第94話 物語の結末

 荒れ狂う海。

 船から放り出され、ほどなくして意識を失ったのを覚えています。


 見知らぬ浜辺で目を覚まし、記憶もなく、ふらふらと森に入り込み魔物に襲われました。

 わけもわからず必死に逃げましたが、すぐに追い詰められます。

 死を前に足がすくみ、もうダメだと目を閉じたその時。

 私はゲイラに命を救われました。


 どうしてスキルを使わないのかと聞く彼女に対し、私は「スキルなんて知らない」と答えました。

 それを聞いた彼女は一瞬驚いた様子をみせ、そして優しく抱きしめてくれたのです。

 あなたは辛い想いをしたのだから、何も思い出さなくていいと。


 記憶を取り戻した今、ゲイラの言葉が嘘であったと分かります。

 単に<器>とやらに見合う、都合のいい拾い物だったのでしょう。


 けど記憶を失っていた私にはそんな事は判断がつきません。

 それからは共に行動を続け、そして<英雄皇子>のスキルにより<力>を授けられたのです。

 詳しい説明もなく、命を救われた恩のために言われるがままに、こんなところまでやってきました。

 

 もしヒモ野郎が追いかけてきてくれていなかったら。

 私は記憶を取り戻すこともなく、よく分からない計画とやらの駒にされていたのかもしれませんね。

 であれば、ヒモ野郎には感謝をするべきなんでしょう。



 私は身体を起こし、気を失っているヒモ野郎の容態をみようと手を伸ばしました。


「ッ! 手が……」


 伸ばした私の手が、薄く透けています。

 慌てて身体を見渡すと、それはだんだんと全身に広がっていました。


 程なくして、手の先から光の粒はひとつ、立ち上ります。

 それはまるで消滅の光のように、またひとつ、またひとつと数を増やしていきました。


 脳裏によぎるのは、獣人の国でのゲイラの言葉。

 記憶を取り戻すと私はどうなると言っていたのか。



 ――――<力>に飲み込まれて……人ではなくなるの。


 

 あのしゃべる虫の言葉を信じるのならば。

 私は今、記憶を取り戻したことによって、風の精霊へと成っているのです。


 精霊とは、通常はそれ単体では顕現できません。

 この世界と重なるように、違う世界に存在しているのだと言われています。

 だから、完全に精霊となればこの世界から私という存在は消えてしまうのでしょう。


「……ヒモ野郎」


 どんどんと薄くなっていく手で、ヒモ野郎の手を握ります。

 そこから伝わるぬくもりが消える時。

 それが私の最後でしょうか。


「……思えば、始まりも貴方でした」


 マイラ島で大した意味もなく冒険者をしていた私。

 つまらないミスで死にかけて、諦めの中で出会ったのがヒモ野郎です。

 最初はお姉さまに寄生するだけのクズかと思いましたが、空を駆け、飛行船を追いかけるあの姿はまるで物語の登場人物のようで、悔しさを覚えました。

 それから二人で旅に出て、フォートやラウダタンと出会い。

 アイロンタウンでのあの夜。

 私を物語の中に導いてくれたのは、貴方でした。


「その物語の結末がここなのが、少し寂しくはありますが――――」


 ですがあのままずっと、小さな島で小さな自分を嫌いながら行きていくよりも良かったと思えます。

 

 ヒモ野郎の手が、ポトリと落ちました。

 手を離したわけではありません。

 私の手がもう、ほとんど消えかかってしまっているのです。


 不思議と涙は流れてきません。

 ただ、穏やかに目を閉じるヒモ野郎の横顔を見て、胸がひとつ脈打ちました。

 焦燥にかられるような、でも心地いいような感覚。

 この感情は一体何なのか――――……いえ、ホントは気づいています。

 最後、消える間際にまで誤魔化そうとするなんて、自分が嫌になりますね。


 ヒモ野郎の横に移動し、その顔を真上から見下ろします。

 そしてその顔に手を添えますが、もはやそのぬくもりに触れることは叶いません。

 私の身体はもうすぐ、消えてしまいます。


「私は自分に言い訳ばかりするズルい自分が嫌いでしたが、結局最後まで変わる事ができませんでしたね。でも、折角なので最後まで私のままでいようと思います」


 貴方は聞こえていないでしょう。

 だから、想いを告げることはしません。


 ええ。言い訳です。


 もう触れられもしないし、問題もないはずです。


 これも言い訳。


 私をここまで連れてきたのだから、貴方にも責任がありますよね?


 全部、言い訳です。


 

 私は数々の言い訳の言葉を心に浮かべながら、貴方へと顔を近づけていきます。

 消えかかっている筈の私の胸が、うるさいぐらいに激しく脈打っていました。


 距離はどんどん縮まり、もうすぐ触れてしまうというところで、私は目を――――。





「はい、ちょっとごめんよ」


「――――――――ッッ!?!?!?」


 え、あれ、ちょっ!


 今、触れましたか!? 触れてないですよね!?



 突然背後から掛けられた声と同時に、背中をドンと押され、私は前につんのめりました。

 ギリギリ触れてませんよ!?

 だって全然感覚なかったですから!


