斜張橋 ‐2

 そしてその時、もう我慢ならないとばかりに飛び出した。右那が前に出る。

「やめろ!」

 珀斗の前に立ち、小さな体をいっぱいに広げて是雲の前に立ち塞がった。

「もう、……やめてくれ」

「なりません。この方はわたくしが浄化して差し上げなければいけないのでございます」

「やめてくれ、もうこんなことは……」

 大の字にして立つ。頭を垂らし、うつむく表情は長い髪に隠れた。滲むような声を絞り出して、右那は言葉を紡いだ。

「珀斗、もうやめてくれよ」

 彼女は、その後ろに倒れる珀斗に言っていた。小刻みに震える珀斗の体は、地面に手をつき、膝をつき、足をつき、そしてまた崩れ、再び地面に突っ伏した。

「なんでボクの為に戦うのさ。ホントさ、ホントに。もういいんだってば。どうでもさ」

 そして右那はゆっくりと顔を上げ、垂らした前髪の隙間から、青白く燃えるような瞳で是雲を睨んだ。剥き出しの殺意に一切の揺らぎはない。

「こんな世界、別に滅べばいいじゃないか。全く下らないよ。一体なんの価値があるって言うんだい。価値なんてないんだ、みんな死ねばいい」

 そして、次に是雲を見据えた際には、既に第三の目が煌々と開かれていた。

「ヒトはあまりにも下らない。この世界の隅っこの暗がりで、ずっと眺めていた君たちの社会は、とても悍ましく、あまりにも醜い」

「鬼神の子がなにを言おうと、それは偏見と偏屈に満ちた虚実にございます」

「鬼神の子? そう、君たちが創ったのものさ。こんな醜いものをね。それを創った君たちはどれだけ醜い存在なのだろう。本当にさ、よくもこんな醜い命を生み出してくれたものだよね。わかるかい? 相当頭にきてるんだ。人類皆殺しに値する程の恨みだ」

「…………」

「そうさ、誰が生み出してくれなんて頼んだのさ。全く意味のない人生なんだよ、それどころか、この命は有害極まりないんだろ? ただ死ぬためだけに過ごす無限にも近い無為な時間さ。それなのに……、それなのにさ!」

 右那が大きく声を上げる瞬間、斜張橋の太いケーブルが、弾けるように数本が切断し、橋桁の外に吹き飛んだ。

「どうしてこんなにも苦しまなくちゃいけない! どうしてこんなに苦しいんだ! なまじ希望を見せて、失わせて! 最悪だ! 結局は失うだけの命なのに! なんで生きなきゃいけないってのさ! 言ってみろよ坊主!」

「……、それが人生にございます。人生とは長い坂を登るが如く修行なのでございます」

「それに何の意味があるんだよ。馬鹿だよ」

「ヒトの道理は鬼神にはわかりません事にございましょう」

「ああ、そうかい。どうせボクは化け物だよ、だからいいよね、みんな殺して。もう思うところは何もない。この世界は滅ぼす」

 ゆらりと手をかざし、目を細め、そして額の目に灯る光は青く震えた。

 是雲は空中に座禅で浮いたまま。右那が周囲に放出する強烈な波長がバタバタと袈裟をはためかせるが、これに一切怯む様子は見せず、少し微笑むような表情のまま対峙している。

「ひとつ、大きな間違いを申し上げますが、どうして貴方が世界を滅ぼすことができましょうか。ここにわたくし、旧世使徒たる是雲がおります。わたくしは、大災厄ともなろうこの世の魔を滅するために降臨し、偉大なる力を天より授かりました。貴方のようなヒトの世の過ちを葬り去る事こそわたくしの命にございます」

 余裕の笑みとも見て取れるが、どちらがより力があるかなど、右那にとってはどうでもいいことであった。自分が死ぬのも世界が消えるのも結局同じだ。どちらにしても、もはやそこには、心から欲していたものは何もない。希望はない。未来はない。すでに世界は終わっている。

「キモい説法はいらないよ、お坊さん」

「鬼には不要な徳でございましたか」

「ボクは全てを無に帰す。価値のない世界、下らない人間、無意味な命……」


「……そうだよ、ノロ氏のいない世界なんか、滅んでしまえばいいのさ……」


 是雲の額のビンディは火花をともなって周辺の光を一点に集束し、いまだかつてない最大のエネルギーを溜め込んだ。

 ここから放たれる使徒の電撃に接すれば、跡には何も残らない。右那共々全てを灰にし、見える景色を地平線の彼方まで燃やし尽くすだろう。

「鬼神の子よ、御仏のもとに召されなさい」


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