モヤモヤ メランコリー 黒羽瑛人
彼とはただのクラスメイトだった。
……昨日までは。
それが
場所は
彼は
外靴を靴箱に入れる後ろ姿。
クラスメイトといっても、別に
その時も、特に何か話しかけるつもりなんてなかった。
でも落ちていたのだ、自転車の
だから何気なく声をかけただけだった。
「あ、もしかしてこれ
「へ? あ……あ、そう。サンキュー」
そう言って、笑う彼に私も良かったと鍵を
カラビナに自転車の鍵と家の鍵らしいものを二つ連ねたシンプルなもの。
「これないと帰れないところだった。ありがとな」
ふわっと彼の手が私の頭の上に乗った。
人生で初めて……。
お父さんやお兄ちゃん以外の男子に頭をなでられた。
その
瞬時に
今までそんな経験がなかったのは、たぶんこの身長のせいだ。重宝されるのは部活の時と高い所の荷物を取る時だけ。
172センチのこの身長といかり
それなのに、こんな大女にまるで
それだけ新田くんも背が高かった。
男子全員が私より背が高いわけではない。
中にはこんな大女に近寄って欲しくない人もいる。
だから、あえてこちらから
なっ、なでなでって……。
「あ、うん。良かった……」
返した言葉に少しだけ
それが伝わらないようにとさらに言葉を
「ヨカッタヨカッタ」
心臓の速さに気付かないフリをして無理やり靴へと意識を向ける。
いつものように靴を履き替えるため、靴箱から私は上靴を出して
靴飛ばしの天気
「っぷ、
「え?」
「女子でもそんな履き方すんのな」
「あ……」
笑いながら去っていく彼の後ろ姿を見送る。
はい、確かに家族からはガサツとよく言われておりマス。
彼に笑われた事が急に恥ずかしくなってさらに落ち着いた体温が再び
デカくてガサツだなんて、そりゃあ彼氏もできないはずだ。
こんな事ならもう少しおしとやかさを身に付けておくべきだった。
『お前みたいにガサツな
今さら兄の言葉が
別に新田くんに好かれたいわけでなく、男子にガサツと笑われた事がたぶん私の中では結構ショックだった。
彼の席は
廊下側の席は入り口に面してるから五列しか席が無く、私はさらにその二列後ろの窓側の席。
新田くんは背が高いせいか、私の席からは彼の後ろ頭が良く見える。
その日の授業中何度も、その後ろ姿に目が
『思ってたよりガサツなんだな』
何度も
できる事なら言い訳したい。
確かにガサツなところもありますが、でもこう見えてちゃんと料理だって作れるしお
こんな大女でガサツ女ですが、ちゃんと女子してます! って……。
でも、そんなのわざわざ私に言われたところで彼も
弁解の余地すら
ため息をついては視線をノートに落とす。
ガサツ、かあ。
そう
そしてまた黒板を見たついでに彼の背中に視線が泳ぐ。
言い訳したい。
でも、されても困るか、とまた同じ事がぐるぐる
せめて明日からは、このガサツさをなんとかしよう。
心に
「おはよう」
「……あ、おはよう」
正直
今までも何度か玄関で
良かった、と
今日はちゃんと
チャリっと音を鳴らして彼が鍵をポケットにしまい込む。
「今日も自転車で来たの? 雨降ってたよね?」
「ああ。でもバスで来んの
「少し、ではないけどね。良かったら、これ使って?」
カバンからタオル地のハンカチを取り出して彼に渡した。
……が、出してすぐに
考え無しの行動を反省……する前に、そんな考えを
そりゃあ、モテるはずだわ。
「……サンキュ。なんだ、広崎。ガサツなトコもあるけど、結構女子だな」
いたずらっ子のようにクヒヒっと笑ったかと思うと、彼の右手が私に
それは
くしゃりとなでられた
「明日返すから」
こちらの動揺など知る
呼吸を整えるために深呼吸一つ。
あーあ。
やはり、ガサツ認定されていたか。ハズカシイ。
なでられた所をなでながら、小さな
「広崎、今帰り?」
「あ、うん。新田くんも?」
部活が終わって
昼間と異なる静かな空間に二人の声が
「バスケ部も今週末大会だって?」
新田くんが
「うん、そう。バレー部も?」
「そ。広崎もレギュラーなんだってな? すごいじゃん、三年も多いのに」
「まあ、私背が大きい方だからね、それだけだよ」
「何言ってんだよ、努力してたんだろ。お前の事ちゃんと見てる
ハッとして彼を見る。
実は、努力、してる。
選ばれなかった三年の
彼の言葉の温かさに
照れを
「新田くんこそどうなの? 試合出られそう?」
「何だよ知らないのかよ」
残念そうに彼が言う。
同じ体育館を使っていても真ん中は緑のネットで仕切られている。部活が異なれば相手の事など全くわからない。
「……ごめん」
「まあ、俺もこの身長だからな。レギュラー」
「そっか、良かったね。お
「こっちは第一試合から
「うわ、大変。せめて一つくらい勝ちたいよね」
「いや、一つどころか……一応俺らの目標全国大会出場だから」
「え? バレー部ってそんな強いの!?」
「失礼だな。これでも前回の大会だって全道大会行って四強まで入ったんだぜ? 先月の朝礼で入賞した報告会したの覚えてないか?」
………。
朝礼って、なぜかいつも
たぶん校長先生のあの
低音の
それが最初にあるんだもん、その後のことなどさらに深い眠りの中。
だから全く
「そう、だったね。はは、ゴメンゴメン」
「お前……それ絶対覚えてないだろ?
