第11話 冒険譚に焦がれて
「お、結界が解けたな」
北区に入り、歩いている人が増えてきた。
街の灯りもついて、1番通りから港まで、まるで光の道のようになっている。
北区は港に向かってずっと下り坂になっているため、他の区から移動してくると、街の全貌がよく見えるのだ。
特に目立つのはやはり飛行船だ。
なんのつもりか、停泊中の飛行船は下から光石で照らされていて、夜の空を背景にしてやたらと威厳を放っている。
さて、どうするか。
飛行船の発着場にいくには2つの道がある。
昇降機を使う方法と、西門から外に出てぐるりと周り込む道だ。
北区に真っ直ぐ走ってきたので、今から西門へ周り込むのは時間のロスが大きすぎる。
となると昇降機を使うしかないのだが、普段から関係者しか使用できないうえ、追手が来るかもしれないこの状況で封鎖をしない理由がないだろう。
「止まってください、ヒモ野郎!」
通りの先で毒舌娘が両手を広げている。
遂に隠しもせずにヒモ野郎扱いか。
いや、アンリがいないところで会うのはこれが初めてだ。あれでもまだ猫を被っていたということだろう。
「悪いけど、今ちょっと急いでてね」
「普通の人はね、あなたと違って見れば分かる事は言われなくても理解してるんですよ」
切れ味すごいな、おい。
「じゃあ邪魔しない方がいいってのも分かるだろ? どいてくれ」
「アンリお姉様に何があったんですか」
少し驚いた。
どうしてアンリに何かあったと知ってるんだ?
僕の心中が顔に出ていたのだろう、キルトは心底面倒くさそうにため息をついた。
「ついさっき、一緒に帰ったはずのヒモ野郎がお姉様の側にいない、バカだから何かあったら走りだす。で、1人で必死そうな顔して走ってるあなたを見かければお姉様に何かがあった事ぐらいは分かります」
分かるか?
いや、普通そこまで分からんだろ。
「アンリお姉様に何があったか言って下さい。バカでは解決できない事も私ならすぐに解決できます」
巻き込んでいいものか。
相手は軍隊だ。
この島で一流店の娘で、魔法のスキルを授かり、将来安定しているこいつを巻き込むのは良くないんじゃないか。
僕が逡巡していると、キルトが苛立たしげに声をかけてくる。
「だから、バカが考えてたって良い結論なんか出ないんです。早くして下さい」
「覚悟はあるのか?」
「はあ?」
「安定した日常を捨てて、いつ死ぬかわからない冒険に出る覚悟はあるのか?」
僕はキルトの目を見て、思い切り睨みつけた。
覚悟がないなら、冒険に連れて行くわけには行かない。
僕らの物語は決して安寧なものにはならない。
軍を敵に回し、ドラゴンの巣に殴り込みをかけ、魔王と戦うのだ。
道の真ん中でいきなりこんな事を言われても、簡単に結論なんか出ないだろう。
それでも、譲れないんだ。
キルトは僕に睨まれて、まったく、ほんの少しも、これっぽっちすらも気圧された様子を見せずに言った。
「覚悟なんて不要です。お姉様が困っているならどんな事があっても私は助けに行きます。私は救われたから。私がお姉様を助けるのは決定事項です」
強い目だった。
命を救われた事は間違いないが、ここまで恩に感じるなら僕にももう少し感謝してもいいんじゃないかと思うんだが。
「ふ。それが覚悟って言うんだ」
「ヒモ野郎がカッコつけたところで気持ち悪いだけですね。いい加減お姉様に何があったのか言ってください」
僕は何が起きているのかをキルトに説明した。
事情を把握した彼女は「なんでさっさと言わないんですか!」と非常にお冠だった。
僕らは協力してアンリの救出にあたる事になった。
---
――光の雨の中、揺れる金色が私の心を救いました。
私は、小さな頃からなんでも出来ました。
算術も得意だったし、走っても他の子より早かったし、バザールで良品を見抜くのも得意でした。
たくさんの本を読んで、どんどん知識を身に着けました。
他の子が読んでいるような冒険譚も読んだことがあります。
こんなのあり得ないと鼻で笑いました。
天を駆け、ドラゴンを単独で倒す英雄。
聖女として世界を救う旅に出る平民出身の娘。
いくつもの魔法を操る大魔法使い。
人は空を飛べないし、ドラゴンは人間が敵う相手じゃありません。
平民が聖女になれるようなレアスキルを授かる可能性はありません。
スキルは1種類しか授からないので、いくつもの魔法を操る魔法使いなんてあり得ません。
出来もしない事に憧れるなんて無意味です。
そんな暇があれば少しでも出来る事を増やすように努力すればいいのです。
みんな、只でさえ私よりも出来ないんだから――。
火魔法のスキルを授かった時も、他の子よりも出来る事がひとつ増えただけでした。
所詮は中級スキルです。
多少は珍しいかもしれませんが、王都にはありふれているでしょう。
