第19話 夜、彼女はいつでも楽しんでる

 夕飯の後、昨日と同じく先にシアがお風呂に入っている。

 昨日は、彼女が泊まると決まった動揺であまり考えてなかったけど。


 今……シアが風呂に入ってるんだよな……。


 シャワーの音が、しっかり聞こえている。

 その音は一定ではなく、何か濡らしたり、洗ったりしている音。

 『恋人』が、いっさいの衣服を着けずに入っている。


 いや、何を考えてるんだ、俺は!!


 昼にシアの性知識が、かなり低いものだとわかった。

 今までの接近や誘惑は、俺が考えていたほどではなかったということだ。

 だが、それは逆に、彼女がなにもわかってないということ。

 そして『誘惑』という手段だけは、しっかり持っているということだ。

 下手な誘惑をされ、耐えられなかった場合、どうなってしまうのか――


「いや、悩んだところでどうにもならないんだけど」


 シアが泣くようなことはしたくないし、こっちは色々頑張るしかない。

 そう考えていると、シアが風呂から上がってくる。


「はぁ……気持ちよかったー♪」


 昨日とは、色が変わったキャミソールだが、それ以外はほとんど同じ。

 やっぱりラフな格好だ。


「サイダーもらうねー」

「ああ」


 冷蔵庫からサイダーを持ってきたシアが、定位置のベッドの上に向かう。

 俺の前を通り過ぎると、ふんわり、石けんのいい香りがした。

 なんとなく、背中がもぞついてしまう。


「俺も風呂、入ってくるよ」

「あ、いってらっしゃーい」


 気持ちを落ち着けるように俺も風呂場へ。

 湯船を入れているわけではないので、今日もシャワーだ。


「…………」


 風呂場に入れば、もちろんしっとりと濡れている。

 先ほどまで、シアが体を洗っていた空間……。


「――って、変態か、俺は」


 変な思考におちいりそうになったので、何も考えないようにしてシャワーを浴びた。


   ◇


「ふー……」

「ヒツジくん、こっちこっちー♪」


 風呂からあがると、ベランダにいるシアが手を振っている。


「どうかした?」

「夜桜見物! 満開だから今のうちに見ておかないと♪」


 シアがサイダーを掲げて、ウインクしてみせる。


「ほら、ヒツジくんも来て来て♪」

「わかったよ」


 待ちきれないと行った様子でシアが俺を呼ぶ。

 子どもっぽい様子に苦笑して、俺もコーラを持ってベランダへ出る。


「はー……見下ろす桜、綺麗ねぇ……」


 目を輝かせて桜を見つめるシアは、身を乗り出しぎみ。


「あんまり体出すと危ないぞ」

「あ、そうよね。ついつい興奮しちゃった……さて」

「はい、乾杯」

「そういうこと♪」


 さすがに何度もされると、わかってくるもの。

 こちらもコーラを差し出して乾杯。


「はぁ……もうちょっと、桜は楽しめそうね」

「だな。これから一気に散っていくんだろうけど」

「うん、でも、満開もいいけど散っていくこの時期もすごく綺麗よね……んくっ」


 サイダーをひと口飲んで、シアが手すりに頬杖をつく。

 公園はほどほどの広さがあるから、眼下には遠くまで桜が見える。

 散り始めの桜は、少し風が吹くだけでもハラハラ舞い落ち、広がっている。

 花霞――その呼び名のとおりに思える。


 こうして桜を見るは二度目。

 隣のシアは口元を緩ませて、観桜を楽しんでいる。

 鼻歌でも歌い出しそうな、そんな雰囲気がある。


 シアには、色々な事情があってここにいるのだろう。

 でも、いつでも楽しそうな様子を見せる。

 そのことも、こうして共同生活ができる理由なのかもしれない。


「ん? どうしたの?」

「シアが楽しそうだから、良かったなぁって思って」

「ふふ、なにそれ。もちろん、楽しいに決まってるわ。

 想像してなかった新生活だもん。ヒツジくんは違うの?」

「楽しいっていうより、驚いたり戸惑ったりすることの方が多いかな」

「あら、私のせいかしら」

「それ以外に理由があるか?」

「もうっ、はっきり言っちゃって!」


 口をとがらせても、次の瞬間には笑顔になってクスクス笑っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る