第41話 死力を尽くして

 遂に土砂降りとなった雨の中、私たちはベヒーモスを取り囲むようにして陣形を取っていました。

 倉庫の中で戦っては分隊の皆さんが巻き添えを食らいそうだった為、わざわざ外に飛び出して来たのです。


 私が正面、ラウダタンが後ろ、そしてフォートがどうやって登ったのか倉庫の屋根の上からベヒーモスを見下ろしています。


「<ファイア・ライン>!」


 杖の先から赤い線が延びて、ベヒーモスの首元で爆発が起こります。


 しかしその大きさはアイロンタウンの時と比べ半分もありません。


 やはりこの雨の中、火魔法では威力が出せません。


 それでもベヒーモスは嫌そうに首を振りますが、その程度です。

 多少皮膚の表面を焼くだけで、ダメージという意味ではまったく効果があるようには見えません。


「B級の魔物相手にこの威力じゃ何にもなりません……!」


「うおっりゃぁぁぁ!」


 ベヒーモスが私に意識を向けた隙に、鬼金棒を手にしたラウダタンが、その後ろ足に思い切り殴りかかりました。


 しかしこの巨体相手では、その衝撃も表面で止まってしまうようです。


 鬱陶しそうに後ろをむいたベヒーモスが今度はラウダタンに意識を向けます。


「ガアァァァ!!」


 叫び声と共に振り抜かれたベヒーモスの前足で、ラウダタンは簡単に吹き飛ばされて、ごろごろと転がっていきました。


 ちゃんと防御したうえで自分で後ろに跳んだようですが、まともに受けたら一撃で致命傷でしょう。


 ベヒーモスがこちらを振り向きかけた時、フォートが屋根の上から攻撃を仕掛けました。


「いくよ――、僕の全力だ! <霞打ち>!」


「グガアァァァァ!!」


 フォートはどこからか持ってきた矢筒をいくつも並べて、とんでもない速度で次々それを放っていきます。


 いつもは最大3矢ですが、まったく手が止まる様子がありません――。


 打ち付ける大雨にも負けない程の大量の矢が、激しい音をたてて、次々とベヒーモスに突き刺さっていきます。


 そして遂に耐えられなくなったベヒーモスが、ズシンと地面を震わせてその場に倒れ込みました。


 横倒しになり、悲鳴のような叫び声を上げるベヒーモス。


 しかしそれでもフォートは矢を撃つ手を休めません……!


 いくつか逸れて後ろの倉庫に当たった矢が、冗談のような威力で簡単に壁を破壊していきます。


 石壁であるはずのそれは、矢が当たった箇所から粉々になって砕けちっていきました。


「ハァハァ……! やった……?」


 全ての矢を一息で撃ちきり、肩で息するフォートが横倒しになったベヒーモスを見下ろします。


 ベヒーモスの腹部は、ズタズタになり相当のダメージを負っているようです。

 しかし、それでも致命傷とはならなかったようで、ギラリとした鋭い眼光がフォートを捉えました。


「ガアァアァァァァァッァァァァ!!!」


「――っくそ!」


 手傷を負わされて怒り心頭といった様子のベヒーモスが、立ち上がるのと同時にフォートが足場にしていた倉庫に頭から突撃しました。


 柱が折れた倉庫はゆっくりと倒壊していき、破壊音と埃を巻き上げてバラバラに崩れ落ちます。


 その上にいたフォートがどうなったかはここからでは分かりません。


 しかし今はフォートの心配よりもこの隙を活かして攻撃をしかけるべきです!


 私はラウダタンとフォートがベヒーモスの気を引いている間に、体内魔力を限界まで練り上げていました。


 全力の一撃です。

 これで駄目でも後先はありません……!


