それはもちろん、ライナルトの推薦に陛下も賛成されていたからよ。ただで済ませるわけにはいかなかったし、あなたの真意を確かめておこうと思ったの」


 そういえば私の名誉回復だっけ? 陛下と、並びに宰相閣下も関わってたね。なんで殿下が関わってるかは知らないけど、おかげでこちらに戻ってくるんじゃあなかったと後悔でいっぱいだ。


「……でも、ライナルトを連れてきてくださいといったわけではないのだけれどね?」

「麗しのゲルダ殿に会いに行く途中で偶然出会ってしまったのだよ。なに、我が親友の弟が珍しく素直に頷いた縁談だったからな、出歯亀をしたくなったのさ」


 で、ライナルトを連れてきたのは殿下だと。

 暇人なのかなあと思ってたら、殿下がニヤリと形容したくなるような笑顔で唇をつり上げていた。


「カレン、だったか。覚えておくといい、我々は常にどんな噂にも飛びつかずにはいられない生き物だ。特に長らく側室をもたなかった陛下の寵愛を集めるゲルダ殿の身内となれば、嫌でも注目を集めるというものよ」


 ――揚げ足取りの材料を探されてる、と言いたいのだろう。それきり黙り込んだので、発言を求められていると知って頭を捻らせた。


「……さしずめ、殿下は姉の騎士でしょうか」


 ……発言内容は考えたつもりだったが、過ぎた発言だったかもしれない。

 つい口をついてしまっていたのだが、殿下は気を良くしたように笑っていた。


「その通り。ゲルダ殿に関わる話だ。本来ならば陛下御自ら出向かれたいだろうが、なにかとお忙しい身だからな。俺がその役目を仰せつかっているのよ」


 そしてにこやかに何度か頷きながら、何故かこちらを見つめ続ける。……やだなあ、面倒だなあと思っていたのだが、その真意はすぐに判明した。


「アルノー。なあ、お前の妹はお前が言うほど世間知らずでもなさそうだ」


 それって本人を前にして「馬鹿だと思ってた」って宣言してるよね。

 だが、これに兄さんは反論しない。肩越しに振り返った殿下に無言で頭を垂れるのみで、いままさに貴族社会の縮図を見せつけられている。


「無知な娘ならば価値はないが、そうでないなら俺好みだ。どうだライナルト、いっそ攫って事実婚に持ちかけるのもいいかもしれん」


 やめろ馬鹿。

 アウト! その発言アウト!! すごい私の意志がどこにもない!!!

 この発言には、自分の顔から血の気が引いていくのがわかる。姉さんは「まあ」と暢気な様子で、私と似たような反応を示したのは兄さんくらいだ。駄目だ味方がいないなこれ!?

 あっもしかしてさっきの発言、私が姉さん側の事情を把握できてるか試したな。馬鹿になって笑顔でだまり続けてればよかった!!

 焦る私。いますぐ館を飛び出しダッシュで走って辻馬車をつかまえられないだろうか。馬に乗れたら盗んで走り出してたのに。

 それとなく周囲を見渡すと……あ、地味に殿下の配下がきっちりフォーメーション組んでるわ。いつの間に移動したんだろう、素直にこわい。

 兄姉は期待できない。ならば頼みの綱は肝心のライナルトなのだが……ようやくまともに直視した男は、殿下自らに話を振られたのにも関わらず表情筋一つ動かしていなかった。

 惚れ惚れする……と言いたいところだが、いまの私にそんな余裕は皆無である。


「……そうですね」


 ライナルトはやや俯き、何かを考えるような仕草になるものの、やがてゆっくりと首を横に振った。


「殿下が我が身を案じてくださるとは光栄ですが、コンラート伯の奥方を連れ去れば遺恨が残るでしょう」

「なに、では離縁させるか」


 ナチュラル人間の屑かこの人は。

 

「それも如何なものかと。それに此度の王都入り、コンラート伯のご子息や護衛も大勢同行されていたと聞きます。コンラート伯への信望は我が家では遠く及びますまい。先方がカレン嬢を受け入れているのであれば尚更、溝を作るような真似はできません」

「しかしうら若き乙女が年寄りの毒牙にかかるのを見逃すわけにもいかんよ。俺はお前とも気が合うと思うぞ」

「私もそうあれれば良いと思いましたが、であればなおさらみっともない姿は見せられません。殿下、どうぞお考え直しを……」

「馬鹿を言え、お前がやっと落ち着くとザハールが喜んでいたのだぞ。我が友とゲルダ殿、そしてなによりお前のためにもそろそろ身を固めておけ」

「気持ちは有り難く存じますが、事を急いても腹を探られるばかりでしょう」

「なあに、俺は次期国王だぞ。俺の決めたことに文句を言うやつがいたら黙らせてやろう」


 殿下とライナルトの応酬は続くが、その内容より気になったのはライナルトの発言だ。私が都入りしたのは朝の話、しかもスウェンや護衛の数まで彼らの知る所となっているのである

 ……っていうか年寄りの毒牙って、カミル氏に失礼だなこの睫毛!! あんたに比べたらあの老人の方がずっとずっと紳士なのだが!