私は周りの子に比べたら優れているかもしれません。でも結局、世の中にはもっと優れた人がいくらでもいるのです。
私には、私が大したことのない奴だと分かっていました。
だから魔法兵団の入団依頼にも返事をしませんでした。
暇つぶしに冒険者になって1年が経った頃、平原洞窟で仲間がヘマをしました。
フロア・ボスが居る事をキチンと確かめずに、宝箱を開けようとして奇襲を受け、毒の霧を浴びたのです。
私は距離を取っていた為に避ける事が出来ました。
すぐに火魔法でフロア・ボスを牽制して、仲間が毒消しを飲む隙を作りました。
なのに彼らは慌てて持っていた毒消しを落としてしまい、仕方なく予備も含めて私の物を飲ませたのです。
ジリジリと部屋の入り口まで後退し、なんとか脱出が出来そうだど気が緩んだところで、廊下から来たポイズン・リザードの毒の霧を3人揃って浴びてしまいました。
毒消しはもうありませんでした。
私たちに残された道は、毒がまわりきる前に外に出る事。そしてダンジョンの前にいるギルド職員に毒消しを貰う事。
望みは薄いです。
私は半ば諦めつつ、ドジばかり踏んだ仲間に腹を立てていました。
毒消しは多めに用意していたのです。
前衛の方が毒を浴びる可能性が高いからと、他の二人が多めに持っていたのです。
それを全て落とした。
落として私の分を使って、足りなくなってしまった。
もちろん私が完璧に動けていたなんて思っていません。
でも、せめてあとの2人が私と同じぐらい上手く立ち回れていたらと、そう思うと怒りが湧いてくるのです。
そして毒がまわりふらつく足を必死に動かして、私たちはポイズン・リザードから逃げました。
きっと追いつかれる。
きっと毒がまわって逃げられない。
途中で2人組の冒険者とすれ違いました。
毒消しを持っているかもしれない。
でもポイズン・リザードはもう直ぐそこに迫っていました。毒消しを飲んでいる暇はありません。
フロア・ボスだっているのです。
この2人組じゃ勝てません。
せめて助かってほしくて、「逃げて」と声をかけましたが、声が掠れてしまいちゃんと聞こえたかは分かりません。
2人組とすれ違い、私たちは直ぐに倒れ込みました。
もう毒がまわって走れなかったのです。
迫りくるフロア・ボスが見えました。
ここで死ぬのだと知って、私は意識を手放しました。
――そして、物語の中で目を覚ましたのです。
最初に目に入ったのは光り輝く杖と、はためく金色の髪の毛でした。
それは空を飛んでいるようでした。
天使なのかも知れないと思いました。
でも、こちらに背を向けて顔は見えません。
凄く綺麗だな、と思いました。
すると突然、天使が紫の霧に包まれたのです。
ここで私は気づきました。
ダンジョンです。
平原洞窟です。
私たちは毒にやられて死ぬところだったのです。
こうして目を覚ましたということはあの2人組が毒消しを処方してくれたのでしょう。
そしてその内の1人が今、ポイズン・リザードの毒に飲まれたのです。
私は叫ぼうとしました。
でもまだ毒が抜けきれていなくて、息が漏れるだけで声になりませんでした。
代わりに天使が叫びました。
何かの呪文だと思われますが、聞き取れませんでした。
ただ<光>という言葉だけ聞きとれました。
やはりあの方は天使なのです。
そして次の瞬間、眩い光の爆発が起こりました。
私の火魔法とは明らかに違います。
光の爆発は辺りに舞っていた埃を吹き散らし、その向こう側の光景を明らかにしました。
そこに立っていたのは――いつか物語でみた英雄でした。
私が天使だと思っていたその人は、消えていくフロア・ボスの光に包まれ、毅然と立っていました。
背中を向けながら、顔だけでこちらを振り返っています。
英雄は気高く、凛々しかった。
ほんの少し混じる物憂げな雰囲気は、自らが討伐した魔物への哀憫の表れでしょうか。
私はその姿を見て、泣きました。
いたのです。
冒険譚に語られるような英雄は。
分かったつもりになって、何かを為す前に諦めていた私の心は、自分で作った檻の中に閉じ込められていたのだと知りました。
そして自分でも気づいていなかったその檻の中から、目の前の英雄が救い出してくれたのです。
光の雨の中、揺れる金色の髪を持つ気高き英雄が、私の心を救ってくれました。
その瞬間から、私は英雄の冒険譚に焦がれて生きています。
---
私はお姉様の為なら命はいりません。
軍が相手でも、ドラゴンが相手でも、お姉様の盾となって死ぬなら本望です。
命と心を救われたからだけじゃない。
私はお姉様の物語を、誰よりも愛しているから。
それにしてもお姉様にまとわりつくヒモ野郎は邪魔です。
こいつはいつか必ずお姉様から引き離します!
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