 私は短杖の先をベヒーモスに向けて詠唱を開始しました。


「水の精霊ウンディーネよ、あなたの領域で火の奇跡を起す事を謝罪します。しかし、もしも邪魔をするというのならば容赦はしません! 火よ、征け、そして邪魔をするもの全てを喰らえ! <ファイア・ライン>!」


 体内の魔力が大量に吸い込まれていくのを感じると同時に、いつもより二周りは太い赤い線がベヒーモスの横腹に繋がります。


 そしてウンディーネに言葉が通じたのか、雨が不自然に<ファイア・ライン>を避けて落ちていきました。


 まるで雨のトンネルのようになったその中を、業火が走ってベヒーモスに直撃します。


 その瞬間――。


「くうっ――!」


 凄まじい爆発音と、爆風が私を襲いました。


 同時に起こった爆炎は完全にベヒーモスを飲み込んでいます。

 十数メートル離れていたのにも関わらず、その熱と風は相当の威力を保っていました。


 魔法の威力のせいか、それともウンディーネがやったのか、周りの雨が吹き飛ばされて一瞬まるで雨が止んだかのような時間が流れました。


 そして数秒後に再び叩きつけるような雨が降り注ぎます。


 予想以上の威力でした……、フォート死んでないでしょうか?


「な、なんですの今の魔法は……?」


「隊長、出てきたんですか」


 背後から声がして振り向くと、ドリルロールが唖然とした顔で煙の上がるベヒーモスを見ていました。

 <アーカイブ>の力で増幅している私の魔法の威力はあまり見られたくなかったのですが、そう言ってもいられない状況でしたからね。致し方ありません。


「あれが火魔法? そんなバカな……」


「あんなもの船に当てたら沈みますからね。火魔法部隊も手加減に苦労しているのでは?」


 あの威力を出せる火魔法使いはそうそういないでしょうが、ここは蔑まされて来た他の火魔法使い達の地位向上に貢献しておきましょう。

 

 さて、予想外の邪魔が入って予定の時刻までもう時間がありません。一刻も早く船の準備を――。


「あ、ああ……! まだ動きますわ……!」


 ドリルロールが震えながら指差した先にでは、腹部に大穴を空けて血を流し、全身火傷を負いながらも瓦礫を押しのけて立ち上がろうとするベヒーモスの姿がありました。


 まさか……、あの威力を受けてまだ立ち上がれるのですか!?


「グ――ガアアアァァァァ!!」


 ビリビリと空気を震わす咆哮が響き渡ります。


 致命傷にはなっているハズですが、死ぬその瞬間まで私達を殺すために向かってくるつもりなのでしょう。


 どうやら走る事は出来ないようで、ベヒーモスがゆっくりと歩いてこちらに近づいて来ます。

 くっ、先程の魔法でほとんど魔力を使い切ってしまいました。


 アレにトドメをさせる程の威力のある魔法はもう撃てません……!


「は、早く! トドメを刺しなさい!」


「出来たらもうやってます! 体内魔力が残ってないんですよ!」


 というか貴方も魔法使いなんだから自分でやったらいいじゃないですか!


「こ、来ないで! 風よ! 風よ! 我が敵を撃て! <ウインド・バレット>!」


「……グァァァ……!」


 ドリルロールの風の弾がベヒーモスの顔に直撃しますが、ほんの少し顔そむけた程度の効果しかありませんでした。


 やはり普通の中級魔法程度では話になりません。


「駄目ですね。逃げますよ隊長!」


「い、いや……!」


 くっ、ドリルロールは完全に足がすくんでいるようで、その場から動こうとしません。


 私はどうにか動かそうと声をかけ続けますが、迫りくるベヒーモスに視線を囚われ、こちらを見るの事さえ出来ない様子です。


 まずいです!


 ベヒーモスが私達を間合いに捉え、その前足を振り上げました――!


