第八拠点


 *  *  *


 こちらは公安省特別高等作戦群、第八拠点。陸上自衛隊から引き継いだ施設および敷地である。日本海を見据え、中央には高い建造物がそびえ立つ。建物の名称は『自衛隊北陸病院』改め『中央公安病院』とされる。

 最先端医療技術の結晶塔とも言える公安病院は、電子セキュリティ完備、対空対地防衛システム装備、すべての攻撃に対して無類の堅牢を誇る軍事施設だ。

 本日、この病院に特別な遺体が運び込まれた。

 件の容疑者たる『野呂九郎太』の体だ。

 損傷が激しく右腕は現場で喪失したと思われる。そして、恐らく反対の腕は元から離断していたのだろう。断面が古く、しかも施術によって形成された痕跡もない。

 また体中は凄まじい弾痕で見るに堪えない状況であった。しかし、これがこの姿で数十秒走っていたというのだから、思わず常識を疑ってしまう。

 無論、この大犯罪者がまっとうに弔われるはずがない。

 これより執り行われるのは専門家による解剖だ。この男の人体には国家的にも重要な生命科学の次なる扉へのヒントが眠っている。

 既に公安関係者の間ではデリーターの存在が密かに認識されているが、その体を脳実質つきの新鮮な状態で手に入れるのは初めてだった。


 解剖室は青白い光に包まれていた。中央に配置される遺体にはシーツが被せられ、その周りを大小様々な機材が囲んでいた。解剖に係る人員が整い次第いつでも施術を始められる状態だ。

 まるでその時を一人孤独に待つように、死体は黙ったまま。その体がシーツを取り払って突然起き上がるはずもなく、部屋にはただ空調の音のみが低く鳴り響いていた。


 ――無様デアルナ。ノロクロ。


 ――チカラニ溺レタ愚者ノ末路ヨ。マダ足リヌト欲ヲカキ、其ノ手ノ中カラ全テヲ失ウ。


 ――……シカシ、汝ヲ讃エヨウ。汝ハ世界ノ業デアル。

 

 不意に轟く何者かの声。

 そして、その静寂は唐突に破られた。まるで爆発のような衝撃の後、解剖室の壁が崩壊した。照明設備の配光が落ち、粉塵の影から光る二つの眼光が遺体の前に忍び寄った。

 室内は予備電源に切り替わると、緊急事態を知らせる赤色灯が室内の全てを赤に染める。

 現れたのは、巨大な黒い鳥であった。全長は五メートル近く、逞しい四本の足でゆったりと前に進んだ。

「マァ、吾輩モ他人ヲトヤカク言エル状況デハ無イガナ、コノ姿デナケレバ胴ニ穴ガ開イタママデアル。バッハッハッハ。ドレ。亡骸ノ具合ハ如何デアルカナ」

 容疑者の解剖台にゆっくりと近寄った黒鳥は、真っ黒い嘴でそれを覆うシーツをひらりとめくった。

「コレハ派手ニイッタモノダ。見事デアル。シカシ、コレノ存在セシ場所ハ、依然ウツシ世ニアロウ。神ヲ収メシ臓器ハ健在ダ」

 続いて黒鳥は大きく翼を広げ、そして遺体を扇ぐように、大きくゆったりと前後に翼を動かした。するとその隙間から濛々と黒い霧が溢れ出し、解剖室はたちまち暗黒が支配した。

「汝ハ、スデニ使徒タルニ十分過ギルホド業ヲ深メタ。ダガ、コノママデハ朽チルノモ時間ノ問題。サテ、汝ハ一体何ヲ望ムノデアロウカ」

 鳥は問う。

 だが、すでに事切れた男は話すこともなければ、意思を示すこともないだろう。そう、この有様こそが男が生前に望んだ最高の姿だ。答えるまでも無いという。

 しかし、黒鳥は続けた。

「吾輩ハ、汝ヲ讃エヨウ。ホンノ僅カダガ、ココニ、チカラヲ貸シ与エン」

 男の体に、周囲に漂う霧が吸い込まれるように集まっていった。

「汝ガ、真ニ生キル事ヲ強ク願ウノデアレバ、再ビソノ足デ立チ上ガル事モ叶エラレヨウ」

 黒鳥は、それを最後に遺体に背を向け、破られた外壁に四本の足を引っかけた。そして外界に広がる嵐に向けて巨大な翼を先の方までぴんと広げる。

 解剖室に吹き込む風は荒れ狂い、あらゆる機材を吹き飛ばした。そして黒鳥がひとたび羽ばたくと、鳥は風に溶け込むように嵐の中へと姿を消してしまった。

 黒い霧もいつの間にか消退し、室内の警報器は思い出したように鳴動した。

 拠点の警務隊員がようやく解剖室に辿り着いた時には、すでにそこには何もない。壁に開いた巨大な穴と、散らばった機材、そして、容疑者の遺体である。

「な、なんだこりゃ、……。一体なにが……」

 理解の追いつかない超常現象に、ただ立ち尽くすのみであった。


 ――モハヤ汝ハ人ニハ戻レヌ。次会ウ時ハ同輩ヨ。無論、汝ガ其レヲ望ムノデアレバ、デハアルガ……。サラバダ、ノロクロ……


 




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