第7章 『恋人』とデート当日

第44話 ドア1枚、向こうでは

「――それでは、覗いてはいけませんよ」

「覗かないって」


 やけに仰々しくシアが言うので、思わず笑いが漏れる。


「本当に……覗いてはいけませんよ?」

「ツルの恩返し?」

「ツルだったら見られたらこの家を去らないといけないから、イヤかなぁ」


 シアが苦笑する。

 俺たちの住む部屋は、六畳間のスペースと廊下との間にドアがある。

 ドアを閉じれば、風呂に入るときや着替えときの簡易更衣室に早変わり。

 その廊下側でシアは、今から着替えようとしてる。


 本日は日曜日。

 約束していたデート当日。


『せっかくのデートなんだから、待ち合わせしましょ!』


 ――というシアの希望で、時間をずらして出ることになった。

 ジャンケンでシアが勝ったので、先に出る準備をしている。


「着替え終わったら、絶対見ちゃダメよ。待ち合わせの時に、私のオシャレ見てほしいから。それじゃ――」


 戸を閉める――かと思いきや、直前で隙間からこちら覗き見る。


「……着替える前なら見てもいいのよ?」

「ツルさん、ちょっと警戒心なさすぎない?」

「ふふ、そうね。これじゃおじいさんの家じゃなくて、オオカミの家に恩返しに行きたいツルになっちゃうね」


 口元に手を当てて、笑いをこらえながらシアがドアを閉める。


 ――しゅるしゅる。


 そして聞こえる衣擦れの音。


「…………」


 慣れたはずなのに、ドア一つ挟んでシアが着替えてる……その状況が、どうにも落ち着かない。デートだから、余計にそう感じるんだろうか。


「10時に駅前で良かったよね」

「えっ!?」

「あれ、違った?」

「あ、いや……あってる」


 着替えてるシアが急に声をかけてくるから、声がやや裏返る。

 下手をすれば、シアは今、裸で話しかけてる可能性もあるわけで――


 ――って、何を考えてるんだ、俺はっ!!


 必死に頭の中に浮かんだ妄想をかき消す。だが、そうしようとすればするほど、今までに、シアがふれてきた感触や匂いを思い出してしまう。

 線は細い印象なのに、しっかり柔らかくて安心するいい匂いがして……。


「ううう……」

「あら……? ヒツジくん、唸ってるけどお腹痛い? オオカミのマネ? トイレ入っていいよ?」


 トイレがあるのはシアの着替えている廊下側。

 そんなことしたら、『見えて』しまうかもしれない。

 そしてシアは、それも許してくれそうなところがある。


「大丈夫! 気にするな! だいたいジャンケン負けたんだから、俺が先に出ても良かったんだぞ!」


 努めて気にしてない風を装うために声を上げる。


「ダメ。先に行って待ってるほうが楽しそうだもん」

「そうか……? 待ち合わせに俺が遅刻するかもしれないのに?」

「ヒツジくんは遅刻しないと思うし、待ちながらデートのこと考えるって楽しそうでしょ。それに『いま来たところ!』って言えるし」


 時間をずらして家を出るから、いま来たところじゃないのは百も承知。

 でも、そういうデートっぽさを楽しみたいんだろうか。


「――あ、ごめん。私の鞄のところにあるカーディガン、取ってもらえる?」

「鞄……?」


 見てみれば、鞄の横にたたまれた白……いや、ベージュのカーディガン。


「この白っぽいベージュのやつ?」

「やっぱりそっち? 忘れちゃってた。それちょうだい」


 戸が開くと、シアの腕が伸ばされる。

 一糸まとわない、眩しい肌があらわになる。


「わわわ……」


 慌てて目をそらしながら、服を差し出す。


「ありがとー……んん、適当に差し出されたら、受け取れないよ?」

「着替えてる途中なんだろ! 見えたらどうするんだ!」

「……ヒツジくんが喜ぶ?」

「恥じらい!」

「あっ、そっか……きゃっ、ダメよ見ちゃ……めっ!」


 そんな取ってつけたように叱られても……。


「でもそうね……私の裸を見てドキドキしすぎたら、悟っちゃうもんね。賢者になったらヒツジくんとのデート、私ばかり盛り上がって寂しいかも。うん、ヒツジくんが見なくてよかった♪」

「……もう、それでいい」


 いろいろ間違っているが、つっこむ気にもならなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る