第15話 意志
「フィーリア......?」
「いい名前だろ?」
この気持ちの悪い感覚はなんだろうか。感情の一種なのか。いや、これは違うと断言出来る。
脳みその中を長い虫が何匹も這いずり回っているようなそんな感覚だ。
頭が痛い。
「んぐっ......」
少女が頭を苦しそうに抱えるとトージは心配そうに覗き込む。
「大丈夫か?」
少女は分かっていた。この人は悪い人ではない。
人間は雰囲気で分かるものだ。この人間が綺麗か、汚いかなど。
分かる。この人間は綺麗な人間だ。強く、気高い。自分に、自分の正義に、絶対的な自信を持っている。そして、その正義は正しいものだ。
対して運び屋は汚れ、荒んでいた。しかし、その汚れは黒い汚れではなかった。透明で綺麗な汚れ。
恐らく彼は何人もの人間を無慈悲に殺している。罪のない人間を奴隷として市場に運んでいる。数え切れない程の憎しみと屍の上に立っている。
だが、彼は綺麗だ。誰にも曲げることのできない一筋の正義を持っている。
少女は惹かれてしまった。どんなに汚れても透き通り続けるその清水に。
「......運び屋さんを解放......してください」
トージはその言葉を聞いて、額に皺を寄せる。そして、不愉快そうに口を開いた。
「愛を知らない子供は少しの愛で騙されてしまうんだ。君は騙されている」
「勝手に......決めつけないでください......」
ひしひしと腹の中に黒い何かが溜まっていくのを感じる。
内臓を侵食するかのような、全身の血液が吹き出るかのような、それでいてやけに冷たい。感情の熱が気化していくような感覚。
「洗脳だ。君は洗脳されているんだ。お願いだ。信じてくれ」
信じる?
唐突に自分を守ってくれていた人を閉じ込めて、自分を拐っておいて信じてくれ?
心臓が弾ける程の激しい何かが全身の穴という穴から出てきそうになる。タノシイとかウレシイとかそんな感情への興味など全て吹き飛んでいくかのようだ。
「そんなこと......出来るわけないでしょう......」
「分かってる。今は信じられないと思う。でも、俺なら君を心地よい未来に連れて行ける!信じてくれ」
「運び屋について行っても未来はないのよ?」
知っている。何度も考えた。
運び屋が少女を守るのは仕事だからで、そこに感情はない。運び屋にとって、少女は誰とも変わらないただの奴隷。
市場まで持っていったら運び屋は一瞥もせずに消えていくと、少女は分かっていた。
ここで運び屋を見捨てて、シアワセに生きるのが正解なのだろう。
「それでも......」
シアワセは社会が、世間が、誰かが、勝手に無責任に登場人物無しで考えた幸せだ。
押し付けられたシアワセが個人の幸せにピッタリと当てはまることはない。どこかでシアワセが派生して、一人一人の幸せと姿を変えるのだ。
少女にはまだ幸せは分からない。どこにいれば幸せなのか。どんな時が幸せなのか。誰といるのが幸せなのか。
幸せとはなんなのか。
少女は今まで確信していた。
自分は世間や社会といった部屋には入れないと。誰かに入れてもらって、木の箱から出される玩具にしかなれないと。
嬉しさを知った。悲しさを知った。怒りを知った。恐怖を知った。恥ずかしさを知った。欲を知った。愛情を知った。
小さな世界が、誰でも知っている感情が少女にはなかったからこそ、初めて教えてくれた運び屋は淡いながらも美しく輝いて見えたのだ。
玩具にしかなれないかもしれない。酷い使われ方をするかもしれない。それでも、未来は自分で決めようと。
そう少女は決めた。
だから、そう意志を持って、少女は心から声を出した。
「私は運び屋さんについて行きます」
初めて本当の声を出した気がした。
「どうして......」
トージは心底不思議そうな表情を浮かべる。
「運び屋さんの居場所を教えてください」
「それは出来ないと言ったはずよ。たとえあなたが運び屋と一緒にいたいとしてもね」
少女は唇を噛む。
この人間には確固たる意志があるのだ。簡単に覆せないことは分かっている。
「なら......どうすれば出してくれますか?」
「フィーリア、君があの男について行かないのなら解放する」
「それじゃ意味がないです」
トージは頭を掻く。
「......分かった。妥協しよう」
「出して......くれるんですか?」
ふぅ、とトージは深く息を吐く。
「出しはしない。だが、運び屋と会う時間をあげよう。運び屋にも普通にご飯を食べさせる。メルノワ、大丈夫か?」
「仕方ないわ。そうしましょう」
今のところ、どちらにとってもメリットとデメリットがある案をトージは出したつもりだった。この案を飲むか否かは少女次第だ。
「......分かりました。それでいいです」
少女の目は決意に満ち溢れて見えた。
*
運び屋は深く溜息をついた。何もないこの状況。脱出はかなり厳しい。奴隷紋が使っても死なないくらいに回復したら、と言いたいが食糧がないこの状況ではそれは見込めないだろう。
一か八か無理矢理、奴隷紋を使用して外すか。可能ではあるが、危険度は非常に高い。死の確率は限りなく高い。死んでしまったら元も子もないのだ。
「あの日はどうやって外したかな」
運び屋が鎖に繋がれるのは初めてではない。鎖で繋がれていた歴で言えば少女よりも長い。
「あの日」は覚えていても細かい所までは思い出せない。雰囲気は思い出せても名前と顔が仕方なく思い出せない。
唐突に重厚な鉄の扉が開く音が聞こえる。少し小走りの軽い足音が運び屋に迫ってくる。
漆黒を纏った髪の毛、宝石のように強く光る赤い瞳、白い肌、細い肢体。
運び屋は心底安心したように深く息を吐いた。
「これじゃ、立場が逆だな」
「そうですね」
「お前、変わったな。何があった?」
「少しだけ強くなりました」
「そうか。......そうだな」
運び屋は微かに笑った。
「ここから出します。必ず」
奴隷少女と運び屋 鴨ノ箸 @nagikawakoneko
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