「<ドッカン・フィスト>!!」


 突然横から巨大な拳がベヒーモスの横顔を殴り倒しました。

 その巨体をよろめかせて倒れ込むベヒーモスを背に、私は固まるドリルロールを引きずるようにしてその場から退避させます。


「がっはっは! どうだ!」


「そんな事が出来るなら最初からやって下さい!」


 ベヒーモスを殴り倒したのは全身ズタボロになったラウダタンでした。


 どんなスキルかは分かりませんが、その右手には体の何倍もある巨大な鉄の拳がついています。


 赤く錆びているそれは、まるでアイロンゴーレムの手をさらに巨大にした様にも見えますが、拳の先からさらさらと砂の様になって崩れていきました。


「一回こっきりだ、もう出来ねえ!」


「なんですかそれ!」


「わしのスキルは<土作成・磁結晶>! 所詮は下級スキル、一日に作れる量をぜーんぶ使って今のが精一杯よ!」


 むしろここまで出来るだけ凄えんだぞ、とラウダタンは胸を張っていますがそんな自慢は何の解決にもなりません。


 もはや満身創痍といった様子ののベヒーモスですが、まだまだ戦意は残っているようです。

 殺意の篭った目でこちらを睨みつけ、震えながらも立ち上がろうとしています。


 手負いの獣は何をするか分かりません、トドメを刺さずにここを離れるわけにはいかないですね。


 しかし決定打がない現状、一体どうすればいいのか。


 せめてヒモ野郎がいれば、残りの少ない魔力でも<フレア・ボール>を発現さえ出来れば、後は風で威力を――。


「そうです、完全上位互換がここにいました! 隊長、いい加減覚悟を決めてください、貴方の力が必要です!」


「わ、私の……?」


「そうです! 魔導教本5章<風と火の応用>、分かりますね?」


「貴方、見習いがどうして教本の内容を知って……?」


「ホントに一日中掃除をしてたとでも思ってたんですか? そんな時間のムダするわけないです!」


 魔導教本は軍の魔法兵に支給される、その名の通り魔法の教科書です。


 本当は見習い期間が終わった後に支給される物ですが、私は掃除を終わらせて余った午後の時間で軍の資料室に行き、教本を読み込んでいました。


 なにせ軍の教本ですから、一般に出回る魔法に関する本よりもよっぽど実践的に魔法の使用方法の検証が行われており、役に立つと思ったからです。


 5章は<合成魔法>と言われる特殊魔法の使い方について記述されています。


 その中の<風と火の応用>はまさにアイロンタウンで私とヒモ野郎で放った、あの炎の竜巻について言及されていました。


「あれは複数の火魔法使いの火力が必要ですわ、貴方一人では……!」


「さっきの魔法の威力見てませんでしたか? 手加減なしの火魔法というものを見せて上げます。それに出来るできないなどと言い合ってる場合ではないです! ラウダタン! 気合で時間を稼いでください!」


「ガッハッハッ! 任せろ!」


 立ち上がりこちらに向かってくるベヒーモスの正面で、ラウダタンが鬼金棒を構えて立ちはだかりました。


 ドリルロールも恐慌状態からは脱したようですね。静かに体内魔力を練り始めています。


 私に残された魔力はほんの僅かです。<フレア・ボール>を発現させたとしても自爆する程の威力にはならない――はずです!


 雷鳴が轟き、黒雲に稲妻が走りました。


 叩きつける雨は地面を抉るのではないかと思う程に強まり、時折身体を持って行かれそうになる強風が吹き付けます。


 さすがにここまでになると、もうウンディーネも融通はしてくれないでしょうね。そもそも私は水魔法使いではありません。


「自由を愛する風よ、風よ、私は祈る者。全ての厄災を寄せ付けず、如何なる刻も人の側に在り続ける、貴方の様に在りたいと、祈る者」


「雄々しく優しき火よ、火よ、私は願う者。全ての厄災を灰にして、悲しみに沈む心に火を灯す、貴方と共に在りたいと、願う者」


 合成魔法のコツは、相手の詠唱に合わせ、異なる精霊が一つの魔法現象を起こすという事を分かりやすく伝える事です。

 私はドリルロールの詠唱を追うように言葉を紡ぎます。


「暴れる彼の獣は私の祈りを挫くもの」


「怒れる彼の獣は私の願いを払うもの」


 ラウダタンが果敢にベヒーモスに挑みかかっては、前足で転がされ続けています。

 その動きだけでも傷だらけのベヒーモスには負担のようで、上手くその場に釘付けにできていますね。


 ラウダタンがどんどんボロボロになっていきますが、さすがドワーフは頑丈です。気合いですよ!


