端屋敷の日々~姫と猿の三百年~(2)三年、夏の来訪者

 月夜の変から、はや三年が経っていた。

 すでに、里のまつりごとは二つ鬼がその中核をなし、一つ鬼は肩身の狭い立場へと追いやられていた。


 その一方で北の領では、政変の動きを知った西や東の領から領境りょうざかいを脅かされることが度々起こり、ここ最近の鬼伯・旺知あきともは兵の増強に躍起になっていた。

 ただの武装集団でしかなかった二つ鬼を兵に仕立て上げ、軍へと組織するよう進言したのは、言うまでもなく奥の方・千紫である。


 その増強の手助けを兵衛はしていた。とは言っても、彼が指導しているのは、六洞りくどう衆だけだ。兵衛を対等の相手として接してくれるのは、六洞りくどう家くらいなものだったし、鬼のことなど、そもそも兵衛の知ったことではない。


 しかし、兵衛が指導した六洞衆が、その後に他の鬼たちを指導する。回りくどいが、こうして月夜の里の兵は少しずつ、増強されていっているのも事実だ。


 月夜が不必要に力を持つこと、そしてそれに自分が少なからず荷担していることは、兵衛にとって不本意なことではあったが、六洞家と千紫に恩を売るにはちょうど良かった。


 それに、他の洞家とは相変わらず疎遠だったが、六洞家の者とは重丸以外にもすっかり顔馴染みとなった。若手の鬼の中には、からかい口調で「師匠」と呼ぶ者もいた。




 藤花は、夏の暑い日差しの中、門前で兵衛の来訪を心待ちにしていた。

 三年前、あばら屋だった屋敷は、兵衛が少しずつ修繕をし、今では小さく質素ながらも立派な屋敷となっていた。傾いた門を直し、崩れた壁は作り替え、穴の空いた屋根はき替えた。今は、離れを増築中だ。


 ここまでしなくてもいいのに、と藤花は思う。自分は彼と共に一夜を過ごせる部屋があれば、それで十分だ。


 四方を囲む塀を境界線に、結界も結ばれた。なんでも阿の国の結界はだそうで、兵衛が強力かつ緻密なものにした。

 悪意を持った外からの来訪者は簡単に入れない。それ以外の者は結界が結ばれていることも分からないくらい行き来が自由で、藤花も実のところ外に出ることが可能だと言われた。


 しかし、藤花は門から外に出たことはない。三年前、千紫に逃げないと誓ったから。


 今日は、兵衛がを連れてくると言っていた。滅多とない客人に心浮かれる。

 しばらくして、兵衛が可愛らしい少女を片手に抱いて現れた。


「兵衛、待ちかねたぞ」

「藤花様、ずっとここで待っていたのですか?」

「うむ」


 兵衛に頷き返しながら、彼が抱える少女に目を向ける。肩に白蛇を乗せた少女がにっこり笑った。


「藤花殿か。噂には聞いておったが、可愛らしい姫御じゃ」

「お初にお目にかかります。わらし様」


 藤花が深々と頭を下げる。彼女は亡き九尾の友人である座敷童ざしきわらしである。


「ふむ、兵衛降ろしてくれ」


 座敷童に言われ、兵衛が少女を降ろす。少女は地に降り立つと、まっすぐ藤花を見上げた。


「菊じゃ。この白蛇はびゃくと言う。此度は、この兵衛に頼まれてしばらくこちらに厄介になる」

「畏れ多いことにございます。何もない粗末な家ではございますが、ゆっくりしていってくださいませ」


 藤花が手を取り菊を中へと案内する。背中で黒髪に差した藤のかんざしが揺れ、その後ろ姿を兵衛は満足そうに眺めた。

 座敷童は財と幸運をもたらすあやかしだ。縛り付けることはできないが、少しでも彼女がこの家にさちをもたらしてくれたらと連れてきた。

 この端屋敷を三年かけてここまで修繕した。離れの増築と座敷童は、彼にとっては総仕上げのようなものだった。

 

