第83話 他国の皇子と母の味

「へえ、他の国の皇子様がこの国に来るんですか」

「外遊ってやつだね。北の大国アースガルド帝国の皇太子で、僕も知らぬ仲ではない。そうは会えないけど、機会があれば必ず会うし、定期的に文を交わしているからね」

「お友達なんですね」

「私人としてはそうかな。公人としては、これは王になる者の宿命でね。向こうも同じだけど。ただ……」

「ただ?」

「遠方の国だから、我が国とは同盟関係にあってね。外交環境に劇的な変化でもない限り、公私ともに仲良くできるはずだ」




 なぜかお店の開店前に殿下がデミアンさんと一緒にやって来て、今度他国の皇子様がこの国を訪れるのだと教えてくれた。

 わざわざそんなことを私に話すってことは……想像するのはたやすいわね。

「彼はすでに数ヵ国を回っていて、当然各国では豪華な歓待を受けているはず。アースガルド帝国は大国だから、どこの国も気を遣うけど……」

 いくらご馳走でも、毎度毎度では飽きてしまう。 

 そこで殿下は、他国の皇子様をこのお店に招待したいようね。

 当然お忍びで。

「うちのお店は、ルールさえ守ればすべてのお客さんを受け入れますけど、その人大丈夫ですか?」

 身分の高い人が、ニホンのようなお店にお忍びで通う。

 創作物だとよくある話だけど、現実では結構難しい。

 普段の生活レベルとは違う場所に入るので、どうしても目立つし、トラブルになりやすいからだ。

 勿論、上手くやれる殿下のような人もいるけど、全員ではない。

 偉い人たち全員が、器用というわけではないから。

 殿下にしたって、最初は頓珍漢なことを言って、他のお客さんたちに笑われていたしね。

 そのくらいならさほど問題にはならないけど、一番困るのがお忍びであることに対応できない人だ。

 身分を隠して庶民的な雰囲気を味わいに来たはずなのに、そこで自分が特別扱いされないことに怒ってしまう。

 身分に相応しい扱いをしてほしければそういうお店に行けばいいのに、うちのようなお店にそれを求めるのが間違っていると思う。

 それに気がつけないから、結局お忍びもできないのだけど。

「大丈夫ですか? その方」

 私が殿下に聞きたかったのは、その皇子様がそんな人でないかだ。

 もし彼がそんな人だった場合、殿下の要望に応えられない可能性もあるのだから。

 殿下の友達だから、そういう人ではないと思うけど。

「そんなに心配することはないと思うよ。なにかあったら、僕が注意するから」

 そういう対応がちゃんとできない皇子様なら、元から殿下も友達づき合いをしていないってことなのかな?

「なにより、僕にこうやってお忍びであちこち遊びに出かける方法を教えてくれた師匠だからね。ルドルフも、各国の豪華な歓迎ばかりでそろそろストレス溜めているだろうからさ。デミアンもそう思うだろう?」

「はあ……ルドルフ様は、堅苦しいことが苦手な性分ですので……」

「僕と似たところがあるんだ」

 それで殿下に、お忍びであちこち遊びに出かける方法を教え、デミアンさんの仕事が増えたわけね。

 デミアンさんも大変だとは思うけど、この人もなんだかんだ言ってお忍び先で自分なりに楽しんでいるから、別にいいんじゃないかなと思う。

「とにかくよろしくね」

 と、殿下から話を聞いた数日後、王都ではパレードが行われていた。

 アースガルド帝国のルドルフ皇子が来訪したので、歓迎の意味も込めてのパレードということらしい。

 私たちもちょっとお店で使うものの買い物がてらパレードを見学したけど、そこには金ピカでゴージャスなイケメンが民衆に手を振っていた。

 殿下よりも少し年上かな?

 殿下も同じ馬車に乗って手を振っており、後ろの座席にはデミアンさんが鋭い目つきで二人を護衛していた。

 あの二人、本当に王太子殿下と警護隊長だったのね。

 当たり前だけど、お店での二人を見ているといまいち実感が湧かなかったのは事実なのよ。

「よう、女将」

「お爺さんもパレード見学ですか?」

「たまたま散歩に出ただけだ。しかし、アースガルド帝国のルドルフ王子は派手じゃな」

 着ているものや、アクセサリー、装備品まですべて金ピカだものね。

 見ているこちらが眩しくて堪らないほどだ。

「金ピカが趣味なんですか?」

「まさかな。国内にいる時は知らぬが、アースガルド帝国の皇族が外遊する時は、みんなああいう風に金ピカなのだ。かの国は、この世界で使われている金の八割以上を産出しているのでな」