バレたか。
「……スミマセン」
「ひっでぇ! 今度の結果報告は聞いてろよ? ちゃんと聞いてたか後で確認するからな! じゃ、また明日!」
満面の笑みで人の頭をグシャグシャッと乱暴になでていく。
人の髪を乱しておいて、ずいぶんと楽しそうに笑う。
「何よ、全く……」
つい、私にも笑みが移った。
「はよ」
「あ、おはよう」
「昨日のハンカチ、サンキュ」
ポケットから差し出されたそれ。
思わず私の口元が緩む。
「新田くん……さ、今日はタオルとかちゃんと持ってきたの?」
「いや、別に。何で?」
「……なら、今日も貸そうか?」
今朝は昨日より
それなのにまた今日も自転車だったらしい、とその姿が語る。
私のハンカチはそのまま彼の手に
「はは、悪いな。サンキュ」
彼にとって、
雨の
小さい笑みを返した時にはもう、後ろ姿。
何事もなかったかのように、そのハンカチで髪についた雫を軽く押さえて
その背中を今日は昨日よりも長く見ていた。
古文の授業は割と好きだ。
特に和歌が好き。
先生の話を
限られた言葉の中に
昔も今も変わらない恋の
先生が黒板にカツカツと音を響かせながら文字を書いていく。
その後ろ姿にあった視線が、
黒板の文字をノートに書き写しているのだろう。
背中を曲げ
その彼も、今
頰杖をついてじっと見入る。
ふわっと乗った彼の指の
頭なでなで、って……。
それを好きでもない女にするなんて、天然タラシか。
無意識になでられた場所へと指が動く。
きっと、彼にとっては私の頭をなでる事など
そんな事知ってる。
でも、私はそのせいであの日からずっとモヤモヤしている。
私一人が
本人はそのつもりもないのだろうが、勝手に私の中に入り込んで気持ちを
それに軽く
ボンヤリと窓の外へと目を移した。
飛行機雲が
そして……また。
ふ、とした
彼の指の感触を。
私はモヤモヤしながら、その感触が
早く消えて無くなれと、そう思いながら。
今まで味わった事のないこの感情。
モヤモヤとかシクシクとかドキドキとか。
色んな感情が
それがとても落ち着かない。
この感情に名が付かないからまたモヤモヤする。
最近恋をしている親友の優華が言っていた。
好きな人を
私のは、確かにドキドキはするけど楽しいとか幸せとかではなく、モヤモヤ。
だから少なくともこれは恋ではないという事だけはわかる。
穏やかだった私の日常が、彼の
彼の事を考えると余計にまたモヤモヤするから考えないようにするけれど、休み時間になって声が聞こえれば自然に耳が反応してしまうし、授業中だって気付けば目が勝手に後ろ姿を追っていた。
なんだか、すごく
彼の考え無しの行動のせいで、私一人がモヤモヤだなんて。
だから、次の日の朝。私は行動に移した。
だって、私一人がモヤモヤしているだなんてクヤシイじゃない。
彼にもこのモヤモヤを移してやる。
「新田くん、おはよう」
「ああ、はよー。あ、昨日のハンカチ悪い、忘れてきた」
「いいよ、急がなくて。いつでも
言われるままに
疑うことを知らない、
ゴミがついてるなんて、実は
私のようにモヤモヤすればいいと練りに練った計画。
それを現在決行中。
ゴミを取るふりをして、髪の毛をそっとなでる。
どうだ参ったか。
………!
