Episode.2 咽返る魅惑のキャラメル①


2-1 親友ふたりの会話



 蒼真くんに会った翌日の土曜日、未紅は自分の部屋でリリコを待っていた。

(もうすぐかな?)

 時計を見ると、約束の時間は近い。

 キッチンからはコーヒーのかおりがただよってきていた。


 まずはリリコに謝ろう。そう思った未紅は、『話したいことがあるんだ』とリリコにれんらくしたのだ。

 そうしたら、リリコは『どうしたの?』と心配してくれ、バレンタインチョコ作りの打ち合わせもしたいから、と、さっそく翌日未紅の家に来てくれることになった。

(リリコには全部話そう。蒼真くんに会ったことも、蒼真くんに憧れてるだけじゃなく、本気で好きになっちゃってることも)

 恋愛相談するのももちろん初めてなのできんちようしてくる。

(そういえばリリコも初恋はまだだよね。どんな反応されるのかな)

「リリコちゃん、いらっしゃい!」という未紅のパパの声が聞こえた。


「おじさん、おばさん、こんにちは。お休みの日におじやしちゃってごめんなさい……。あの、これ、うちの母からです」

 ろうに出ると、リリコがひかえめながおで両親にあいさつをしている。

 ママがだんより高い声で「まぁ、ありがとう。お母さんによろしく言っておいてね」と、リリコから土産みやげを受け取っていた。

 パパがリリコに笑顔を向ける。

「リリコちゃんみたいにれい正しい子が友達だと安心だよ。未紅をよろしく」

「わたしこそ、未紅ちゃんにお世話になってるんで……」

(もう、パパったら!)

 未紅は大きめの声を出して「リリコ、いらっしゃい」とわりこむ。

 リリコがほっとしたような表情をした。

「パパとママはあっちに行ってて! ほらリリコ、入って入って」


■□■


「いつもうちの親がごめんね。パパもママも、リリコのことすごい気に入ってるの」

 リリコを部屋に入れた未紅が謝ると、リリコは「気にしないで。未紅ちゃんのご両親、礼儀に厳しいからちょっと緊張しちゃうけどね」と笑った。

 部屋に入ったリリコの視線が、未紅の机の上に向けられる。

「あれ、未紅ちゃん、これ古典のノートだよね。勉強してたの?」

「ううん、くんに貸してほしいってたのまれたからチェックしてただけ」

「多田くんに? そんなに仲良かったっけ……?」

 リリコに不思議そうな顔をされるが、未紅だって不思議だ。

 多田くんはただのクラスメートで、とくに仲が良いわけでも何でもない。

「私もそんなに仲良いとは思わないんだけど、このあいだ風邪かぜで休んだ日のぶんを写させてほしいって頼まれちゃったから。席も近いし、頼みやすかったんじゃない?」

 事実をありのままに話すと、リリコが「それって……」と顔をゆがませた。


「どうしたの、リリコ?」

 未紅が聞くと、リリコはちょっと考えるような顔をしてから首を横にった。

「……いいの。未紅ちゃんは気にしないで」

「そう?」

 そう言われても、リリコの様子はなんだかおかしい。

 まるで何か苦いものを飲み込んでるみたいな顔だ。

 未紅としては、ちょっと気になる。

 だけど、リリコはいやなことを振り切るように笑顔をつくってみせた。

「未紅ちゃんは恋愛とか興味ないもんね。そういう女子っぽいのはわたしの担当。だからバレンタインも未紅ちゃんは何もしないんだし──」

「! そのことなんだけど」

「未紅ちゃん?」

 リリコの言葉をさえぎる。

 おどろいた顔をしたリリコに、未紅はいきおいよく頭を下げた。

「ごめん、私、やっぱりチョコレート渡したい! 蒼真くんが好きなの──……!」


■□■


「そっか、未紅ちゃん、蒼真くんのこと好きなんだ……」

「うん、そうみたい。……なんかずかしいけど」

 遠い目をしてつぶやくリリコに、未紅は困ったような笑みを向ける。

 どうして、なにがあったの、と質問をどんどんしてくるリリコに、中庭で蒼真くんと会ったこと、自分の気持ちに気付いたことなんかを全部話したあとだった。

「そっかぁ……」

「リリコ?」

 なぜか暗い顔をするリリコに、未紅はなんだか不安になる。

(もしかしてリリコも蒼真くんのこと好きだった、とか?)