 アースガルド帝国が大国なのは、大量に金を算出するからなのね。

「国土も人口も多いし、普通に国力もある大国だがな。ゆえに、どの国もアースガルド帝国との関係には気を使っている。卑屈に見えないようにしつつな」

 他国の皇族にペコペコする自国の支配者なんて、貴族や国民が不安に感じてしまうからね。

 友好関係と歓迎の意を示すのが一番お利口な方法なのかな。

 この国は、アースガルド帝国と国境を接していないだけ対応が楽なのかもしれない。

「金がないと金貨が作れないのでな。アースガルド帝国は銀も大量に算出するから、どの国も気を使うのさ」

 この世界は金本位制というか、貨幣は金貨、銀貨、銅貨なので、金、銀、銅がないと貨幣が増やせない。

 需要があるのに貨幣が不足すればデフレになってしまうので、国力が増している国ほどアースガルド帝国は敵に回せないわけね。

「他の金属で貨幣を作るとか?」

「鉄や焼き物で試したことも過去にはあったようだが、鉄は他に需要が多すぎて駄目だった。焼き物は割れるのでな。やはり不向きというわけだ」

 日本も戦時中、金属不足で瀬戸物の貨幣とか作ったらしいけど、上手くはいかなかったと、亡くなったお祖父ちゃんから聞いたことがあった。

 金貨、銀貨、銅貨なのは、長年の試行錯誤の結果というわけね。

「それで、金満ぶりを示すためにあの格好ですか?」

「皇族ゆえに笑顔で手を振っておるが、本人は案外辟易しているかもな」

 大国の次期皇帝だからこそ、外遊の時にはあんな格好をしなければならず。

 でも本人は、眩しくて嫌かもしれないわね。

 私なら、絶対に嫌だわ。

「お爺さん、実はあの人今夜うちのお店に来るんですけど、あの格好のままですかね?」

「ルドルフ皇子がか? 彼はリカルド殿下の友人だったな……目立つから、それはないのではないか?」

 さすがにあの格好でお店に来られたら、私としても困ってしまう。

 お忍びに相応しい格好で来てほいしものだ。




「黒いですね」

「この店の女将か? あれが儀礼服みたいなものでな。代々の皇帝か皇太子が外遊する際には、なぜかあの格好するという決まりなのだ。いい加減恥ずかしいからやめさせようとした皇帝もいたそうだが、必ず『昔からの決まりですから!』と家臣たちに拒否されてしまう。自分が着るわけではないからといって迷惑な話だ」

 殿下とデミアンさんと一緒に来たルドルフ皇子は、黒ずくめの格好をしていた。

 彼から話を聞くと、普段は黒の服を着るのが好きなのだそうだ。

 ゴージャス系のイケメンが落ち着いた黒い服を着ると、イケメン度が上がってさらにいい男に見える例を実際に目撃するとは……。

「たまにはこういう料理もいい。国内でお忍びで出かける時には、アースガルド帝国の郷土料理である肉の串焼きをよく食べるのでな。我が国のは、もっと串が長くて、大きな肉を刺して焼くのだが」

 アースガルド帝国では、トナカイに似た魔獣がとてもよく獲れるそうで、それを材料にした串焼きが庶民の味だと教えてくれた。

「これはひと串ひと串が小さいが、種類が豊富で、野菜やモツの串もエールが進んで美味い。なにより、このタレがいいな。ショウユダレ、ミソダレ、カレー、塩も素材がいいので素晴らしい。我が国の串焼きは少しものによっては肉が臭いのでな。筋張っていることも多い」

 やはり、魔獣の下処理と肉の加工で差が出てしまうようね。

 私が串焼きや他の料理に使っている魔獣の肉について説明すると、ルドルフ皇子は自分の国に戻ったら同じ方法でやらせてみようと言っていた。

「なにかご注文されますか?」

「そうだな。ボルシチが食べたい」

「ボルシチですか?」

 北の大国だから、ボルシチが名物料理なのかしら?

 料理名まで同じって、凄い偶然だと思う。

「知っているのか?」

「名前と作り方くらいは」

「それは素晴らしい! 是非作ってくれ! 各国歴訪の旅なので、どうしても故郷の味が懐かしくなってしまうのだ」

 私も時おり、日本の味が恋しくなることがある。

 その気持ちはとても理解できた。

 私の場合、自分でなんとか作ろうとするけどね。

「ですが、ビーツがないんですよ」

 ビーツとは、赤いカブみたいな野菜で、ホウレンソウの仲間らしい。

 真っ赤なボルシチの色の元となる大切な野菜であった。

 残念ながら、この国では栽培されていなかった。

「お爺さん、ビーツの在庫はありますか?」

「難しいのぉ……滅多に輸入しないのでな」

 この国ではビーツを食べる人がいないそうで、スターブラッド商会でも滅多に輸入しないそうだ。

スターブラッド商会で手に入らないのであれば、他の商会に頼んでも難しいだろう。

「ビーツを使わない方法もありますけど、本場の人はどう思うかしら?」

「ビーツなしでもいいので頼むよ」

「わかりました」

 私は調理場でボルシチの調理を始めた。

「女将さん、アースガルド帝国の郷土料理なんて知っていたんですね。さすがだ」

 ボンタ君が勝手に感心しているけど、私にとってのボルシチとは、ロシア……ウクライナ料理だったかしら?