「菊様、兵衛が無理を言ったのではないですか?」

「いや、ちょうど行く宛もなく、どこへ行こうかと思っておったところだった」


 座敷童を客間の上座へと案内したところで、初音が茶菓子を持ってくる。藤花も大好きな河童の水団子だ。


「冷や冷やとうまい」

「まだいっぱいありますよ」

「ここは、静かで良いところじゃ」

「はい。お気の向くままに一月ひとつきでも二月ふたつきでも逗留くださいませ」


 外では蝉がじりじりと鳴いている。ふいに藤花がぱんっと手を叩いた。


「蝉に合わせて月詞つきことを歌いましょう」


 なんだそれは? 兵衛をはじめ菊も怪訝な顔をしたが、藤花はお構いなしに歌いはじめた。

 それは、童歌のような可愛い音調の歌だった。藤花の声と蝉の鳴き声が混じりあってぱちんと弾ける。その音遊びのような調子に菊が嬉しそうに目を細めた。


「藤花、もっとないか?」


 こうなると、菊もわらべである。団子を片手にそそそと藤花の膝に乗っておねだりをする。藤花は「はい」とにっこり笑って頷いた。


 そんなこんなで、その日は藤花が即興の月詞つきことを披露することで一日が終わった。その後は、皆で夕餉ゆうげを囲み、夜も更けたところでお開きとする。


 菊と別れ、寝間着ねまき姿となった藤花が寝間で髪をいていると、しばらくして兵衛が現れた。


「菊様、お休みになりました」

「そうか。ありがとう、兵衛」


 言って藤花は兵衛を招き入れる。今日は菊の相手ばかりして、兵衛とまともに話をしていない。そして、兵衛も同じ気持ちだったようだ。

 彼は藤花の横に腰を下ろすと、躊躇ためらいなく彼女を抱き寄せた。


「お疲れではありませんか? 一日中菊様の相手をさせてしまい」

「大丈夫じゃ。私も楽しかった」

「それは良かった」


 穏やかな笑みを浮かべ、兵衛が頬を撫でる。そして、その手がするりと首筋に落ちる。


「では、今度は私の相手もしてもらえますか?」

「もちろん──」


 その時、

 ざざっと無遠慮に障子戸が開いた。

 びくっと二人は跳ね上がる。と、廊下を見ると、菊が枕を持って立っていた。


「二人で何をしておる?」


 菊が眠たそうな目を擦りながら藤花と兵衛をじっと見た。二人は焦りながらも素早く目配せし合い、それから彼女に笑い返した。


「何って──」

「と、藤花様の喉の調子を見ておりました」


 兵衛がとっさに嘘をつく。菊が「ふーん」と目を細めた。


 やはり無理があったか?


 思わず凍りつく二人だったが、菊がそそそと二人の間に割り込んで、藤花の膝に乗った。


「一人は寂しい。藤花と寝たい」

「え? 一緒にですか?」

「藤花も一人であろう?」

「あ──、そう、ですね……」


 歯切れ悪く藤花が答えると、菊がちろりと兵衛に目を向ける。


「兵衛、おまえはどこで寝る?」

「私ですか? 私は──」


 実はここで休もうとしていたとは言えず、かといって他に寝る場所があるわけでもない。思わず言葉に窮すると、藤花が慌てた様子で外を指差した。


「兵衛は庭で警護です」


 そうなのか? 女主人に目で問えば、そのまま「すまぬ」と目で返された。

 しかし、菊がむうっと眉根を寄せた。


「それは兵衛が可哀想じゃ。三人で川の字になって寝れば良い。戸も開けて、夜空を眺めながら寝よう」

「……三人で、」

「……川の字」


 思いがけない提案に二人は拍子抜けする。「我ながら良い考えだ」と誇らしげな顔をする菊がほほえましく、自然と笑みがこぼれた。


 夏なので布団も軽くかけるだけでいい。菊を挟んで三人は一緒に寝ることにした。「夜空を眺めながら」と言っていたのに、横になると菊はあっという間に寝てしまった。

 すやすやと眠る無邪気な寝顔はなんとも言えず可愛らしい。


「兵衛、」

「はい」

「お子は可愛いの」


 藤花が尊い存在を見るように菊を眺めながら呟いた。


「いつか、私も産めるだろうか」

「……」


 兵衛は一瞬言葉に詰まる。以前、九尾から彼女の「子が成せない」可能性を聞いていたからだ。その身に収まる妖刀の鞘の影響ゆえに。

 仮に子を宿したとしても、彼女の体がもたないのではないか。そんな不安もあった。そもそも彼自身、自分の子など想像もつかない。

 兵衛の気持ちを知ってか知らずか、藤花が夜空の月を遠い目で眺めて笑った。


「月の光のみぞ知る、じゃ」


 淡く柔らかな月光が、優しく三人を照らしていた。

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