 だとしたら、未紅はどうすればいいんだろう。

(どうしたら──)

 ごくり、と未紅は息をのむ。

 ちいさな声で問いかけた。

「リリコも、蒼真くんのこと本気で好き、とか?」

「ううん、それはないよ!」


(そ、そうなの?)

 あきれるほどきっぱりとした否定に、未紅のほうがあわててしまう。

 だけどリリコはあっさり「もちろんあこがれてるけど、付き合いたいとかそういう気持ちはないもん」と続ける。

「じゃあ、どうしてなんか暗いの?」

「それは……」

 未紅の問いかけに、リリコがまゆを寄せた。

「…………なんか、未紅ちゃんが遠くに行っちゃう気がして」

「え?」

 どういうことだろう。首をかしげると、リリコが急に未紅に近づいた。


「未紅ちゃん、ひとりで大人になっちゃわないでね……!」

「大人?」

 どういう意味だろう。

 未紅がまばたきをしているあいだに、リリコは「信じてるから」と勝手に話を終わらせてしまう。何もなかったみたいな明るい笑顔で「とにかく」と話を変えた。

「じゃあ今年のバレンタインは未紅ちゃんといっしょに楽しめるね。蒼真くんにどんなチョコをおくるか、いっしょに考えよう!」


(そっか、チョコを贈るとなったら考えることがいろいろあるんだ。チョコの種類とか、ラッピングとか、メッセージカードとか)

 リリコの言葉に想像がふくらんで、未紅のほおが熱くなる。

(なんか、どきどきしてきちゃったかも)

 初めてのこいで、初めてのバレンタインチョコなのだ。

 きっと、どきどきしないほうがおかしい。

「未紅ちゃん、楽しみだね」

 ふふふ、と笑うリリコに、未紅はちょっと照れながらうなずいた。

「うん、リリコ、よろしくね──……!」




2-2 バレンタイン当日



 それからバレンタインまでの数週間、未紅はリリコと準備にけまわった。


 休み時間にはチョコの種類を相談、放課後にはお店めぐり。

 あっちのお店に行ってラッピングの箱を買い、こっちのお店に行ってリボンを買い、ほかのお店に行ったらもっとかわいい包装紙があって迷って、結局〝予備〟なんて言って二個目、三個目のラッピング材を買って。

 休みの日にはおの材料を大量に買ってリリコの家でチョコを作った。

 本当は道具がそろっている未紅の家のほうが良かったのだけれど、未紅のパパはかなり厳しい。バレンタインのチョコを男子にわたすなんて知られると絶対反対されるに決まっている。

 だから、未紅がこっそり道具をリリコの家に持って行って使って、こっそりキッチンにもどしたりもした。

 準備しているあいだ、未紅が考えたのは蒼真くんのことばかりだ。


(蒼真くんは受け取ってくれるかな)

(蒼真くんなら、どんなラッピングをかわいいって思うんだろう)

(蒼真くん、おいしいって思ってくれたらいいな)

(でも、受け取ってもらえなかったらどうしよう?)


 他人が見たらずっと真顔だったろうけど、頭のなかでは思いっきり百面相をしていた。

 なやんだり、考えたり、もうそうして照れたり、逆に暗い想像をして落ち込んだり。

 楽しいようなこわいような気持ちをたくさん経験して、でも結局やっぱり初めての経験にうきうきして。

 何度も試作品を作って、食べてをくりかえして、そして。


(やっと完成したんだよね──……!)


 バレンタイン当日。

 未紅は放課後おそくまで教室に残っていた。

(今日一日ずっとどきどきしてたのに、もっときんちようしてきちゃったな)

 蒼真くんはあいかわらずモテていて、学年に関係なく多くの女子にチョコを贈られていた。

 すごいさわぎだったので未紅も知っている。

 あまりに激しくて、未紅もリリコも渡しに行けなかったのだ。

(でも、そのほうが良かったかも。本人に手渡しとか、心臓がれつしちゃいそうだもん)

 結局タイミングがないまま放課後になり、リリコの案で蒼真くんの机に置いておくことにしたのだ。

(手渡しはできないけど、メッセージカードをつけたからいいよね)


 未紅が用意したのはシンプルな箱。

 手のひらに乗るくらいの、ささやかなサイズだ。

(さんざん悩んだけど、やっぱりあんまりかわいすぎるのは照れくさいもの)

