三章



ゆずSIDE



 あれ以来、柏木君は目に見えてよそよそしくなってしまった。

 いつもがおだしものごしも優しいんだけど、目が合ってもすっとそらされるし、話しかけても前より明らかにそっけない。

 休み時間に思い切って勉強を教えてもらえないかとたのんでも、「ごめん、ちょっと用事があって……」と席を外されてしまう。

 ああ、もう完全に脈はないな……とさすがの私もさとらざるを得なかった。



「やっぱり、へいぼんな女の子が学園の王子様にできあいされるとか、そんな都合のいいことはそうそう起こらないんだね」

「やっと気付いたようで何よりだ」

 しみじみとらした私に、慧君は非情にもあっさりとうなずいた。

 今は昼休みの日直の仕事で、ゴミ捨てに行くちゆうだった。相原と一ノ瀬だから、出席番号順で二人ずつ回ってくる日直は、いつも慧君とペアなのだ。

「ただ、柏木君がこの二、三日、元気がないように見えるのが気になるんだよね……」

「そうなのか?」

「うん。これはとなりの席だから気付いたんだと思うんだけど……人と話してる時は相変わらずにこにこしてるし、いつも通りに見えるけど、授業中ボーッとしてたり、小さなため息を漏らしてたりすることがしょっちゅうなんだよ」

 親衛隊しゆうげき事件がちょうど一週間前だから、私が強く言いすぎたのがを引いてる、ということはまずないと思うんだけど。



「何かなやみがあるのかな~」

「まあ、悩みのない人間の方がめずらしいだろ。相原みたいなやつはレアケースだ」

「失礼な! 私だって悩みはあるよ。どうしたらヒロインになれるのかな、とか、明日あしたは学食の日だけどわり定食とカレーとどっちにしようかな、とか」

「そういうのは悩みとは言わない。つーかカレー好きだな!」

 あきれ顔の慧君にせつかくなので学食カレーのりよくと奥深さを語り聞かせようかと思ったけれど、角を曲がったところで目に入ってきた光景に、全身の動作を止めた。

 ほぼ同時に慧君も、ハッと息をのむ。



 ちゆうしやじようわきにある、ゴミ捨て場。

 そこに設置されたコンテナを、一人の男子生徒がガンガンと激しくりつけていたのだ。

 太陽の光を浴びてかがやく、やわらかそうなかみ。すらりと均整の取れた細身の体。

 後ろ姿しか見えなくても、だれかはわかった。

 柏木君……?

 まるで持って行き場のない、やるせない感情をぶつけるように、ひたすらコンテナを蹴りつけていた柏木君は、はあはあと大きく全身で息をしながら、肩に下げていたテニスラケットを手に取ってしばらく見つめた後──そのラケットを、ケースごとあらあらしくコンテナの中へと投げ捨てた。

 そして、両のこぶしにぎめてしばらく立ちくしてから、こちらをり返り、私たちに気付いてギクッとしたように顔をこわばらせた。

「柏木、それ……テニス部で使ってるラケットだろう? 捨てるのか?」

 慧君が問いかけると、柏木君は……まるで何事もなかったかのように、いつもの品のいい微笑ほほえみをかべて「うん」と頷いた。

「もう、テニスはめるから」

「どういうこと? 毎朝ずっとランニングをするくらいがんってたんでしょ?」

 さっきまでの光景がまぼろしだったのかと思えるほどおだやかな口調に、軽い混乱を覚えながら私もたずねる。

「もしかして、とかしちゃった?」

「そういうわけじゃないけど……別に、君たちには関係ないことだろ? 僕自身がもう、なつとくしての決断だから」

「うそだよ。そんな風には全然、見えなかった」

 感情の読めない笑顔でたんたんと言う柏木君に、おせっかいだと思っても、食ってかってしまった。

 だって、こんな風に笑ってても……本当は苦しいんじゃないの?

 さっきのガンガンという音が、まだまくにこびりついている。私には、あれは柏木君の悲鳴のように思えて仕方なかった。

 本当は、ものすごくつらい思いをかかえて、ため込んでるんじゃないの?