 前から知っていたのと、アースガルド帝国の郷土料理がたまたまボルシチだっただけなのよね。

「シチューと作り方が似ていますね」

「そうね」

 ぶっちゃけボルシチって、ビーツの色で赤くなったビーフシチューみたいな料理だからなぁ……。

 どうせアースガルド帝国の食材なんて手に入らないので、我流でアレンジして作っても構わないでしょう。

 ルドルフ皇子も、本格的なボルシチには期待なんてしていないはず。

 それっぽい料理が出れば、長期間郷土の味を食べていなかったので、それなりに満足するはずよ。

「トマトを使うんですね」

「ビーツの赤をトマトで補うのよ」

 それと、アースガルド帝国のボルシチのお肉はトナカイに似た魔獣の肉を用いるのが伝統みたい。

 当然この国にはないので、前に獲って『食糧倉庫』に保存しておいた鹿の肉を使ってみた。

 共に赤身が美味しいヘルシーなお肉で性質が似ていたからだ。

「魔法で調理を早めましょう」

 こういう時、魔法は便利ね。

 ちゃんと作ると時間がかかる料理の時間短縮ができるのだから。

 カレーを電子レンジで作って時間短縮、みたいな効果があるのだ。

 長時間煮込まなくても、お肉が柔らかくなったり、味に深みが出るのが便利ね。

 火魔法の応用なんだけど、詳しい原理はよくわからない。

 まあ使えるからいいのよ。

「完成!」

「なるほど、これがボルシチですか……」

「なんちゃってだけどね」

 私は完成したボルシチを皿に盛って、ルドルフ皇子の前に置いた。

「素晴らしい! まさにボルシチだ!」

「なんちゃってですけどね。ビーツを使っていないので」

 ボルシチってビーツを使わないと、正確にはボルシチではないような気がする。

 私が勝手にそう思っているだけだけどね。

「いただきます!」

 ルドルフ皇子は、見た目は合格点を出したボルシチをスプーンで掬って口の中に入れた。

 しばらく味を確認していたようだけど、呑み込むと同時に目から涙が……涙?

 どうして?

 不味いってことはないわよね?

 ちゃんとボンタ君と味見もしたのだから。

「女将、辛すぎるのでは?」

「デミアンさん、色は赤いですけけど、別に辛くはないですよ」

 それを確認してもらおうと、私はデミアンさんの前にもボルシチをよそった皿を置いた。

 彼はすぐに試食をする。

「辛くはないな」

「不味いですか?」

「不味くはない。まあまあだな」

 デミアンさんが、『まあまあ』、『食べられる』と言えば大体美味しい扱いなので、調理に失敗はしていないようだ。

「デミアン、何気に新メニューを食べているんだね」

「若、これはどうしてルドルフ殿が涙したのか、確認するために必要なことだったのです」

「ルドルフ、なにがあったんだい?」

「ああ、すまない。つい涙が……このボルシチだが……」

「不味かったですか?」

 客観的には不味くなくても、ルドルフ皇子的には不味いって可能性もあるからなぁ……。

 好みに合わなかったとか?

「いや逆だ。これは、とても美味しく懐かしい味だ」

「懐かしいですか?」

 過去に、誰かが作ってくれた味に似ていたとか?

 乳母の人とか?

「いや、俺の亡くなった母は料理が趣味でな。身分が低い貴族の娘で、料理もできたのだ」

 皇太子殿下のお母さんが、自ら料理する下級貴族の娘だったのか。

 この世界的に言えば珍しいわね。

「当然、周囲からの反発も大きくてな。母は早くに病で亡くなってしまった。そんな母の息抜きが料理であり、私もよくご相伴していたわけだ」

 ある日、王城の中の人たちに意地悪をされ、ボルシチの材料であるビーツを全部隠されてしまったそうだ。

 皇帝の傍にいるにしては、非常にセコいイタズラをする連中ね。

「母は、ビーツなしでボルシチを作ってくれてな。これとまったく同じ味がする。これは美味い!」

 そこまで言い終わると、ルドルフ皇子はボルシチを食べるのに夢中になった。

「お代わり!」

「はい」

 結構串焼きや他の料理も食べていたのに、ルドルフ皇子はボルシチを三回もお替りした。

 よほど気に入ったのであろう。

 そしてすべてを食べ終わるのと同時に、私の両腕を握ってきた。

「えっ?」

 突然のことで私が驚いていると、ルドルフ皇子は私にこう話しかけてきた。

「このような美味しいボルシチを作れるなんて、俺は亡くなった母以外にはいないと思っていた。ところがそんな人が国外で見つかるなんて……女将、俺の妻になってくれ」

「はい?」

「お店のこと。従業員のこと。色々と問題があると思うので、俺は待つことにする。幸い、この国には一週間ほど滞在するのでな。では」

「おい! ルドルフ!」

「……どうしよう……」

 私にプロポーズをしてから颯爽と店を出ていくルドルフ皇子を、突然のことでまだ理解が完全に追いついていない殿下と、ちゃっかりとボルシチを完食していたデミアンさんが追う。

「親分さん、どうしましょうか?」

「難題だな、これは」

「ですよねぇ……」

 なにかの物語でもあるまいし、私が本当にルドルフ皇子の元に嫁ぐなんてあり得ない。

 はてさて、これからどうしたものかしらね?

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