「青春してたとこ悪いね」

「はあっ!? 全然青春なんてしてませんッ! い、今のはちょっと……そう、耳打ち! 耳打ちをしようとしただけですから――――って、あれ。どうして私……?」


 振り返ると、そこには双剣使いのトカゲ族がいました。

 何やら盛大な勘違いをされているようです。

 私が正そうと口を開いたところで、消えかかっていた自分の身体が、元に戻っている事に気が付きました。


 すぐには信じられずに両手で自分の頬に振れると、そこにぬくもりを感じたのです。


「アンタが人として生きる方法を教えてやろう」


 呆けている私に向かって、トカゲ族の女の人は言いました。


「四元素精霊の力を取り込み、光の精霊の祝福を受けな」

「精霊の、力を……?」


 なぜそんな事を知っているのか。

 彼女は説明を続けました。


 先ほど私が消えかけていたように、精霊というのは長く顕現していられるものではありません。

 今、私の身体が元に戻っているのは、新たなエネルギーを取り込んだからだそうです。

 新たなエネルギー。

 それは火の精霊石です。


 あの炎を吐き出す小さなトカゲ。

 あれが炎の大精霊であったとの事。

 力が大幅に弱まっていて、あのような姿だったのだとか。

 そういえばアグニャが弱らせておいたと言っていましたね。


 その大精霊は、最後にアグニャの放った火球からヒモ野郎を庇ってやられてしまいました。

 後に残ったのはその精霊石。

 先ほど背中を押された時に、それを私の中へ押し込んだのだそうです。


「火の精霊の力が残っている間、アンタは実体を保っていられる」

「それは、どれくらいでしょうか……?」

「さてね。2ヶ月か3ヶ月か。1年は持たないだろうさ」


 私はその期限が来る前に、次の精霊――水か、土の大精霊から力を授からないといけません。

 そうして精霊の力で延命しながら、4元素精霊の力を授かり、最後に光の精霊の祝福を受けます。

 そして――――。


「アンタは<勇者>となる。そうすれば人族として生きていける」

「でも、精霊の力が尽きれば結局は消えてしまうのでは?」

「<勇者>は常に周りの精霊の力を取り込む存在さ。だから力が枯渇して消えてしまうなんて事にはならない。――――世界樹がなくなってでもしまわない限りはね」


 生きられる。

 その可能性があると知って、なんだか急に気が抜けそうになります。

 でも、勇者が精霊の力を取り込む存在だなんて聞いた事もありません。

 この人はどうしてそんな事を知っているのでしょう。

 いや、そもそも塔の屋上階にいたはずが、どうしてここに。


「あなたは一体……?」

「……そこのバカが起きたら伝えてくれるかい? 破門だってね。理由はアタイに許可を取る前にスキルをちらっと使ったからだ。バレないとでも思ってたのかねえ」


 そう言葉を残すと、肩越しにひらひらと手を振りながら歩き去っていきます。

 私がその背中に声をかけようとすると同時、直ぐ側に突如人が姿を現しました。

 何もない空間から唐突に現れましたが、何かのスキルでしょうか……?


「あ、外です! お侍さん、お侍さん、起きてください!」


 手に何やら薬品を持ち、気絶した侍を揺さぶっているのは三つ目のトカゲ族でした。

 もっとも、今は第三の目は閉じられているようですが。

 すぐ横にはルッルさんも倒れています。

 

 口の中にポーション瓶を数本突っ込まれて、息ができなくなった侍が目を覚まします。


「ごっっふっ!! こ、殺す気であるかッ!?」

「お侍さん、見てくださいこれ!」

「む? これはまさか――――」

「<神酒>です! 宝箱開けたら外まで送ってくださる親切設計!」


 急に騒がしくなりましたね。

 そうだ、あの双剣のトカゲ族にはまだ聞きたいことが。

 と、辺りを見渡しても姿がありません。

 見通しの良い砂漠の真ん中で、一体どこに……?


「美味しそう! ちょっと飲んでみます?」

「バカを言うな! お主の父親の為のものであろう!」

「でもあたくしちょっと父上にオコですよ? 少しぐらい呪いが残っても大丈夫!」

「いやいやいや――――」


 見つからないのであれば仕方がないですね。

 私はルッルさんの容態を確認します。

 打撲や擦り傷はありますが、軽症のようです。

 ほっと胸を撫で下ろし、ポーションを少しずつ飲ませます。

 これでしばらくすれば目を覚ますでしょう。


 エルフィナとアグニャはまだ塔の中でしょうか?


 見上げると、屋上の壊れた壁から明かりが漏れていました。

 

「命を救われたのは事実ですが…………まあいいでしょう」


 騙されて、おかしな身体にされたのです。

 命を救われた恩と相殺してトントンですね。



 さて、あとはヒモ野郎の治療ですね。

 外傷はないようですし、ポーションを飲まされば――――。



「ん、どうしました? 顔が真っ赤です!」

「な、なんでもありませんッ!」

「ポーションは顔にかけるんじゃなくて、飲ませて上げたほうがいいですよ! あーん」

「! わ、私の故郷ではこれでいいんですッ!」

「斬新! 世界は広いんですね!」

「ディ殿が溺れ死にそうであるが……」

 


 今度あの双剣使いのトカゲ族にあったら、絶対に口止めをしておかなければ……!

 

 

 やいのやいのと騒がしいですが、ヒモ野郎とルッルさんが目覚めるまではもう少し時間がかかりそうです。




 そして私の物語の結末も、もう少し時間がかかりそうですね。

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