「……うそなんかじゃないよ。もう、テニスなんて、どうでもいいんだ」

 まるで能面のような笑顔でそう言われたしゆんかん

 ぷちん、と何かがはじけた。

「この……ばかちんがーー!」



 ガーン! とものすごい音が、その場にひびわたった。



慧SIDE



「この……ばかちんがーー!」

 とつぜんそんなさけびとともに相原が拳を振り上げ、直後、金属製のコンテナが、ガーン! とものすごい音を響かせる。

 相原のげんこつは、目を大きく見開いた柏木の顔のすぐ真横にたたきつけられていた。



「あ、相原……さん?」

「ちょっと来て!」

 コンテナに捨てられていたラケットを回収すると、反対の手でぼうぜんとしている柏木のうでをつかみ、問答無用でずんずんと引っ張って行く相原。

 俺もとりあえず、二人の後を追っていく。



 たどり着いたのは、テニスコートだった。

 先にコートで遊んでいた生徒から「ごめん、ちょっと貸して!」とラケットをうばい、相原は燃えるひとみで柏木をビシッと指差して宣告した。

「どうしてもテニスを辞めるというなら、私に勝ってからにしなさい!」

 スポーツまんのライバルキャラかよ!? と内心で叫んだが、相原はしんけんそのものだ。

 そのはくりよくに押されたのか、柏木もまどったような表情のまま「わかったよ」としようだくして、相原とコートで向かい合った。

「サーブ権はもらうね」

 ベースラインの外に立ち、ボールをポーンポーンとバウンドさせながらするどい瞳で敵コートをえる相原。

 柏木は一年生にしてレギュラーを勝ち取るほどの腕前の持ち主だ。女子が勝負できるはずがないのに──と思ったせつ

 ズギュン!!!

 すさまじい速度のボールが柏木側のコートにさった。

 なんだ、このちよう高速フラットサーブ……!?



「あ、相原さん……君は一体……?」

「テニスは昔、おばあちゃんの手ほどきを受けたことがあるの」

 フシュウウ……と深い息をらしていた相原が、かたい表情で言う。

 ──おばあちゃん何者だよ!

 相原にもこんな一面があったなんて……確かにいかにも脳筋っぽいが。



「次!」

 ドギュン!!! と再びいなずまのようないちげきち込まれたが、そこは柏木、テニス部の一年生エースの意地を見せ、見事に打ち返した。

 うまい、相原の真逆のコートすみ、これは追いつけない──と思いきや、ビュンッと加速した相原が、ドン! とたいほうのような音を響かせて球を打ち返す。

 一瞬、その球とともにせまりくるきようりゆうの大群の幻が見えた気がした。

 ギュウン……という形容しがたい音とともに、ボールがコートにバウンドし、柏木の真横をすりけていく。

「こんなものなの……?」

「!?」

「あなたのテニスへの情熱は、こんなものなの!? もっと……もっと本心をぶつけなよ! もっと熱くなれよおおおおーー!」

 しゆうぞうかよ!!

 と声を大にしてツッコみたかったが、これがなんと柏木の心には響いたらしい。

「……わかったよ。レディーファーストはここまでだ」

 形のいいくちびるはしを不敵につり上げてそう言うと、深くこしをかがめて、構えのポーズをとる柏木。



「おいで、じゃじゃ馬プリンセス」



 ……その台詞せりふセンスはどうなんだ、と思ったが、瞬間、キャ──と黄色い悲鳴がき起こる。なんだなんだと見回せば、いつのまにやらすごい数のギャラリーが集まっていた。

「「「柏木様、がんばってー!」」」

 先日相原を囲んでいた親衛隊もせいえんを送っている。

 そこからは手にあせにぎる、息もつかせぬ激しい試合展開となった。



「はあっ」

「クッ」

「やああ!」

「まだまだ!」



 あらい息をきながら、たきのように流れ落ちる汗をぬぐい、いつまで続くとも知れないこくなラリーを続ける二人。

 ……相原、おまえ少女漫画のヒロイン目指してたんだよな?

 完全にスポ根ものになってるぞ!?



「──やるわね、柏木君」

 ゼエゼエと呼吸を乱しながら、ニヤリと笑って見せる相原。

「君こそ……ここまで熱くなった試合ゲームは、久しぶりだ」

 はあはあとかたらしつつ、瞳をかがやかせる柏木。

「相原さん……僕、やっぱりテニスが好きだよ」

 柏木の言葉に、相原がハッと息をのんだ。

「──実は、先日の実力テストで成績が下がって、父にテニスをめるように言われたんだ。柏木家において父の言うことは絶対で、あきらめるしかないって自分に言い聞かせてたけど……もう一度、話し合ってみたいと思う」