「風よ、祈りよ、その力を私に貸してください――」


「火よ、願いよ、しくじったら許しませんよ――」


 ついにクリティカルヒットを貰ったラウダタンが私達の間を抜けるように吹き飛ばされていきます。後ろの方で倉庫に突っ込んだ音がしますが、生きている事を祈りましょう。


 私とドリルロールは重ね合わせた短杖をベヒーモスに突きつけ、魔法を発動しました。


「「合成魔法<サイクロ・デ・ラ・フレイマ>!!」」


 私の杖の先に顕現した<フレア・ボール>は、拳大の小さなものでした。


 今の残った魔力だとこれが限界のようです。もうこの後は<ファイアボール>一つ放てません。

 しかし肌を焦がすその熱量は、本来数人がかりの合成魔法を完成させるのには十分なものでした。


 一拍遅れてドリルロールの杖の先から起こった突風が、小さな<フレア・ボール>を巻き込み、巨大な炎の波となってベヒーモスに襲いかかりました。


 そのまま風を取り込んでどんどん火勢を増していき、すぐにベヒーモスの姿が見えなくなる程に巨大な炎の竜巻となります。


「なんて威力ですの――! 風が引っ張られて抑えきれません!」


「耐えてください! これで駄目ならもう打つ手はありませんよ!」


 弱音を吐くドリルロールを叱咤します。

 ベヒーモスは炎の竜巻の向こうで激しく咆哮を上げています。

 頭を振り回して暴れていますが、今までのダメージもあってその場から動く事は出来ない様子。


 このまま焼き尽くしてしまえば――!


 しかし先に限界が来たのは私の方でした。

 杖の先の<フレア・ボール>が急速に萎んでいきます。体内魔力を使い切ったのです。


 そして続いてドリルロールの風も勢いをなくし、炎の竜巻はその火勢を衰えさせていきました。


 僅かに残る旋風と火の間から、真っ黒に焦げたベヒーモスの姿が確認できました。


 腹部には大穴があき、全身黒焦げでどう見ても死に体です。ダメージは既に致死量を大きく超えているはずです。


 しかし――。


「――う、そ」

 

 完全に沈黙したと思われたベヒーモスは、閉じていた瞳をカッと開き、ギラギラと殺意に輝いた目で、私達を見据えました。


 あれだけの傷を負って、あれだけの炎に焼かれ、それでも命を残した獣はまだ諦めていません。

 体内魔力はもう一雫も残っていません。


 もはや打つ手は――。

 

 私の心が沈みかけた時、後ろからフォートの叫ぶ声が響きました。


「伏せてぇーーーー!!」


 体中に切り傷を作り、頭からも血を流している様子のフォートは、倉庫から拾ったであろう重鉄矢を弓に番えていました。


 低い姿勢で弓を真横に寝かせ、そして弦をねじり込むように捻った変則的な構えです。

 そして地面すれすれで放った矢は、ベヒーモスの手前で大きく上昇し、ベヒーモスを掠めるようにして空へと抜けていきました。


 外した――!


 そう頭によぎった瞬間、世界が真っ白に輝きました。


 同時に世界が割れたのではないかと思う轟音が響き、私は何が起こったのか分からないまま吹き飛ばされ、地面を転がっていきます。


「――な、にが……?」


 激しい耳鳴りがして何も音が聞こえなくなった世界で顔を上げ、ベヒーモスの姿を確認した時、私は何があったのかを理解しました。


 頭が吹き飛び、そしてゆっくりと倒れていくベヒーモス。

 その周りには僅かに残った雷がバチバチと帯電していました。


 落雷です。


 フォートが放った重鉄矢に、雷が落ちてその真下にいたベヒーモスを焼き殺したのです。

 きっと、未来を見るスキルで雷が落ちる可能性を見たフォートが、重鉄矢でそれを誘発させたのでしょう。


 脅威が去ったことを理解し、私は安堵の息を吐いてその場に倒れ込みました。

 フォートも肩で大きく息をしながら、大の字になり地面に転がっています。

 倉庫の奥でガラガラと何かが崩れる音がしました。恐らくラウダタンでしょう。

 そしてドリルロールは吹き飛ばされて気絶しているようです。


 私は再びベヒーモスに目を向けました。

 不死身とも思えた憎しみに染まった獣は、まるで許されたかのように光の粒となって空へと登って行くところでした。


 随分時間が掛かってしまいました。

 早く、船の準備をしなくては。


 ヒモ野郎は上手くやっているでしょうか……?

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