 ただ、すこしはびしたくて、リボンだけは大人っぽい黒いレースのものを選んだ。

(蒼真くんに気に入ってもらえたらいいんだけど)

 箱の中身はチョコではない。

 手作りの、甘いキャラメルだ。


「未紅ちゃん、ほんとにチョコじゃなくて良かったの?」

 おなじようにかばんからチョコを出してきたリリコが未紅に問いかけた。

 ちなみにリリコが持っている箱の中にはトリュフチョコが入っている。

 未紅といっしょに作ったもので、ラッピングだけはおそろいにした。

 リリコに聞かれ、未紅はちょっと照れながら「うん」とうなずく。


「だって、いかにもバレンタイン! 本命チョコ!! って感じにしちゃうのもずかしいし」

 未紅の答えにリリコが首をひねった。

「そういうものかなぁ……? 私は、いかにもって感じなほうが好きだけど」

「リリコはいかにも女子って感じだから、それでいいと思うよ。でも、いつもシンプルなカジュアル服の子が急にフリルとレースとリボンたっぷりの甘々コーデとかするのって勇気いるでしょ? そういう感じなの」

(実際、私あんまり女子っぽい行動とかしたことないんだもん。これが限界!)

 これからチョコレートを渡すってだけで、十分どきどきしているのだ。

(これ以上いつもの自分らしくないことなんて緊張しすぎて無理だよ)

 どうが速いと自分でも分かる。

 リリコが「そういうものなんだ……?」となつとくしたようなしてないような顔でうなずいた。

「まあ未紅ちゃんがそれでいいなら、いいよね。さ、いっしょに行こう!」

「うん……!」

 リリコに手を引かれ、未紅は人の少ないろうを歩きはじめた。


■□■


「失礼します」

 ちいさな声で言ってから、未紅は2年6組のとびらを開けた。

(よかった、だれもいない)

 人がいたら気まずいところだったので、まずは安心する。

 窓からさしこむ夕日が、白いかべと黒板、並んだ机とを赤く染めていた。

 静かな教室に未紅とリリコのくつおとがひびく。

(ここが蒼真くんのだん勉強してる教室なんだ)

 そう思うと、おなじような教室のはずなのに急にかがやいて見えるから不思議だ。

(蒼真くんはどんなふうに授業受けてるのかな。たしか数学が得意なんだよね)

 ついそんなことを考えて、かついい、と妄想してしまう。

 リリコが立ち止まって声をあげた。

「蒼真くんの机、これだよね……?」

「!」


 声につられて近づくと、リリコはチョコレートが山積みになった机の前に立っていた。

(これは……)

 未紅の顔がひきつる。想像以上のチョコの多さだった。

(さすが蒼真くん、人気ありすぎ!)

 ちょっとおびえちゃうくらいだ。

 けれどリリコは未紅とちがって気にした様子はなく、ちょっと考えてから自分のチョコをチョコ山の上に置いた。

 未紅はこんなに緊張しているのに、リリコはとってもつうだ。

「よし、と……! ふふ、これでかんぺきだね」

「う、うん」

「あれ、未紅ちゃんも置いたら?」

「そ、そうだね」

 うまくしやべれていないのが自分でも分かる。だってのどがひきつっているのだ、仕方ない。


 リリコにうながされ、未紅は手にしていた箱をにぎりなおした。

(リリコってば、どうして普通にできるんだろう。私はこんなにどきどきしてるのに)

 バレンタイン、ずっとあこがれていたはつこいのひとの机にプレゼントを置く。

 それだけのことなのに、それだけのことが簡単にできない。

(体がふるえて、うまく動かせない)

 心臓の鼓動は痛いくらいに大きく感じて、頭に血がのぼっている。

(だめだ、手にあせがにじんでるし最悪)

 恥ずかしいし、照れくさいし、緊張するし、でもせっかくがんったから受け取ってほしい。

(がんばらなきゃ……!)

 いろんな気持ちをこめて、未紅はキャラメルの箱から手をはなした。


(────お、置けた!!)

 未紅のキャラメルは、たしかに蒼真くんの机にのせることができた。

(この気持ちが蒼真くんに伝わりますように……!)


