第117話 好きになるから、嫌い

「覚悟なんてとっくに決まった目をして。私が何を言っても曲がらない意志があって。きっと私の話を聞いても、受け入れちゃんだ……そう思わされる」


 シアが絞り出す声は、震えていたが敵意はなかった。

 むしろ、泣き出しそうなそんな様子だった。


「それで、嫌い?」

「ええ、好きになるから、嫌い」


 自らの鼓動を確かめるように手を、自身の胸元へと持ってくる。


「ドキドキして……考えてることが、吹き飛ぶから……」


 頬を染めたシアが抗うように頭を左右に振る。

 だが、それは力のない動きだった。


「考えてることって?」

「そんなの、ヒツジくんに全部話しちゃいそうなことに決まってるでしょ」

「話していいって言ってるつもりだけど」

「わかってるわ」


 ギュッと胸元の手を強く握りしめる。


「わかってるわ……」


 もう一度、言い聞かせるようにシアが呟く。


「……ね。ヒツジくん」

「うん」

「……キス、して欲しい」


 何度か挑戦していたのだろうか。ようやくシアがぎこちない笑みを見せる。


「そしたら話せる気がする」

「シア……」


 ――キス。


 シアにされたことがあるけど、俺からはしてないこと。


「そのくらいできるよね。覚悟、してるんだもん。キスの一つぐらい……そうじゃないと話してあげない」


 ツンとした言い方をしているが、声は震えている。


「だから、キスして。でないと――」


 シアがうつむき、大きく息を吐く。


「私……話せないよ」


 ぶるぶるとふらついたような声だった。


「……だな」


 うつむいたシアの両頬を両手で包み込む。

 動きに合わせてシアが顔を上げる。


「わかった」


 ゆっくりと顔を近づける。

 キスをする――そう決意しても、にわかに心臓が早鐘のように鳴り始める。

 血液が、一気に沸騰したように熱くなり、鼓動に合わせて執拗しつように身体中を駆け巡る。


「…………」


 シアは無言のまま、そっと目を閉じる。

 そして、唇を少しだけ突き出してくる。

 どう見ても、キスを待っている顔。

 それしか選択肢にない顔。

 目が閉じられた分、唇に集中してしまう。

 ぷるっとした瑞々しいそこは、桜のつぼみのように濃い紅。

 呼吸に合わせて、わずかに揺れている。

 カラカラに渇いた喉を動かし、唇を近づける。


 ――これ、どのタイミングで目を目を閉じるんだろう?


 そんな疑問もあったが、ギリギリまで唇を見つめ続ける。


「……する」


 自分に言い聞かすように言ってから、シアの唇に唇で触れる。


「……んっ」


 目を閉じ、触れた瞬間シアがビクリと動いたが、もう後には引けない。

 唇を重ね続ける。


 柔らかで、少し甘い味がするのは先ほど飲んでいた紅茶の影響なんだろうか。


「……ちゅっ」


 ふれあった場所が、独特の吸い付いた音を鳴らす。

 キスをしているということを、より実感させる。


「……はぁ」


 シアの吐息が唇の隙間から漏れ、俺の舌を撫でる。

 未知の味覚。今まで以上の深いつながりにクラクラした。


「……んんっ」


 どちらともなく、唇を離す。

 ゆっくりと目を開くと、視界いっぱいにシアの顔。

 火照った赤い頬と呆けたような顔は、どこかあどけなく見えた。


「……キス、したぞ」

「うん」


 はっきりとシアが頷く。

 キスの感触を確かめるように、舌なめずり。癖なのだろうか。

 ひどくイケナイものを見ているような気になる。


「これで本当に、逃げられなくなったよ」

「……ああ、覚悟が決まったってことだ」


 照れくさいし、心臓も鳴りっぱなしだけど頭の中は澄んでいた。

 はらが決まるというのはこういうことなのかもしれない。


「ふふっ、悪い女ね。私……うぅん、そんなの今さらすぎるよね」


 同じく決心したのか、ポツポツとシアが言葉を紡ぐ。


「私、悪い子……悪い女なの。ヒツジくんに会う前からずっとずっと……」


 シアがどこか遠くを見るような目をになる。


「私はね。幸せだったの。幸せだとずっと思ってたの。それが、嘘の上で成り立ってることも知らずに、悠々とね」

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