 ともあれ、ライナルトの方は乗り気ではないようで私としては助かるばかりである。もしかしたら案外常識人なのかもしれない。――と、思ってたら姉さんがこっそり耳打ちしてくる。


「ライナルトもあなたが気に入ってるようだし、どう?」

「どうって……」


 もしかして姉さんはライナルトの言葉を額面通りに受け取っているのだろうか。あれはどう聞いても殿下の機嫌を損ねないよう、のらりくらりと回答を躱しているだけである。


「…………姉さん。私にはコンラート伯がいるので、浮気を勧めるような真似はやめてください」

「お馬鹿ね。自ら進んで不幸になる妹を放っておけるわけないでしょう」


 ……本心八割、利権絡み二割かな。

 先ほどの殿下の発言を鑑みるに、この人達としては私とライナルトが一緒になった方がなにかと都合がいいのだろう。

 この後も殿下と姉さん双方の説得が続くが、幸いにもライナルト、そして私の意志は折れなかった。いつまで続くのだろうと辟易していると兄さんが急用で席を外さねばならなくなり、そのタイミングで殿下も降参と両手を挙げたのである。


「まったく、この不孝者共め。俺とゲルダ殿の喉が枯れてしまいそうだわ。……ああ、しばらく茶でも飲んで休むとしよう。お前らはそこらでも散歩してくるといい」

「裏手に林道があるからゆっくり歩いていらっしゃい。道なりに歩けば戻ってこれるから」


 ……自然に人に命令出せるってすごいなあ。見習いたくないけどすごいなあ。

 姉さんは残るようだ。殿下は疲れたらしく、しっしと追い出されるように退室した私とライナルトは扉の前でしばらく沈黙した。

 ……まあ、これはもうしょうがないでしょうよ。


「……すみません。一周回ったら帰りますのでお付き合い願えますか」

「殿下の命とあれば仕方ないでしょうな。お供いたします」


 発覚した後だからか、別室に身を隠していた彼の配下らも姿を現していた。厳格な雰囲気を纏った男女らは近寄りがたい雰囲気で、驚くほど型にはまった礼の形を取ってくる。軍人さんとは彼らを指すのだろうか、お仕事お疲れ様ですと思わず頭を下げたほどだ。

 ライナルトは彼らに供は不要であるのを告げ、私と一緒に外に出た。

 姉さんの言うとおり、表の庭を抜けて裏手に回ると細い林道が目に入った。


「私と二人では気が休まらないでしょうが、お許し頂きたい」

「とんでもない。少ししかお話ししませんでしたが、殿下のあのご様子では供を付けては不興を買うだけでしょう。配慮に感謝いたします」


 位置的に林道に入る際は姉さんたちの目にも留まるはずだ。ぞろぞろと人がついていては文句を言ってくるだろう。多分二人きりになればと思ってるのだろうが……姉さんは元から恋に恋する気質があったからわからないでもないが、恋愛脳もここまでくると重症ではないだろうか。

 上手に見せつけるなら彼と手を繋ぎ、リードされながら歩くべきだろうが、どうやらライナルトにその気は無いようだし、こちらも手を差し出されても困るだけだ。従って、二人して並び歩きながら道を行く。


「ところでカレン嬢、ひとつ確認をしたいのですが」

「はい」


 ライナルトはこちらに歩調を合わせてくれているようで、おかげでゆっくりと歩けるし、気候と景色も相まって思考がクリアになっていく。さっきの部屋は堅苦しすぎて息が詰まっていたのだろう。


「以前、貴方は私に謝罪をされた。思い違いでなければ、あの時には心を決められていたと考えてよろしいだろうか」

「あ。おわかりでしたか」


 思わず顔を上げると、そこには意外にもうっすらと微笑む男の顔が目に入った。その微笑は以前見かけた優しい面差しとは違い、素の感情が垣間見える。

 ……意外だ。この人、普通に笑えるのか。

 造形がどこか人間離れしているからだろうか、無意識に非人間扱いしてしまった自分が恥ずかしい。決めつけてしまった自分を叱るのは後にして……なんだか、やっとほっとした心地になり苦笑を零す。


「婚約……していたのかどうかは私にはわからないのですが、相手に逃げられてしまったと汚名を着せてしまったのは本意ではありませんでした。大変申し訳ないことをしたと思っています」

「私こそ迷惑をおかけした。サブロヴァ夫人から連絡があったので、縁談の話は知っていたというのに、つい迎えに行ってしまったのだから」

「姉の要請ならば断るわけにもいかないでしょう。無理もないですから……」


 ……普通は断られるはずない縁談だもんなあ。

 きっと両家にとって得のある話だったに違いない。市井で長く暮らしていた私にとって、政治は遠い話であり彼らの力関係など知る由もない事柄だが、そのくらいの想像はつく。


「……本当に、申し訳ありませんでした」


 殿下が出張ってきたのなら結構話が詰めてあったのだろう。ほぼ無名に近い私と違い、彼のイメージは下がる。というか笑いものにされる可能性が高いのは気になっていた。

 姉さん達の目がなければきっと頭を下げて謝っていただろう。彼は怒っても良い立場だったが、気にした様子もなく、むしろ気を良くした風に低く喉を鳴らして笑んでいた。


「なに、私もこれから貴方に迷惑をかける。お互い様というものでしょう」


 うん?

 思わず足を止めるも、ライナルトは歩みを止めぬよう促した。聞き捨てならない台詞を聞いたのだが答えてくれる様子はない。

 ……軽い迷惑だといいなあ。

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