「良かったね、未紅ちゃん。じゃあ──」

 帰ろうよ、とリリコが言おうとしたとき。

 廊下のほうで何かが落ちる音がした。

「!」

 誰かがいる。

 とっさにそう思って、未紅はおもわず身構えてしまう。

 ──コン! と、未紅の手が白い箱にぶつかった。


(やっちゃった!)

 ころろろろ、と、きれいな白い箱がゆかを転がる。

 廊下の物音にあわてるあまり、未紅はチョコ山のはしにあった箱を落としてしまったのだ。

(いつも真顔とか無表情とか言われてた私が、こんなに簡単にどうようすることになるなんて!)

 れんあいっておそろしい。

 リリコも未紅の反応におどろいたらしくて、「未紅ちゃん、だいじよう?」とたずねてくる。

「ごめん、すぐに拾う!」

(せっかくのプレゼントなのに悪いことしちゃった)

 リリコに答えながら未紅は慌ててかがみこむ。

 拾い上げると、幸いなことに白い箱はよごれていなかった。

(よかった……。それにしてもれいなラッピングだな)

 未紅はつい、手にした箱をじろじろと見てしまう。


 せいな純白の箱にげ茶色のサテンリボン。

 はさまれたメッセージカードにはレースのような細かい模様がある。

 かわいいだけじゃなく大人っぽい、いかにも高級品といった感じだ。

(これ、絶対本命だよね……──って、見とれてる場合じゃないか。ちゃんともどしておこう)

 こわしてしまわないよう、しんちように箱を拾って元の場所に置きなおす。

 ちらりとリボンに挟まれたメッセージカードが見えた。


『白坂樹里』、という名前が。


(────え)


 全身に、冷たい水をかぶせられたような気がした。


■□■


「い、行こう、リリコ! もう置き終わったしっ」

 白坂樹里、と書かれたメッセージカード。

 あれはきっと、樹里せんぱいから蒼真くんへのチョコレートなんだろう。

 まちがいない。

(見ちゃった……!)

 未紅の鼓動が速くなる。

 さっきまではきんちようのせいだったけれど、今はきっと不安のせいだ。

「未紅ちゃん!?」と、リリコのおどろいた声が聞こえる。

 だけど、未紅は走りださずにいられない。

 2年6組の教室からげ出してしまう。


(あのラッピング、絶対に本命だ)

 ろうを走りながら、未紅は白い箱のことを考える。

 かわいくて綺麗で大人っぽい、樹里先輩そのものみたいなチョコレート。

(樹里先輩は蒼真くんが好きってこと?)

 はぁ、はぁ、と、未紅の呼吸がひどく大きく聞こえる。

 すれ違ったサッカー部員らしき生徒たちに変な顔で見られたけれど、気にしていられない。

(あのチョコを蒼真くんが受け取る。そうしたら、ふたりは付き合いはじめるかもしれない)

 だって樹里先輩はだれが見ても完璧で、完璧な蒼真くんとお似合いなのだ。

 なにより。


(ふたりは、ロミオとジュリエットだから)


 部活のルールさえ関係なくなれば、付き合うのかもしれない。

 そう言ったのは未紅自身だった。


(見たくなかった)


 こうかいしても、どうにもならない。

 忘れたくても、忘れられない。


(ほんのちょっと前まで、蒼真くんにチョコをおくった達成感で幸せだったのに)


 今は心が痛くてたまらない。


(蒼真くんは、明日あした、返事をするのかな)


 じわりとなみだかんでくる。

 たくさんのチョコの山のなかで、蒼真くんに求められているのは一個だけ。

 樹里先輩のチョコ以外は、きっと蒼真くんを困らせてしまうだけだ。


(あんなこと、書かなきゃ良かった)


 自分の書いたメッセージを思い出して、未紅はくちびるを強くむ。

 未紅が書いたのは、たった二行。


一昨年おととしの四月、電車でかんから助けてくれてありがとうございました』

『好きです』


 まるで返事を欲しがってるみたいで照れくさくて、名前も書かずに贈ったのだ。

 むせ返るほど甘いキャラメルにえて。


(好きなんて、めいわくにしかならないのに────)


■□■


 未紅が廊下を走っていたころ、リリコはまだ2年6組の教室にいた。

 未紅を追いかけようとして立ち止まったのだ。

 リリコは何も言わず、じっと蒼真くんの机に積まれたチョコを見る。

 やがて、誰も見ていないかどうかかくにんした後で。

「…………」

 そっと、チョコの山に手をのばした。

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