「柏木君……!」

 喜びの表情に染まる相原へ、力強くうなずいてから、柏木はまっすぐにラケットを差しべた。

「ここからはただじゆんすいに、勝負を楽しもう。悪いけど、勝たせてもらうよ、プリンセス」

「うん、負けないよ! はちみつレモン王子!」

 パチパチパチというはくしゆと「いいぞ~」「がんばれー」「柏木様ー」などのかんせいがギャラリーから沸き起こる。じようきようは良くわからないだろうに、二人の熱気にあおられてすっかり周りも盛り上がっていた。基本、うま共はさわげればなんでもいいらしい。



 相原のサーブから、試合再開。

 ポーンポーン、とバウンドさせてから、高く空へと放たれたボールがドシュッと撃ち込まれる。これまでよりもおそめの球、と思いきや、コートにバウンドしたしゆんかん、ギュインとすごい方向に大きくはずんだ。

 ツ、ツイストサーブ……もう完全に少年漫画になってるぞ! テニスの王女様!?

 しかし柏木もさるもの、冷静にバックハンドで対応し、ネット前に落とした。うまい!

 これはさすがの相原も届かない!? いやちがう、あっという間にきよを縮めた相原、力強くラケットをいつせん──次の瞬間。

 その手からラケットがすっぽ抜け、ネットぎわめていた柏木の顔面に、勢いよくしようとつした。

「…………!」



 シン、とその場をおおった一瞬のせいじやくの後、「ギャーーーー」と相原のぜつきようひびき、ギャラリーもどよめきだす。



「かかか柏木君、ごめんごめん、本当にごめんなさい、だいじよう? 救急車!?」

「大丈夫か、柏木!?」

 青くなって謝りたおす相原とともに、その場にうずくまる柏木のそばへとけつけたところ。

「……いい……」

 柏木から、いき交じりのつぶやきが聞こえ、「え、なに?」と相原が耳を寄せる。刹那。



「いいよ! やっぱり君は僕が求めていたご主人様だ!!」

 ほおを真っ赤に染めた柏木がガバッと顔を起こし、相原の両肩をつかんで興奮したようにさけんだ。

 ………………は? なに? 『ご主人様』?



「曲がり角でひざりされた時からひそかに気になっていて、がおで殺人弁当を持ってこられた時もやばかった……あんな形でいたぶられるなんて思ってもみなかったからね。ファンのことでしかられた時はすごくゾクゾクしたよ! 女の子にあんな風にビシッとおこられたことは初めてだったから──」

 ポカーンとする俺たちの前で、とうすいしたようにうっとりしたひとみで、自分の体をりよううできしめながらぶるぶるっと身をふるわせる柏木。

「あれ以降、君の姿を見るだけで興奮しすぎちゃうから、あえて距離を置いてたんだ。僕のほんしようがバレるといけないと思って……でも、もうまんできない。体面なんてどうでもいいよ!」

「ほ、本性……?」

 ぼうぜんと聞き返した相原に、柏木はじやな笑みをかべて、宣言した。



「うん。実は僕、ドMなんだ」



「「「「────どええええええええええ!?」」」」

 とんでもないカミングアウトに、ギャラリーふくめその場にいた全員が絶叫した。



「……つまり、これまで相原がやってきためいわくこうしつせきも、全部おまえにとっては……」

「ごほうです☆」

 実にいい笑顔で断言する柏木。

 ラケットを捨てる前にコンテナをガンガンりつけてたのも、むしゃくしゃしてたんじゃなく、父親に捨てろと言われて苦しみつつもよろこびをおさえきれずたかぶっていた、とかか!?

「さあ、ご主人様……いや、女王様。僕は貴女あなたの下僕だ! このうすぎたなぶたろうを好きにあつかって! ズタボロにして!」

 つんいになり、期待に満ちたキラキラしたまなしで相原をあおぐ変態王子。

「ちょ、ちょっと待って、落ち着いて……っ慧君、助けてー!」

「俺を巻き込むな! イケメンをここまでほねきにしたんだ、ヒロインになれてよかったじゃないか」

「なんかちがーう!」

「あ、僕、一ノ瀬君のSっぽい感じもかなりツボで、密かにずっとあしにしてほしいって思ってたんだ。良かったらんで! 地面にめり込むくらい踏みにじって!」

「断る! 寄るな変態!」

「あっイイよ、そのぶつを見るような眼差し、しんらつな物言い……もっと、もっと僕をののしって……ハアハア」





 ちなみに、この一幕をもって『はちみつレモン王子親衛隊』はすみやかに解散し、相原がいやがらせを受ける心配はなくなった。

 しかしこれ以降、俺と相原は、王子と思いきや実は下僕だったドMに付きまとわれるようになったのだから、結果としてはプラマイゼロどころの話ではないのだった……。


<続きは本編でぜひお楽しみください。>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る