幕間)端屋敷の日々~姫と猿の三百年~
端屋敷の日々~姫と猿の三百年~(1)初めての春
朝の柔らかな光の中、まどろみながら藤花は目が覚めた。
しかし、ぼんやりしていたのはほんのわずかばかりで、彼女はすぐに隣で眠る兵衛を確認する。
小さな寝息を立てながら、難しい顔で寝ている様子はいかにも兵衛らしい。お互いに裸のまま寝てしまったので、彼の温もりをじかに肌に感じる。
昨日、待ち続けた兵衛が戻ってきた。初めて一緒に食事をし、一緒に湯に浸かり、一緒に寝た。愛する者と朝を迎えることが、こんなにも感動的なことなのだと藤花は初めて知った。
夕べは遅くまで語り合った。話したいことがお互いたくさんありすぎて。当然、楽しい話ばかりではない。辛かったこと、悔しかったこと、二人で心の傷を
その後は、兵衛と幾度となく愛し合った。お仕置きは……、まあ、その、二度と兵衛を怒らせないと、藤花は誓った。
昨夜の燃えるような激しい一夜を思い出し、藤花は恥ずかしくなって敷布団に突っ伏す。その拍子に、隣で寝ていた兵衛がぱちりと目を開けた。
「……どうされました?」
寝起きのかすれた声で兵衛が藤花に尋ねた。藤花は「なんでもない」と顔を布団に押し付けたまま答えた。
「ちょっと嬉しくなっていただけじゃ」
「そうですか」
兵衛がもぞもぞと腕を伸ばし、藤花を自分の元へ抱き寄せる。体をそっと密着させ、彼女の耳元で囁いた。
「朝は、何を食べましょう」
「うむ。
「芋粥ですか?」
「あれはうまい。初音が作ってくれた」
それはきっと、食べるものに困ったからではないか。兵衛はそう突っ込みたくなったが、藤花は全く気にしている様子もない。
「では、作ってきますので、藤花様はもう少しゆっくりしていてください」
彼女の柔らかな肌は名残惜しかったが、世話をする者が誰もいないので仕方がない。
伏見谷で独り暮らしが長い兵衛にとって食事の準備は造作のないことだ。彼は起き上がると、衣服を着てひとまずの身支度を整えた。
すると、藤花もむくりと起き上がった。
「私も何かする。──薪を割る」
「そのようなこと、この猿がします」
とんでもないと言った口調で兵衛が言った。しかし、藤花はもぞもぞと布団から這い出ると着替え始めた。
「馬鹿にするでない。私もできるようになったのじゃ」
内心、自分がした方が早いと思う。
しかし、言っても聞かぬはこの姫の常だし、それを言うとまた拗ねそうなので、黙ることにする。
着替え終わった藤花が「まあ、こちらに来てみよ」と、嬉しそうにぐいぐい兵衛を引っ張って行く。(ああ、食事の準備が……)と内心ぼやきながら、兵衛は彼女に従った。小さな庭に出て、裏手へ回ると薪割り場が見えてきた。
「ほら、ここで薪を割っている」
「場所は分かりました。次から私がします」
「私が割った薪では不満か?」
「そうではなく……。いや、そうですね」
目に入った無惨な薪の残骸を見た途端、兵衛が言った。藤花が「なぬ?」と顔をしかめ、わなわな震え始める。
「感動的な朝を迎え、今から仲睦まじく
「ならばせめて、世辞を言える程度には体裁を整えてください。これは、割ったと言うより、砕いたでしょう?」
「こ、こちらの方が燃えやすいのじゃっ」
負けじと言い返す藤花の姿が可愛らしい。ついでに言うと、こういう藤花を見ていると、ついつい意地悪をしたくなる。
兵衛は適当な薪を一つ手に取ると、藤花の前で斧を片手にぱんっと綺麗に薪を割った。それを見た藤花が悔しそうに目をつり上げる。
彼は、そんな彼女に向かってにっこり笑った。
「これが出来るようになるまで、芋粥はおあずけです」
「おおおお、おあずけとな?!」
「当然です。自分でなさるのでしょう?」
途端に藤花が泣きそうな顔で頬を膨らませた。(あ、やりすぎた)と思ったが、もう遅い。
藤花はすんっと鼻を鳴らし、兵衛の手から斧を奪い取ると、涙声で「向こうに行きやれ」と指差した。
「藤花様、そんな意地にならずとも猿めがします。芋粥も差し上げます」
「私も何かしたいのじゃ」
困ったな。大人しく部屋で待っていてくれそうにもない。
兵衛は思案した挙げ句、彼女に言った。
「では今日は、この砕けた薪を使って一緒に芋粥を作りましょう」
兵衛の言葉に藤花がぱっと顔を輝かせる。
「本当に? 土間に立たしてくれるのかえ?」
「はい。そうれがどうか?」
「初音が食事の準備だけはさせてくれず、悔しい思いをしておったのじゃ」
「……料理の準備だけ、初音が?」
その言い方に一抹の不安を覚え兵衛が聞き返すと、藤花が大きく頷いた。
「うむ。一度手伝ってやったら、それから二度と土間に立たせてくれぬ」
「……」
もう嫌な予感しかしない。
その朝、兵衛は自分の提案に激しく後悔することになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
※「幕間)端屋敷の日々~姫と猿の三百年~」(全4話予定)については、オムニバス形式です。その後、本編最終章へと入ります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます