第10話 地蔵の夢

それから四年の歳月が経った。その間に篁は一時病が寛解かんかいし、左大弁に戻っている。病を癒している間は出仕せぬのに、帝直々の声掛かりで加冠を賜り近江守の役職まで授けられたのである。その帝に請われては出仕せざるを得なかった。しかし完治することはなく、再び篁は出仕を取りやめざるを得なくなった。

それでもなお、帝はたびたび遣いを篁の許に送り病状を尋ねさせている。それほど帝はこの男を精神的に頼りにしていた


その日。

十二月にしては暖かい日差しが注いでいた。篁は久しぶりに床を出て、簀子すのこに座り日を浴びていた。昨日から息子の良真よしざね葛弦くずおの一家が見舞いにやってきていて、その子たちが桟敷や庭で遊んでいる。もうそれぞれ性格が現れ、追っかけっこをしている元気な孫もいれば、庭で楽し気に花を摘んでいる女の子もいる。

花を摘んでいる子を見た時、篁はふと昔共に川辺で過ごした業子内親王のことを思い起こし、若き日の懐かしく甘美な思い出に思わずうっとりとした。だが・・・あのお方は、今頃何をされているだろう?子を儲けることもなく、今の自分のような孫や子供に囲まれた穏やかな余生を送ることも叶わなかったのであろう。世の人に冥官などと陰口を叩かれる無粋なだけの男とただ一度の契りを交わしただけで女の一生を過ごした美しい人を哀れに思ったその時、不意に篁は周囲に光が満ちるのを見た。

「なろうことなら人を裁く冥官より、人を救う地蔵になりたいものだ」

最期にそう思ったまま、篁の息は絶えている。


「これで宜しいでしょうか、篁さま?」

一人の尼が苔むした二体の小さな地蔵の横に並んでいる新しい地蔵の埃を払うように体を撫で、辺りを見回し誰もいないのを見るとそっとそれを抱きしめた。冬の風に晒された地蔵は冷えきっていたが尼は構わず赤子を守るかのように抱き締め続けていた。

その尼は業子内親王である。あの日、午睡していた内親王の夢に篁が現れ、ただ一言、冥官ではなく地蔵になりたかったものじゃとだけ呟くと、ふっと笑って去って行った。篁がその日逝った事を知り内親王は長岡の大慈山乙訓寺へと出かけ地蔵を寄進することを願い出た。冬二月、出来上がった地蔵を石師が納めたことを聞いて再び訪ったのである。

「今はの際に、わたしのことを漸く思い出していただけたのですね。おさびしいこと」

 切なげに呟いた女に、ごう、と吹き付けた風には、細かな雪が混じっていた。


「これで良かったでしょうかな、小野殿」

春澄善縄は漸く編み終えた続日本後記を上程した翌日、天に語りかけ、それから首を傾げると地に向かってもう一度同じ言葉を繰り返した。

「どちらにおられるのかな?まこと地獄の冥官となられたのなら再びまみえる日も近うござるが・・・。わしも歳でありますからの」

そう問いつつ、善縄は記を上程した後、良房と交わした会話を思い出し、微かな笑みを零した。

「太政大臣様、一つ教えて頂けませぬかな」

「ん?なんでしょうかな、ご老人」

良房は穏和に尋ね返した。

「この承和五年八月戊子の記述でございます。この日遣唐使からの表奏が届いておりますが、よくよく確かめるとこれはその年四月乙卯の勅に対する物としか思えませぬ。しかし幾ら何でも表奏が四か月も遅れるとは妙でございませぬか」

ぬ、と言って良房はその条に目を遣った。思い起こせばその表奏は良房が万が一と言って常嗣に書く事を強要し日を変え差し込むつもりで作らせた物であった。結局使いはしなかったが、はてあの時抜き取っただろうかと言うと心許ない。

「覚えておらぬ。その日付で記録があるなら正しいのであろう」

「宜しいでしょうか。後世、不審とされませぬでしょうか」

重ねて問うた善縄に、かまわぬ、と良房は不機嫌そうに答えた。既に上程したものを直すと言えば余計な詮索を受けかねない。

「今さら気づいて申し訳ございませぬ」

深々と頭を下げた善縄であったが隠している事はもう一つある。承和七年六月辛酉の条である。そこには「流人小野篁入京、披黄衣以拝謝」と記されている。黄衣こうえとは黄色の衣ではない。浅黄、或いは浅葱の字を宛てる薄緑の無位の者の衣である。一方で同じ黄の字を使っても黄丹袍おうにのほうといえば皇太子が儀式の際に着衣する物である。

 無位無官の小野篁が黄衣を着用するのは当然の事で、何も衣の色を記す必要はない。敢えて衣の色を記すとすれば篁を蔑むためであり良房もそう捉えたに違いなかった。だがこれは、・・・。

遊びよ。

善縄は微かに笑った。

知り合った直後、篁の諱を知った善縄は篁がやんごとなき御方のたねではないかと思い至った。一字諱いちじいみなは嵯峨帝が源氏を名乗らせた子に使って以来、他で使うものは絶えている。それを敢えて一字の諱にした父親の意図は篁が嵯峨帝の子であるとそれとなく伝えるためであったのではないだろうか。

そう思って注意深く見聞きすると嵯峨帝と篁の間には反発しあいながら通じ合うものがあるように見えた。

嵯峨帝と篁の間で語られる逸話は常に字の事である。御二人は漢字の遊びで通じ合っていたのかもしれぬ。竹の下に皇。皇の血を引くが、それを決して顕してはならぬ。帝も面白い事を考えたものだ。

だがしかとしてないことを史記にあからさまに書くわけにもいかぬ。黄と記しておけば、いずれ気付く者があるやもしれん。

わしも字で遊ばせて頂きましたぞ・・・。

それにしても・・・。あの讃岐殿もわしも、と善縄は天を仰いだ。小野殿に関わりあった者は罪を得てなお、旧の位以上に昇りつめることが出来たのだ。讃岐殿は佐渡から戻った後、最後には内位を得られた。わしは変に巻き込まれたが、朝臣の賜姓を得て参議まで昇りつめた。ご自分を含め、皆、地獄から生き返ったようなものではないか・・・。あのお方は、良房様と争い失脚したまま亡くなられた伴大納言様とはやはりどこか違われた。

 地獄の冥官として人を生き返らせることもあったというは・・・。その通りかもしれませぬな、小野殿。

 心の裡で呟くと善縄は右手を床につき、歳に似合わぬ敏捷さを見せてふわりと立ち上がった。


<参考文献>

「日本後紀」「続日本後紀」 森田 悌訳          講談社

「和漢朗詠集」       三木雅博訳注         角川学芸出版

「入唐求法巡礼行記」    足立喜六訳注 塩入良道補注  平凡社

「江談抄」         山根對助 後藤昭雄校注    岩波書店

「篁物語」         遠藤嘉基校注         岩波書店

「最後の遣唐使」      佐伯有清           講談社

「平城天皇」        春名宏昭           吉川弘文館

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竹の下の皇(すめらぎ) 小野篁 西尾 諒 @RNishio

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