第11話 アルプトラゥム_2
「身体の一部?」
「はい、その背にある羽がそうです」
小首を
娘は背中に手を伸ばしそれに触ろうとするが空を掴むばかり、どうやら触れることは出来ないらしい。
「お姉さん、触れないよ?」
「その時が来れば自然と扱えます、天使の武器はそういうものですから」
やや不満気な表情を見せつつも背に手を伸ばす事を止め、今度は頭上にある
だが触れることは叶わず、先程と同じように影を掴むだけになってしまっている。どうやら
「どっちも触れないんだね……ちょっぴり残念」
不貞腐れる、とまではいかないものの先程よりは強い不満の色を見せる娘。
「その方が良いと思いますよ。触れられ無いということは、寝たり座ったりしても問題無いという証明になりますから」
しかし娘としては不満らしい、余程触りたかったのか未だに頬を膨らませている。そんな娘の傍らにしゃがみ、抱き寄せてから優しく頭を撫でてやった。
「リブラさんの言う通りよゆかり、触れないからこうして頭を撫でる事も出来るんだから。それに、お母さんの
「うん……それなら触れなくてもいいや」
自身の服を触りつつ答える娘の顔からは、不満の色が大分薄れている。
「紫蘭様、一つお尋ねしたいことが」
娘を撫でていると唐突に話を振られた。
「なんでしょう?」
「天使長を見たことはありますか」
魔物に襲われた際などに天使様は見かけるが、その上司である天使長様が現れることは滅多にない。噂話程度でしかないけれど、聖堂街の王ですらその御姿を目にしたことがないと聞いている。
「残念ながら、ないですね」
「そうですか」
声のトーンからするに、彼女は若干落ち込んでいるような気がする。
「もしかして天使長様になにか?」
「……いえ、特にこれと言ったものはありませんよ。それと、今の質問は忘れて頂けると助かります」
そう答える彼女の顔はほんの少しだけ曇っているようだ。それは旧友を想い、憂う人の顔に近いものを感じる。けどそれについて聞くには、まだ私達の関係は希薄過ぎる気がしてならなかった。
娘も娘なりにナニかを感じ取っていたのだろうか、私の服の裾を強く握ったまま動こうとはしない。それから暫くの間、誰も言葉を発することはなかった。
静寂に包まれてからどれ程経っただろうか、娘がうつらうつらと船を漕ぎ始めた辺りで彼女は懐から懐中時計を取り出した。時刻を確認した後、丁寧に蓋を閉じてから彼女は此方へと向き直る。
「そろそろ夜明けを迎えます、出立には丁度良い頃合いかと思いますが如何なされますか? この時間帯であれば、魔物と遭遇する事無く村へ戻れる可能性もありましょう」
半分眠りこけている娘を優しく起こし、彼女の方へと向かせる。
「そうですね。リブラさん、この度は本当にありがとうございました……ほらゆかり、ご挨拶」
「お姉さん、ありがとう……ございまし、た」
眠気に抗いつつお礼を述べる娘を見た彼女は片手で口元を隠し、小さな忍び笑いを漏らしている。
「すみません、微笑ましく思えてしまったものでつい」
「ごめんなさいリブラさん」
「お気になさらず。それでは出口へとご案内致しますのでついてきて下さい」
そうして私達は彼女の案内を受け、この図書館を後にした。未だ眠気が残っているのか、娘は瞼を擦りつつ覚束ない足取りで歩いている。完全に陽が登っていないこの薄暗がりの中では、いつ足をとられて転んでもおかしくない。
本人は頑張って歩く、とは言っていたものの
──こうして娘を背負い歩むのは何時ぶりだろうか、もしかすると定住先を探して各地をさ迷っていた時以来かも知れない。
魔物に襲われた二年前、四歳だった娘と共に身一つで旅をせざるえなくなったあの日から随分と遠くまで来てしまったのだ。
私達は皆を彼処に置き去りにして、こんな遠いところまで辿り着いてしまった。
遠く離れてしまった故郷の事は、どうしてだか断片的にしか思い出せない。月明かりに照らされた海で何かを狩った記憶や、家に籠りっきりの窶れた妙齢の女性、そういった記憶はあるのだがどこか現実味が薄い。それらは確かに体験している筈、なのにそう感じているのは肝心な部分が抜け落ちているからだろうか?
欠けた記憶を取り戻すにはどうしたら良いか、村長姉妹の知恵を借りようとした事もあるが結果は芳しくなかった。姉のセレネからはトラウマを掘り返す可能性もあるから、無理に思い出す必要はないとも言われたがそれが難しい。記憶に穴があると自覚した日から、それは拭えない不安としてずっと頭の片隅に居座っている。
ふと見上げた空は白み始め、欠けた月が朧気にその姿を残していた。旅をせざるえなくなったあの日も有明の月が見えていたような──
「──紫蘭、紫蘭なのか……?!」
思い返していると突然後ろから声をかけられた。振り返ってみるとそこにいたのは村長姉妹の妹であるメネ、その顔には酷い疲労の色が見えた。
「背中にいるのはゆかりちゃんか?」
片腕を伸ばしつつふらふらと歩み寄って来て、彼女は私の肩を掴むとそのまま強く抱き締められた。
「お前……この、馬鹿野郎! 生きてたんなら、さっさと顔を見せろってんだ、私も姉さんも……滅茶苦茶心配したんだぞ……馬鹿! 」
途切れ途切れに紡がれる彼女の言葉は濡れ、私を抱き締める腕も微かに震えていた。
「……すみません」
安心させるように、謝罪と共に私も彼女を抱き返す。彼女は小声で「この馬鹿野郎」とか漏らしていたが、それもなんだか心地好かった。聞き慣れた声が、言葉が、相手の温もりが失われずに済んだのだと感じられたから。
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