思ったよりも
落ち着いて考えてみたら、異性の髪に触れるなんてこの
新田くん、今までよく私に出来ていたな。
今さら気付いたがでも、もう
一気に顔が
私は彼と目も合わせられず、
「と、取れたよ。じゃ、私先に行くから」
この心臓のドキドキは、今階段を
決して恋などではない。
だって、
フワフワもしない。
ただ心臓がやかましいだけ。
教室に駆け込み机に突っ
落ち着け、落ち着けと心の中で唱えながら。
そして、答えに至る。
ああ、そうか。
彼にとって私は、異性
私ばかりがまた、モヤモヤに
翌朝はバスを一本遅くすることにした。
「はよ。今日は遅かったな。もしかして
そう言って笑いながら、
会わないようにしたはずが、今回は裏目に出たか。
「……おはよう。新田くんも遅かったね。そっちこそ寝坊でしょう?」
「バカ、ちげーし」
あ……。
ためらいなく、当たり前のような手付き。
彼の指が私の髪をクシャリとなでてまた去っていく。
「ほら、急ごうぜ。
「……う、ん」
私は、一人階段を駆け上がる彼の後ろをゆっくりと上っていく。
「おい、何してんの? 早く行くぞって」
ついてこない私を気にしてか、わざわざ上から
こんな大女でガサツ女の私にまで……。
背、高いし。
顔もまあまあ。
あ、笑った顔
私にまで優しいんだから、きっと誰にでも優しいんだろう。
それに話しやすいし……などとのどかに考えていた。
「ほら、行くぞっ」
「え!? あっ! きゃっ」
私の手首を
速い速い。
転ばないようにと、全神経を
一段飛ばししないと追いつかない速さ。
教室の手前で放された手。
摑まれていた部分に彼の熱が残ってジンジンと熱い。
「良かったな、間に合って。明日は寝坊すんなよ」
そう言って、当たり前のようにくしゃりと私の頭を一なですると、何事もなかったかのように教室へと入っていった。
「寝坊なんかじゃ、ないのに……」
ガサツに加えて時間にだらしない女と思われただろうか。
最低だな。
でも、わざわざ言い訳する
また一つ、モヤモヤが増えていく。
「はよ」
「……おはよう」
翌週、結局いつもの時間のバスに戻した。
先に言っておくが彼に会いたいからではない。
時間にだらしないと思われるのが
かといって一本早いのだと早すぎる。だから戻しただけ。
なかなか
「広崎……なんかあった?」
「え?」
不意打ちで顔を
ずいぶんと近い
「今、ため息ついてただろ?」
原因は君ですけど、とは言えない。
「あ、
本当は言いたい。
このモヤモヤは全部君のせいだから、明日からは私にかまわずそっとしておいて、と。
「もしかして何か
「……残念ながら」
初恋らしい初恋もまだだ。
できる事ならそろそろそんな甘い悩みを経験してみたいものだ。
「え? マジで? あれ……変だな」
下を向き何かを考えこむようにつぶやく。
「本当に、何か悩んでないのか?」
「……別に、何も」
そんなに誰かの人生相談にでも乗りたいのだろうか。
「本当にか? 本当に恋の悩みとかないのか?」
「うん。別に今、恋してないし」
「え!?
「……いや、全く」
「え……だって……。ドキドキとか、キュンキュンとか最近なかったか?」
確かにドキドキはしたけど、でも私のはモヤモヤの方が大きい。
「キュンキュンなんて全くない」
「じゃあドキドキは?」
今朝はずいぶんと食い付いてくるな、と段々私の顔が
「……どっちかっていうとドキドキよりも、モヤモヤの方が大きい、かな」
「え? モヤモヤ!? 何だよモヤモヤって……っかしいな……」
ブツブツつぶやく彼。
「何? さっきから」
「……いや、ネットでさ」
「好きな子の頭毎日なでていたら、その子も自分の事好きになってくれるって書いてあったから……」
「へぇー」
と感心してから、ある事に気付く。
「……って、ちょっと待って。それって、もしかして……私で実験してたって事!? ひどいっ、大女ならからかっても傷付かないと思ったの?」
自分で放った「大女」に傷付いて声に
「え? ち、ちょっと待って!
「イヤだ! 聞かない! だってヒドイもん。それでもし、私が新田くんの事好きになってたらどうするのよ。困るでしょう? 遊び半分でそんな実験しないでよ、バカっ!!」
私は捨て
「待てって! 実験じゃない。どっちかっていうと『頭なでなで大作戦』だ!」
後ろで
何その変な作戦名……。
つい足が止まって彼を
じっと
「からかわれるの
大女なら傷付かないと、本当にそう思ったのだろうか。
モヤモヤに悲しみが加わる。
「だから、そうしてるだろ。最初から」
階段を上る私の足がピタリと止まった。
彼の真剣な声に
「まさかモヤモヤさせてたとは思わなかったけど、でも俺……広崎しか頭なでてないぜ。この意味、わかるよな?」
「えっと……それって……」
私しかなでていない、って事は……。
つまり、それは……。
『好きな子の頭毎日なでていたら、その子も自分の事好きになってくれるって』
その言葉の意味がゆっくりと
その
「も、もしかして……新田くんは私の事……好き、ってこと?」
はぁぁーっと深いため息をつきながらその場にしゃがみ込む彼。
大きな
「くっそ、作戦失敗だわ。
つぶやく声がダダ
だって男子に頭なでてもらうの初めてだったんだもん。
キュンとかそんなの、よくわかんない。
「すみません、普通じゃなくて」
一応彼に謝ってみる。
階段を下りていき、中々顔を上げない彼の
大きいのが二人階段の手前を
「新田くん、
まだ上がらない頭をそっとなでた。
ゆっくりと……もう一度、頭をなでる。
「で? 返事は?」
さらに頭を上げて出来た
どうしよう、私……。
彼のことが
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